2.もう存在しない指(5)
ぎゃあ、と言って、カツはソファにひっくり返った。
僕が勝った。
「よっしゃあ!」とガッツポーズを決めた。
本当はそんなに嬉しくはなかった。
カツに対する戸惑いの方が強かった。
しかし、そのカツがオーバーなリアクションで冗談めかして片付けようとしている。
僕が深刻な顔で突っ立っていたりしたら、かえって彼を傷つけてしまう。
ソファにうつぶせたカツはしばらくその姿勢で倒れていた。
猫が待ち構えていたようにやってきて、その頭の上に座ってアクビをした。
「だから、やめなさいって言ったのよ。智徳、今のはなかったことにしてあげて」
母の声にカツは跳ね起きた。
猫は跳んで逃げる。
「いやあ、決めちまったことはしょうがない」
「いいのか、カツ? 謝れば智徳はきっと許してくれるぞ。
な、そうだよな、トモ、な?」
父は今になっておろおろしていた。
動揺するなら初めから理解する父親のふりなんかしなけりゃいいのに。
カツはドンドンと床を踏み鳴らして抗議した。
「どっちが勝ったって同じことじゃん。
それとも、そのたびに相手に謝ってジャンケンをやり直すのか。
ケリつかねえじゃん、それじゃ。
おれは二人して大学はあきらめるなんて、絶対ごめんだからな」
「じゃあ、あんた、働くって言うの?
トモが大学に行くのに、それでいいの?」
「二人とも大学に行くのは無理なんだからそれしかないだろ。自分で決めたことなんだし、今さらグチャグチャ言う気はないよ」
「智徳、おまえはそれでいいのか」
「いいのかって言われてもねえ――」
僕は頭を掻いた。
「まだ僕が大学に合格すると決まったわけじゃなし――」
「馬鹿!」
それは母の人生でいちばん力の入った「馬鹿!」だったのではないか。
僕は首をすくめた。
僕が、なかったことにしよう、と言えば、当然事態は変わったはずだ。
僕らは二人で働きに出ることになっただろう。
しかし、僕は言わなかった。
大学進学に固執したわけじゃないと言えば嘘になるが、それだけではなかった。
カツはジャンケンに負けた。
しかし、ここでその結果をなかったことにすれば、彼はもっと大きなものに負けたことになる。
カツだけじゃない。
僕にとってもそれは一生取り返しのつかない負けだ。
あきらめろと言われるまで、大学なんて僕らにとって大した問題ではなかった。
しかし、すでに僕らの人生の予定図には記されていた。
大学進学は僕らの〈権利〉だった。
本当は大学なんてどうでもよかった。
大事なのは〈権利〉を容易く手放さないこと。
ジタバタすること。
〈潔さ〉なんてことばに騙されないこと。
カツを働かせることが、カツと僕、二人の勝利だ。
このときはまだはっきりと意識していなかった。
でも、なんとなくわかっていた。
僕は重いことばを発するために、深く息を吸い込んだ。
「僕は大学に行く」




