1.袋の中の耳(12)
印刷されたB4紙がおよそ五百枚。それが謎だというのではなかった。
なんなのかはわかっている。
僕らのフリーペーパー『モンキービジネス』の最新号。
刷り立てでまだインクが匂う。
僕が出ていったあと、この部屋には今号の編集人兼印刷担当である山口がやってきたということだ。
――山口がもっと早くやってきたなら、ここに座っているのは僕ではなくあいつだったはずだ。
しかし、僕はすぐにその空想を打ち消した。
山口が僕よりも早く来たとしても、やはりここに座っているのは僕のはずだ。
耳の入った紙袋は、僕の棚に置かれていたのだ。
紙袋に気づいても、中を確かめたりはしないだろう。
――やはり、僕のための耳だったのか。
「二つのことは偶然ではないような気がするな」
汗にてかった頬を両手でごしごし擦りながら、村上刑事は唸るように言った。
「またおまえはそういう憶測で語る」
うんざりしたように縹刑事が首を振る。
「事件には虚心で当たれ。さもないと、見当ちがいの方向へ走り出すことになる」
「でも、タイミングがよすぎませんか。
水岡君の周りでほぼ同時に二つの事件が起きた。
つながりがあると考えるべきですよ」
「タイミングがよすぎるってのはおれも同意見だ。
でもな、よすぎるんだよ。
偶然に見えない偶然なんてものは、世間にはいくらでも転がってるんだ。
そんなのに引っ掛かると、ありもしない作為を捏造することになる。
出口のない迷路を彷徨うんだ。
解くべき謎なんて初めからなかったんだからな。
だいたい、二つの事件と言ったって、一つはまだ本当に事件かどうかもわからないんだ」
「あたしのこと?」
若菜は煙草に火をつけようとする手を止めた。
「あたしが適当ぶっこいてるって言うの?」
「そうじゃありません。
現段階では確証がないということです。
調べなければ、なにも答えは出ないのですよ」
「あたしの言ったこと信じてない。そういう意味?」
縹刑事は机の上で両手を重ねた。
興奮している若菜を正面からじっと見つめている。
その眼は冷たさを通り過ぎて、すでに虚無的だ。
どんな馬鹿げた事態にも耐えてみせるといった底知れない鈍さがあった。
「ちがいます。
わたしたちは現時点ではどんな判断も下していない、そういう意味です」
「あたし、帰る」
若菜は僕の首に腕を巻き付けると、それを支えにして立ち上がった。
「帰っていいですよね?」
「ええ、かまいません。思い出したことがあれば連絡してください」
縹刑事は名刺を若菜に差し出した。
彼女はそれを受け取らなかった。
「もうなにも話すことはありません」
「待てよ。若菜、送っていく」
僕も立ち上がった。
このまま彼女をひとりで帰したらあとで家族になにを言われるかわかったもんじゃない。
「水岡さんにはまだ話があります。残ってください」
「だってさ」と若菜が肩をすくめる。
僕は、若菜を学生ホールまで送って戻ってくるということで、刑事たちと話をつけた。
若菜に肩を貸して、サークル棟から学生ホールまでゆっくり歩いた。
ごめん、と彼女が呟くように言った。
なにを謝っているのだろう。
刑事に喧嘩を売ったことか。
肩を借りていることか。
どっちでもいいや、と僕は黙っていた。
若菜を学生ホールの椅子に座らせると、そこで待っているように言い聞かせた。
幼稚園児じゃないんだから、と彼女は言った。
が、僕には目の前の若菜と四歳の若菜のどこにちがいがあるのかわからなかった。
「なんなのよ、あいつら。あー、むかつく」
若菜は新しい煙草をくわえて火をつけた。
彼女が煙草を吸うようになったのはいつだったろう。
四歳ではまだ吸っていなかった。




