8・胸に転がる異物(10)
「なんでいつもあたしが、おまえらの尻拭いをするんだ?」
「そういう星回りなんじゃねえの、おじさん?」
カツは端のテーブルでのびていた。
「なにか飲ませてくれない? 脱水症状で頭がズキズキしてきた」
マスターが返事する前に、若菜がカウンターの中へ回り込み、自分の店のように冷蔵庫のドアを開けて、コーラを出した。
「あんた、朝からなにも食べてないんじゃない?」
「当然だろ、財布がねえんだからよ」
「あれから今までどこにいたのよ?」
「図書館で本読んでた」とカツは答えた。
三分の一は嘘だ。
本を読んでいたのは〈城〉でだし、午前中は図書館ではなく、「ハローワーク」に行っていたという。
プラトーでの別れ際に、「探しものがある」と言っていたのは、職探しのことだったのだ。
しかし、そんなことを若菜に教えたら、彼女はまちがいなく父親に話すだろう。
健オジは、今度こそと張り切って、カツがいちばん嫌いそうな〈いい仕事〉を見つけてくるにちがいない。
「そういえば腹減ってるな」
「ここ、カレーしかないけど……」と若菜。
おまえの店じゃないぞ、と僕はつぶやいた。
カツは「カツカレー辛口大盛り生卵!」と叫んだ。
そして、その代金は、僕のバイト代から天引きされることになった。
「今度は乳首だって?」
マスターが、カレーソースを温めながら訊いてきた。
ひと目見ただけで、あれが乳首だと母にはわかったのか、と感心していると、若菜がごめんと謝った。
「だって、学校の人に話すなって言ったけど、マスターに話すなとは言わなかったじゃない、トモ」
……そういう問題かよ?
僕は頭をひねりながら、クーラーの温度を下げに行った。
「ずいぶんと細切れのバラバラ殺人だねえ」
「まだ死んだと決まったわけじゃない!」
マスターの呑気な口調に、僕は声を荒げて言い返した。
マスターは驚いた顔で僕を見つめていたが、やがて合点がいったというようにうなずいた。
「……そういうことなんだ」
「なにがそういうことなのさ?」
「おまえは、自分の責任だと悔やんでるんだろ?
恋人がひどい目に遭ったのも、彼女を守ってやれなかったのも、全部自分のせいだと考えているんだろ?」
そういうことなのか。自問する。
これは僕の責任なのか。
ちがう気がした。
乳首が送られてきたのは、僕への恨みだとしても、それは僕の責任ではないはずだ。
だいたい、十三貝さんは恋人じゃないし。
彼女を探したい気持ちは恋愛感情とは別のものだ。
いずれ、だれしも記憶に変わる。
ただ、時間に風化し消えていく記憶もあれば、風化を拒み、いつまでも生々しく残る記憶もある。
このまま十三貝さんが僕の前から消えてしまったら、僕は彼女の記憶を持て余してしまうだろう。
胸の空洞に転がり続ける異物。
〈鬼婆あ〉がそうだった。
十三貝さんが同じ異物になってしまうのを、僕は恐れていた。
「あの封筒なんだけど、あんたたち、気がつかなかった?」
テーブルにうつぶせているカツの前で、若菜は煙草に火をつけた。
封筒の表に、紙の剥がれているところがあっただろう、と言った。
たしかに、宛名ラベルの下隅あたり、五ミリ四方くらいの大きさで、紙の表面が剥がれていた。
そこだけ、繊維がけば立っていたのを覚えていた。
ラベルシールを一度貼り損ねて、また貼り直したのだろう、と言うと、若菜は僕を馬鹿にして、首を振った。




