2.もう存在しない指(2)
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「そうだ。若菜が見舞いに来いって言ってたよ」
「捻挫ぐらいでなに言ってやがる」
カツは右手でがしがし頭を掻いた。
その手には指が四本しかない。
そのことに気づくたび、僕は後ろめたい気分になる。
なにも僕が彼の人指し指を潰したわけじゃない。
でも、元を辿っていけば僕にも責任があるような気がする。
もちろん、気がするだけだ。
カツがプレス機に指を喰わせたのは、一年半ばかり前になる。
プレス工場の仕事にも慣れて、そのなれが油断を呼んだ。
スイッチを押したあとから、型枠に置いたパイプの位置を直そうなんて、常識じゃ考えられない。
しかし、作業になれて上の型枠が落ちてくるタイミングをつかむと、カツは何度もやっていたらしい。
パイプのバリに軍手が引っ掛かりさえしなければ、このときも一トン近い重さで型枠が落ちてくる前に、右手を引き出すことができたのだそうだ。
もっとも、こんな馬鹿な危険行為を繰り返せば、いずれは起きたはずの事故だ。
本人は「兄弟の区別がつくようになったじゃん」などと強がりを言っていた。
しかし、母は三日寝込み一週間泣き続けた。
プレス工場なんかで働くからだ、と彼女は言った。
そうじゃないだろう、とは思ったが、僕が言うと角が立つので口にはしなかった。
母は暗に父を非難していた。
父は聞こえないふりでナイターを見ていた。
僕らが十七歳になるまで、母は泣いたり恨み言を言ったりする女性ではなかった。
父もよく笑うおしゃべりな男だった。
僕ら家族がポジからネガへ反転するように暗くなったのは、三年前。
梅雨の最後の大雨の日だった。
夜遅く帰宅した父が居間に僕らを呼んで、進学はあきらめてくれ、と言った。
彼の髪はまだ雨に濡れて光っていた。
父の経営する会社が危なくなっているなんて知らなかった。
その日、父の会社はもうどうにも立ち行かなくなったのだった。
僕は、高校を卒業したら、どこか入れる大学へ進学するもの、と疑いもなく信じていたから、父のことばにただ驚いた。
父は震える手で煙草に火をつけた。
僕は口唇を噛んで窓ガラスに映る自分の姿を睨んだ。
カツは何度も何度も前髪をかきあげた。
母は両手を絞るように擦り合わせた。
その動作をやめられなくなっていた。
甘え鳴きしながら膝に登ってきた猫を母は邪険に払い落とした。
猫は未練がましく何度も母を振り返りながら部屋の隅に行って丸くなった。
「すまない。そういうことなんだ」
父がかすれ声でぽつりと言った。
ううっ、とカツが唸った。
僕は突然暴れ出すんじゃないかと怯えた。
このうえ家庭内暴力かよ、と思ったが、カツは唸り続けるだけだった。
「怒りたいのはわかるけど……」
僕らよりは事態を知らされていたはずの母も、そう言ったきりあとが続かなかった。
「ひとりならどう?」
カツがふいに唸るのをやめて言った。




