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9.虫のように柔らかい腹(11)

 声をかけようとした瞬間に、ウマノスケへ寄っていったやつがいた。

 山口だった。


 殴ってやる。

 ちさとの涙が、胸に苦く沁みていた。

 駆け出そうとしたところで、山口の切羽詰まったような表情に気づいた。


 山口がウマノスケの肘をつかんだ。

 どうやら山口はウマノスケを探していたらしい。

 二人はそんなに親しくない。

 ウマノスケになんの用があるのだろう。


 僕は気づかれないように進路を変え、あとを尾けた。

 彼らは学生ホールへ入っていった。


 僕は窓から、二人が座った場所をたしかめた。

 彼らからは死角になる入口からなかへ入った。

 RPG研の連中が空きソファを探すのにまぎれて近づき、自販機のかげに隠れた。

 そこなら二人の声も聞こえた。


 スナッフ……と山口が言っていた。

「だれから聞いた?」とウマノスケ。

 右手のカメラは山口の顔に向けられていた。

「洋子さん……だったかな」

「嘘だ。洋子がそんなこと言うわけない。だれだ?」

「ディレクターズ・コレクティブのだれかだよ。それ以上はちょっと……ね」

「ああ、なるほど。あいつらならそう言うか」

「で、どうなんだよ?」

「なにが?」

「スナッフ・ビデオだよ。撮りたいんだろ?」


 ――スナッフ・ビデオ。……スナッフ?

 なんだっけ?


 頭んなかを引っ掻き回す。

 ラング溜りの底泥のなかを探す。

 忘れかけ萎びたことばを見つける。

 そうだった。


 スナッフ・フィルム――演技や作り物でない、本当の残虐な殺害行為の現場を撮影した映画。

 アンダーグラウンドに実在するとも、しないとも言われる、禁断の映像。

 切り裂かれ、分解される肉体。

 生命の尊厳も、死者の尊厳も、踏みにじる行為。

 それをウマノスケが撮りたがっているというのか。


 ウマノスケなら……ありえない話じゃなかった。


「スナッフを撮りたいというのと、人を殺したいというのは、山口、おまえの単純な脳みそでは、シノニムなのだろうが」

「それをちがうと言うなら、複雑な脳みそを持っているのは、世界中でおまえだけだよ」

「それは誉めてくれているんだろう? ありがとう」


「でも、そんなものを撮ってどうするんだ? 公表できないじゃないか」

「さあ、そこまでは考えてないが。

 妄想にすぎないからね。

 おまえの方はどうするんだ?

 一生懸命にこんな探偵の真似ごとして。だれかが誉めてくれるとでも?

 他人に認めてもらいたいのかな?

 それとも愛されたいとか。

 どんな目的で動いているんだ?

 無駄だだろうが?

 なにをしたって、みんながおまえを嫌っているのは変わらないのに。

 それがわからないのか。だから、ストーカーなのか」


 山口の手が、カメラを構えたウマノスケの右手を、はねのけた。

 しかし、カメラは元の位置へ戻される。

 山口がカメラを自分の顔からそらそうとするたび、ウマノスケはしつこくカメラを構え直した。


 二人は子どものように何度も繰り返した。

 山口は真っ赤になっていたが、ウマノスケに表情はなかった。


「おれは――おれは十三貝美奈子を殺したやつをゆるさない。

 おかしなふうになってしまったけど、おれは彼女を愛していたんだ。

 いや、今だって愛してる。

 彼女を殺したやつはおれが必ず見つけ出してやる。

 それがおれの愛し方なんだ」


「おまえ、今、とてもいい顔している。奢りと怯えが混ざり合ったいい顔だ」

 ウマノスケはカメラを通して、山口と話していた。

「妄想を現実にするときには、おまえのその顔も使ってやろう。背景に生首ぐらい並べておきたいからな」


「ごまかすなよ。本当はもう撮ったんだろ?」

「言ってる意味がわからないが」

「そんなことないはずだ。十三貝美奈子で、もうスナッフ・ビデオは撮影したんだろう?」

「無駄な質問だよ。真実はどうあれ、答えはNOに決まっている」

「おれは絶対にゆるさないからな」


「山口、おまえは先を越されて、腹を立てているだけだ。

 愛だなんて高尚なことばは使わない方がいい。

 十三貝美奈子の腹を切り裂きたい、

 十三貝美奈子の血を身体中に塗りたくりたい、

 十三貝美奈子の内臓をチンコに巻きつけたい

 ――おまえの愛なんてそんなものだ」


「勝手に決めつけるな。おまえになにがわかる」

「ノーマン・ベイツに憧れるいじめられっ子の心情なんて、わかりたくもないが」


 ウマノスケは、黒い大きなキャリーバッグにつかまって、立ち上がった。

 カメラを山口に向けたままあとずさり、学生ホールを出ていった。


 山口はウマノスケが出ていったドアを凶悪な表情で睨みつけていた。


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