Chapter03-2
「クッハハハハァ――!」
広い倉庫内を駆けずり回りながら、クラウス・イェーガーは大爆笑していた。
正直言って、都市での戦いには期待していなかった。
目下最大の楽しみであった久道は予想以上に牙が抜け落ちており、あれでは満足のいく仕上がりになるまでしばらくかかるだろう。加えて、主戦力の殆どが東京で幸矢たちによる足止めを食らった状況では、他に骨のある敵など望むべくもない。
故にクラウスは立ち向かってくる相手に過度な期待はせず、数奧たちが目的を達成するまで適当に遊んでいる予定だったが。
よもや、よもやである。
「期待以上だ……実に素晴らしい!」
耳をつんざく発砲音。空間を薙ぎ払っていく鉛の嵐。まき散らされる硝煙の香り。次元兵器という未知とは違う、元の世界でよく馴染んだ銃火器による攻撃にはどこか懐かしさすら感じる。
だが、それ以上に。
「脅かされている! この我輩の命が!」
四門のガトリング砲が展開する弾幕は異常なまでに狙い澄まされていた。クラウスが見せる回避に対し「こう撃てば避けられないだろう」とばかりの位置へ的確に射線が置かれている。最初から本気の速度で避けていたらその時点で詰んでいた。
徐々に速度を釣り上げることで辛うじて逃れてはいるが、クラウスにも限界はある。体力は勿論、最高速度にも。
それでもまだ当初は勝算があった。あれだけの速度で弾をばら撒いていればあっという間に弾切れを起こす。仮にそうでなくても、発砲に伴う熱で銃身が焼けてガトリング砲自体が使用不可能になるはずだ。
結論から言えば、どちらも起こらなかった。
弾幕が途切れない。逃げども躱せども、クラウスを執拗に追いかける鉛の集中豪雨が止むことはなかった。
銃身の焼き付きに関してはまだ納得できる。銃に仕込めるような冷却技術程度なら、今更出てこようが驚いたりしない。
だが、こちらはいくら何でも信じ難かった。
「無限の弾丸……この都市にはそんなものまであるのか!?」
クラウスの推測は半分正解であり、半分間違いであった。
前者の技術については存在しており、実際フィーダのガトリング砲にも搭載されている。理論上は弾薬が尽きない限り撃ち続けることが可能だ。
ネックなのは、弾丸には必ず限りがあるということ。次元エネルギーから直接物質を生成する技術は確立されていない。正確には、物質化に必要な存在情報を作れないのだ。
≪タグストレージ≫を使用すれば疑似的に存在情報を抽出可能だが、これを複製するのは不可能。同じ世界に同じ存在は共存できないという絶対的な法則がここで立ちふさがる。存在情報を弄って差異を作ろうにも、あくまで零次元圧縮は存在以外の情報を排除しているだけであり、存在情報そのものは未だブラックボックスである。つまり弄りようがない。
故にフィーダは、より原始的な方法で射撃時間の長大化を試みた。幸いにもお誂え向きの技術が都市には存在していたのだ。
≪マルチローダー≫という装置がある。これは≪タグ≫が抱えるとある弱点を克服するべく開発された次元技術である。
≪タグ≫の機能は収納と排出の二つのみ。指定した範囲内の物体をまとめて取り込み、吐き出す時はまとめて吐き出す。単一の物品を仕舞うだけなら問題にならないが、複数の荷物をまとめて入れている場合、特定の一つを選んで取り出すようなことは出来ない。一度その場に全てぶちまけ、目的の物以外を再度仕舞う手間がある。
それを解決したのが≪マルチローダー≫。この装置に中身の入った≪タグ≫を挿すことにより、その中にある存在情報を分離し任意の物品を取り出すことができる。これの登場によって≪タグ≫を用いた物資輸送は従来より遥かに効率化された。
そしてフィーダはこれを魔改造した。と言っても機能面に直接手を入れたわけではない。おおよそ個人携行に向かない大きさと重量の装置を中身だけ取り出し≪コンバットフレーム≫へ組み込み、各スロットの出力先が直接銃火器の給弾機構へ繋がるように延長しただけである。
するとどうなるか?
≪タグ≫から各銃器に対し逐次弾薬が補給され続ける。リロードなどという概念は存在しない。≪タグ≫の中身が尽きるまで連射が止まることはない。そしてフィーダはEU在籍時から今日に至るまで、自らの所得の大半を弾薬や爆薬として蓄財し続けていた。
その総量は、現在の消費ペースのままクラウスを丸一日追い立ててなお有り余る。
当然、一方的に攻められるがままのクラウスではない。本格的な戦闘が始まってから、隙を見計らって既に五度は≪フライシュッツ≫による射撃を見舞っていた。彼我の距離を無視して即着弾する不可視の弾丸はその性質上≪アブゾーバー≫を無効化し、一発でも致命傷に成り得る威力。
だがこれについても、フィーダは驚くほど的確な対応をしてみせた。
「ハァ!」
弾幕を掻い潜り、射線が追いすがってくるまでの刹那に反撃を捻じ込む。左右の≪フライシュッツ≫で一発ずつしか放てなかったが、片方でも当たれば勝ちだ。フィーダの鳩尾と心臓に銃口を向け、引き金を引いた。
不可視にして神速の弾丸が放たれる、その直前。
「そこ!」
彼女の背から生えたマニピュレータの内、透明な盾を持つ二本が電撃のような速度で射線を塞いだ。これと言った特殊性を持たない、厚さ一センチあるかも怪しい樹脂製のシールド。対物ライフルを一撃で破壊する威力に対しては、もはや紙にも等しい。
引き金を引き切った瞬間、案の定二枚の盾はたて続けに大破した。作用点を中心に発生したエネルギーが瞬く間に亀裂となって広がり、粉微塵に粉砕する。
しかし、そこまでだった。
シールドごと隠れた少女を蹂躙して余りある不可視の弾丸は、たった二枚の盾を破壊することだけに全エネルギーを霧散させて消える。
≪フライシュッツ≫は仮想上の射線と射線上の物体が交差した一点に運動エネルギーを生じさせる次元兵器。原理が単純故に連射が効き、消費する次元エネルギーの殆どを破壊力に回せるため一発の威力も凄まじい。もろに食らった久道の手足が吹き飛ばなかったのは、単純に彼の肉体が並外れて丈夫だったからに過ぎない。
ただし、その威力が発揮されるのは作用点周囲の非常に局所的な範囲のみとなっている。点で発生し瞬時に拡散するエネルギーの流れが生み出す破壊力は、離れれば離れるほど大きく減衰してしまう。
同じ大きさのハンドガンよりも遥かに威力で勝る≪フライシュッツ≫の射撃は、ハンドガンから放たれる鉛玉より遥かに貫通力で劣るのだ。
それこそ、紙一枚でも射線上に挟めば防げてしまうほどに。
だが、それが可能なのは≪フライシュッツ≫の性質を理解しているのが前提であり。
高速戦闘のさ中、銃口の向きと引き金が引かれるタイミングを完全に把握出来て初めて為し得る偉業である。
それをフィーダ・レティエという少女は。
「僅か数度見せただけでここまで完璧に対応してくるか!」
戦慄と歓喜に身を震わせながら、再びの逃走劇。
クラウスは既に相手の弾幕が途切れることに期待していない。ここまでの強敵だとわかった以上、最悪を想定する必要がある。
弾数も射撃継続時間も無限の機銃四門に対し、体力速度共に限りある己自身。長期戦は以ての外。短期決戦を仕掛けようにもあの密度の弾幕に飛び込むのはあまりに無謀。隙間を縫うような頻度の攻撃ではほぼ確実に防がれる。おまけに破損した盾は即座にどこからともなく補充される徹底ぶり。恐らく銃を破壊しても同様だろう。
まともに考えるほど状況が詰んでいる。いくらクラウスが化け物じみた身体能力を持つ人間兵器でも、純粋な物量の暴力に単身挑むのは分が悪すぎた。
はてさて如何したものかと、珍しく頭を悩ませるが。
「……よし」
悩んだ時間は一秒にも満たなかった。
奥の手を切るにはまだ早い。
望外の機会を得たのだ。折角ならもっと長く、より深くこの危機を噛みしめたかった。
かと言って限界まで逃げ続けては芸がないので。
「少し追い込んでみるか」
獰猛な笑みを顔面に貼りつけ、クラウスは素早く身を切り返した。
真っすぐ、フィーダの方へと向かって。
「正気!?」
このまま一生逃げ回ってるんじゃないかと思った矢先、突如として夢に出てきそうな笑顔で距離を詰めてきたクラウスにフィーダは面食らう。
だが仕留める絶好の機会でもあった。逃げに徹さないのならば、捉え切れるはず。
まずは相手の射撃を防ぎそれから――と考えた時点で、ふと気づく。
一つ足りない。
クラウスの手にしている銃が。向けられてくる銃口が。
先ほどまで両手に二挺だった武器が、いつの間にか片手に一挺へと減っていた。
「っ、上!」
フィーダは即座にその行方を看破した。
クラウスは身を翻す動作に紛れさせ、片方の銃を真上に放り投げていたのだ。二つの銃口へ最大限の注意を向けていたフィーダが見失うとすればあのタイミングしかない。方向に関してはほぼ直感。何となく上に向かっていく影を見たような気がしたのである。
しかし、理由がわからない。
何故これから攻勢に移ろうという局面で武器を一つ手放すのか。フィーダの動揺を誘うためにしてはリスキーであり、実際困惑こそしているがクラウスを迎え撃つのに支障はなかった。急に変なことしだしたなーあいつくらいの感想しか抱けない。
長考している余裕もなく、フィーダはひとまずブラフと判断した。捨てられた銃は意識から外し、クラウスが持つ≪フライシュッツ≫の銃口とトリガーへ意識を注ぐ。
ガトリング砲の照準を調整しつつ、シールドで射線を遮る。正面からの射線は、自身は勿論破壊されると面倒なマニピュレータの基部にも通らない。これまでと同じ完璧な対応。
「クハハ、残念」
だがそれを見てもクラウスは構わず引き金を絞り。
「不正解だ」
放たれた不可視の弾丸が構えたシールドを破壊し。
同時に、照準されていなかったもう一方のシールドと機銃一つがマニピュレータごと吹き飛ばされた。
「なっ、ぁ……!?」
シールドで防いだ時とは比にならない衝撃に見舞われ、フィーダの体勢が大きく崩れる。
内心はそれ以上に乱されていた。
クラウスが放った攻撃はシールドで防いだ一発だけのはずだ。トリガーが引かれたのは一度だけで、もう片方の銃は重力に引かれて落下を始めたところ。空中にある銃の引き金を引けるわけがない。
仮に放り投げた銃が遠隔操作可能だとしてもだ。
不規則に回る銃の照準が≪コンバットフレーム≫のマニピュレータに重なるタイミングが、手にした銃の射撃タイミングと被るなど。
それがあの一瞬で二回も起こるなど――
「呆けている暇はないぞぉ!」
降ってきた得物を見もせずキャッチし、クラウスは二挺揃った≪フライシュッツ≫をフィーダへと向ける。
体勢を崩した拍子に射撃は止まっており、その上盾は二枚とも消失。残った腕の方も今から操作したところで再装填は間に合わない。
クラウスの攻撃を妨げるものは何もなかった。
「――っ!」
混乱の極致にありながらも、現実的な死の気配を感じ取った体は反射的に動いた。
盾を持っていないアームと、体勢的に一番正面に近かった機銃付きのアームを射線上へ割り込ませる。
即座に二本の腕が千切れ飛んだ。シールドよりよほど狭い面積の障害物を挟めたのは、三割がフィーダの人並外れた勘によるもので、残りの七割は運だった。たまたま防御が間に合うような体勢だったからこそ。
これでマニピュレータは三本潰された。破損した部品を基部からパージすれば予備の部品をロードできるが、あまりに隙が大き過ぎる。
新たに≪タグ≫を展開している余裕もない。
追撃を防ぐには、残るガトリング砲一つで迎撃するしかない。
「こんっのぉぉぉっぉおおおお!!」
姿勢を整え切っていない状態からの連射だが、先ほどより距離が近づいたことで狙いを大きく外すことなく、弾丸の殆どはクラウスへと殺到する。
とは言え弾幕の密度は四分の一。ただでさえ捉え切れていなかったクラウス相手には牽制程度にしかならなかった。
「ふんっ、温いわぁ!」
稲妻の如き挙動で射線から逃れたクラウスが、瞬く間にフィーダとの距離を詰める。
銃を持っているのにわざわざ何故と疑問に思う間もなく、彼の纏うコートが渦を巻くように翻り。
「ダァァァァアアアア!!」
「ぐっ――あぁっ!?」
後ろ回し蹴り。
コンバットブーツの踵が咄嗟に上げた右腕のフレームに食い込み、勢いそのままに振りぬかれる。それだけで≪アブゾーバー≫に守られたフィーダの身体が宙に浮き、背負った重量物ごと地面と水平に吹っ飛ばされた。
一瞬の浮遊感、直後に衝撃。進路上の棚を二つほど吹っ飛ばし、貨物の山を三つほどバラバラに散らしたところでようやくフィーダは止まった。
≪アブゾーバー≫で受けたとは思えない惨事。もし軽減されていなければ、あの蹴りだけで人体が弾けても全くおかしくない威力だった。
「けほっ……! ぐっ、うぅ……」
辛うじて頭は庇ったものの、肺から空気という空気が奪われ一気に目の前が真っ暗になっていく。
今気を失うのはマズイ。多少距離は開いたが、この程度ではあってないようなものだ。すぐに追いつかれる。
頭では理解していても、体はピクリとも動いてくれない。やがて思考すらも億劫になり。
「や、ば……――」
フィーダの意識は、眼前の闇へ解け落ちるように消えていった。
◇
アクシスのガーディアンについてヴォルフラムから説明を受けた際、フィーダEUの特攻部隊と似たようなものなのだろうと解釈していた。どちらも変異体との戦闘で矢面に立つ仕事なのは違いないし、大した差もないのだろうと。
しかし実際にガーディアンの面々と会って早々に、フィーダの予想は大間違いだったと思い知らされた。
誰一人として、望んで戦いに身を投じていないのだ。
根底にあるのは義務感や正義感。そこに自らの欲求は介在せず、声を大にしては言えないが実力すらも伴っていない者もいる。ミハイルは年齢的にピークを過ぎているし、ルナリアは前線を張るより最後方から全体の指揮を担う方が実力を十全に発揮できるだろう。ラッドに至ってはもはや戦うこと自体が危うい。
向いてないのに。楽しくないのに。彼らは命がけの戦場に立っている。
フィーダを含め、特攻部隊の面々は理由はどうあれ徹頭徹尾自分のために戦っていた。ヴォルフラムは隊長として多少のしがらみはあったかもしれないが、部下である自分たちは割とやりたい放題だった。一般的に見れば異常者の集団であることは自覚しているし、今更自分が普通だと主張する気もない。
そんなフィーダからして、ガーディアンたちは別ベクトルで異常に思えた。尊敬こそすれど、理解なんて出来ないと思っていた。
友柄晴近という少年に出会うまでは。
彼に対して抱いた印象は〝普通〟だ。それも異様なほどに。
箱入りと言うにも知識がなさすぎで、戦闘に関しては素人も素人。次元技術はおろか、変異体のヴァの字も見たことが無いんじゃないかと疑いたくなるほどだった。どっか別の世界に生きてたんじゃないかと。
フィーダの勘繰りは正鵠を射ていた。
転移者。本来交わることのない、平行世界の隣人。
彼に課せられた運命はあまりにも過酷だった。元の世界には帰れず、強大な力の代償としてその存在は変異体へと近づいていき。挙句の果てに、変異体と化した己の両親を手に掛けなければならなかった。どれだけ辛かったかなんて、到底推し量れるものではない。
そんな晴近が、今では一線級のガーディアンである。不屈の精神で悲劇を乗り越え、血の滲むような努力で技術を磨き、得体のしれない力すらも全力で使い倒して。
簡単な決定ではなかったはずだ。今まで闘争とは無縁の平和な世界で暮らしてきた少年が、その手に武器を取り戦うことを選ぶなど。
過去に一度だけ、本人に聞いてみたことがあった。同じ宿舎で寝泊まりしているため世間話をする機会は多く、その日も偶然帰宅のタイミングが被り宿舎の前でばったり遭遇した。
他愛のない会話をする中でふと先の疑問が浮かび、なるべく深刻な雰囲気にならないよう努めて尋ねると彼は少しだけ考える素振りを見せて。
「明日のため……かな」
「明日?」
「ここに来る前は将来のことなんて漠然としか考えてなくてさ。そんでもって、こっちに来てからは色々あり過ぎて余計に先のことなんてわからなくなった」
「本当に色々あり過ぎましたもんねぇ……」
「だろ? だから、ひとまず明日のことを考えることにした」
「明日、ですか」
「明日は長めに訓練しようとか、明日の夕飯は魚にしようとか……全然大したことじゃないけど、ほんの少し先の未来を自分の意志で目指すんだ」
未来。
遥か遠くのそれはわからないけど。明日――ほんの少し先ならと、晴近は笑った。
「それをちょっとずつ積み重ねていけば、いつか望んだ未来へたど着けるんじゃないかって。だから俺は……現在に立ち止まってはいられないんだ」
晴近の語った理由に対し、フィーダは終ぞ言葉らしい言葉を返すことができなかった。
振り返ってみれば、自分はどれほど未来のことを考えていただろうか。翌日の予定くらい立てたことはあるが、それを未来として意識したことがあっただろうか。
フィーダが戦場に立っていた理由はただ一つ。楽しかったからだ。自分でチューニングした武装を全力で使い倒せる場所を欲したからだ。
現在の自分が満足することばかりを追い求め、その先のことなど微塵も考えていなかった。
理解なんてできるはずもないだろう。現在しか見えていない自分が、各々の望む未来を見て戦う晴近たちの気持ちを。
これから先、理解できる自信もなかった。違いを自覚した後ですら、フィーダは自分がどんな未来を望んでいるかがわからなかった。
……けれど。
『きゅ、急にべた褒めするのはやめろって。……ったく、勘違いしちまうだろ』
つい最近になって、少しだけ理解できた気がしたから。