8.胸に転がる異物(5)
「びっくりしたねえ。酒が幻覚を見せてるのかってねえ、もう」
「一卵性だから」と僕は言った。
なにか言えば、もうひと袋放ってくれるかもしれない、と期待していた。
「よく似てるって言われる。おかあさんもまちがえることがあるんだ」
「なにしにここへ来たの?」
プラスチックのピンクのコップにウイスキーを注ぐと、〈鬼婆あ〉は水のように呷った。
手の甲で濡れた口唇を拭った。
男のようだった。
「探険」とカツが答えた。
探険だなんて――子どもだなあ、と僕は恥ずかしくなった。
「おばさんはなにしてるの?」
〈鬼婆あ〉は「婆あ」には見えたが、「おばさん」には見えなかった。
実際には四十代後半くらいだったのだろうが、十歳児から見ればもう「おばさん」の域を超え出ていた。
痩せて筋張った身体に、空色のワンピースが、若い女の死体から剥ぎ取ったもののように、似合わなかった。
「なにしてるって、ここは私の家だからねえ。なにしてるわけでもないのよ」
「お酒飲んでんじゃん」
「そうね。お酒飲んでるわね」
〈鬼婆あ〉は、カッカッ、と笑った。
「あんたたちは近所に住んでるの?」
カツはうなずき、僕は首を振った。
下手に住んでいる場所など教えたら、夜中に襲われるんじゃないか、と僕は恐れたのだった。
どっちなの? と訊き直されて、僕はなんと答えたものか首をひねるだけだったが、カツは「自転車だと近いが歩くと遠い」と、わかったようなわからないような答えを返した。
「ここ、おばさんちなの? まだできてないじゃん」
カツは殺風景な部屋を見回し、ポテトチップスの袋にガサガサ、手を突っ込んだ。
「本当はお友だちの家なのよ。
でも、完成したら一緒に住むことになってたから、私の家って言ってもいいでしょ」
「いつできんの?」
「もうできないのよ。ここはずっとこのまま。
もう完成していなくちゃいけなかったんだけどね。
半年前に工事は中止になったの。
窓もないし、電気も水も来てない。
夜は真っ暗だし、暮らしにくいったらないわ。
だけど、いずれここに住むつもりだったからね、私は引っ越してきたんだけどね」
「お友だちはどうしたんですか」
僕は、まだポテトチップスが入っているらしいコンビニの袋を睨みながら、訊ねた。
「××××××××××××」
このとき〈鬼婆あ〉がどう答えたか、記憶は曖昧だ。
僕は「どこかに消えちゃった」と聞いた。
カツは「殺されたのよ」だったと主張する。
どうも二人ともハズレの気がする。
若菜は僕らを、妄想双生児だ、と言う。まあ、そんなもんだ。
〈鬼婆あ〉は、それから堰を切ったように「お友だち」について話し出した。
「お友だち」とは「愛人」の言い換えだと気がついたのは、中学に入ってからだ。
〈鬼婆あ〉が酔っ払っていたのはまちがいない。
そうでなければ「お友だち」とどこでどうして出逢ったか、「お友だち」がどんなふうに喋り、どんなふうに歩き、どんなふうに食事したか、そして「お友だち」がどんな約束をしたかなんてことを、初対面の子どもに話したりなんかしなかっただろう。
僕らが双子であったことも、彼女の口を軽くしていたのかもしれない。
幻覚ではないとわかったあとでも、僕らにはリアリティが希薄だったのではないか。
結局、夢を見ているような気安さで、〈鬼婆あ〉は僕らに語り続けたのだろう。
話しているうちに、〈鬼婆あ〉はひじ掛けにもたれて、眠ってしまった。
帰ろう、とカツが言った。
僕らは立ち上がり部屋を出ようとした。
またおいで、と声がした。
あんたたちは特別よ、いつでも好きなときにここへ来ていいからね。
振り返ると、〈鬼婆あ〉は薄目を開けて、僕らを見ていた。もう恐くはなかった。




