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2.もう存在しない指(10)

    ◆


 村上刑事からの電話は九時寸前にかかってきた。


 ほかの家族が出ないように僕は電話の前でパヴェーゼの『美しい夏』を読みながら待っていた。

 売春婦に「つまらない人」と言われて自殺した男の小説は、前夜まで僕を夢中にさせていたのに、今はもう一字もすんなりとは頭に入っていかなかった。

 だから、読みながら待っていた、というのは嘘で、本当は電話を待ちながら、読んでいるふりをしていた、だけだった。


 電話のベルが鳴った瞬間、僕は大腿部の筋肉に電話線が直結されているみたいに撥ね上がり、受話器に跳びついた。


 電話で聞く村上刑事の声は昼間よりも落ち着いた感じに聞こえた。電話だからそうなのか、それとも疲れているのか。


「名簿にあった女の子には、全員電話をかけてみたんだよ」

「どうでした?」


「連絡が取れた人はとりあえず全員無事みたいだな。

 電話口で嘘をついているのでなければみんな、耳はまだついているはずだ。

 電話で連絡がつかなかったのが三人、そのうち二人は縹さんが大学の方で会って確認がとれた。

 で、ひとりだけ電話に出ない」


 そのひとりがだれか僕にはもうわかっていた。

 でも、こちらから十三貝さんの名を出すのは控えた。

 いらぬ疑いを招くのはごめんだ。


「十三貝美奈子さんなんだけど、彼女はひとり暮らしだよねえ?」

「そのはずです」


「遅くまでアルバイトしているとか、そういうことあるかな?」

「さあ、わからないですけど、そんな話は聞いてないです。十三貝さんは四年だからそんな暇ないんじゃないですか」


「ああ、就職活動で忙しいってことだ。

 どうなの、やっぱり女の子の就職は大変なのかなあ?

 サークルの方には全然顔を出さないわけ?」

「ときどき来ますよ」


「君が最後に会ったのはいつ?」


 最後ということばが気にかかった。

 もう二度と会えないと決めつけられているような気がした。

 僕は一週間前だと答えた。

 サークル室で十分くらい。

 十三貝さんはスーツ姿で、これから面接に行くのだと言っていた。

 煙草を一本吸って、最近本を読んでいないといったような話をした。

 三時間目の始まりのチャイムと一緒に出ていった。


「二人だけ?」

「いえ、あとはたしか――二人いました。山口靖雄と石垣ちさとがいました」


「二人とも〈パブロフ〉の――略すときはこう言うんだろ?――メンバーだよね。

 石垣さんとはさっき電話で話したよ。

 彼女は自宅通学なんだね。

 彼女も君と同じことを言っていたよ。

 一週間前が最後だとさ。

 君はそのあと会ったり――見かけただけでもいいんだけど、そういうことはなかったの?」


「なかったです。あの……あれは女の耳にまちがいないんですか」

「うん。鑑識からは、血液型がA型の若い女性という報告があったよ」


「たぶん、田代さんなら十三貝さんの血液型を知ってます」


「ああ、そっちはもう確認できてる。

 十三貝さんはA型だよ。条件は合っているね。

 だけど、A型の若い女性なんていくらでもいるんだから、あの耳が彼女のものだと断定なんかとてもできない。

 今のところ最も可能性のある人物であるにすぎないよ」


 村上刑事は僕の不安に気づいていたのだろうか。

 十三貝さんを大学で見かけたら連絡してくれ、と付け足して彼は電話を切った。


 振り返ると母の咎めるような視線にぶつかった。

 彼女はなにも言わずに立ち、風呂場へ行った。

 カツを見ると僕が大学の図書館から借りてきた本を読んでいた。

 きっと、読んでいるふり、だろう。


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