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9.虫のように柔らかい腹(14)

 カツと若菜がやってきたとき、僕らはもうできあがってしまっていた。

 マスターは七〇年代和製ロックを口ずさみながら、ハツを大蒜と唐辛子で炒めているところだった。


「なんなのよ、この暑さ!」と若菜が来るなり叫んだ。「クーラーつけてよ!」


 僕らはすっかり暑さのことなど忘れていた。

 若菜のせいで暑さがぶり返した。

 額へ噴き出した汗を拭ったオシボリを、彼女に投げつけた。


「もう! この酔っ払い!」


 若菜の怒った声に、ひゃひゃひゃ、と笑ったが、カウンターを回ってきた彼女を見たとたん、沼底の汚泥に顔を突っ込んだような気分へと沈み込んだ。

 若菜はホットパンツをはいていた。

 むき出しの白い脚。

 トランクの中の腐った脚にダブった。


 こんなところで酔っ払っているのは、十三貝さんに対する罪だ、と泣きたくなった。


     ◆


 僕は濃いめの水割りのグラスを持って、テーブル席にだらしなく座っていた。

 マスターと若菜は、カウンターで怪我自慢をしていた。

 かれこれ一時間近く、二人はお互いの外傷経験を披瀝しあっていた。

 二十分ほど前に、マスターがインドで象に殴られた話を始めたところで、僕はこっちへ避難してきたのだった。


 カツは先に逃げ出していた。

 オン・ザ・ロックを舐めながら、僕が借りてきた本に目を落としていた。

 火をつけていないピースを、中指と薬指に挟んでしきりに額を掻いている。

 これは考えているのではなく、単に酔いが回ってきた徴候らしい。


 カツが『エクリ』から顔を上げた。

「その一。猿でも正しいとわかるようなもんじゃねえ限り、どんなことをも正しいとは考えない」


 なにを突然言い出すやら。


「その二。まずは問題をできる限り小さく、バラッバラッにバラしてみる」

「なんだよ、それ?」


 カツはニヤニヤ笑って僕の鼻先で煙草を振ってみせた。


「その三。ばかばかしく簡単なとこから答えを出す。

 でもって、答えと答えを適当に理由をつけてくっつけてやって、だんだん難しいことに手を出してみる」

「酔ってやがんの」


「その四。全体の答えが出たら、もいっかい初めからやり直す。

 やっぱり同じ答えになるんだったら、そりゃ当たりってこと」

「おい、聞いてんのかよ?」

「聞いてるよ。せっかく、おれが猿でも使えるショーカセン推理法を教授してやってんのに、張り合いのねえやつだよな、おまえ」


 カツはテーブルに脚を乗せた。

 ゴムのサンダルをペタペタ言わす。


 いったいどこから消火栓なんてものが出てきたのか。

 双子の兄はふざけているようにしか見えなかった。

 実際、ふざけていたのだろう。


「いいかげんにしろよ、カツ」僕は声をひそめた。「実はさ、今日――」

「十三貝って女の腕が見つかったとかいう話か」

「腕じゃない。脚だよ。……だけど、どうしてそれをおまえが知ってるんだ?」


 カツは黙って『エクリ』の第三巻を僕の前に滑らせ、中ほどのページを開いてみせた。

 そこには写真が挟まっていた。

 声を出すな、とカツが小声で言った。


 写真へと伸ばした僕の手を、カツは邪険に払った。

 指紋はつけない方がいいだろ、と言う。

 それは実際その通りだったが、そんな簡単なことも判断つかないくらい僕は呆然としていた。

 呆然とせざるをえない写真だった。


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