39、モモ、目と耳を使う~五歳児だって戦う術はあるのです!~後編
窓から差し込む沈みがかった夕焼けを頼りに室内を見まわす。ベッドと机があるだけの部屋だ。この神殿は全体的に真っ白な構造なので、桃子の部屋も白一色で統一されている。けれど、鍵をかけられたこの部屋は、桃子にとっては牢屋と同じだ。
桃子はまず、窓に近づいて外を眺めた。青いお城が遠くに微かに見える。神殿の位置は同じ街内にあるようだ。けれど、それが逆に引っかかった。
だって朝に攫われたのに、桃子が目を覚ましたのは夕方になってからだ。人攫いに嗅がされた薬が効いていたのかもしれないけど、それにしても時間が経過し過ぎている。朧げな記憶を必死に思い出す。やっぱり、ずいぶんと移動した気がする。
「一度門の外に出た後に、別人の振りをして戻ったとしたら、時間がこれだけ過ぎていても不思議じゃないよね。バル様達は外を探してくれてるかも」
今度は高さを確かめる。階段の上り具合と窓から斜め下の階の明かりを数えてみる。たぶん、三階でいいと思う。窓ガラスは頑張れば割れそうだ。
今度は室内で使えそうな物を探す。机の引き出しを開くと、ペンとノートが出て来た。これで明日勉強するのかな? でも、自分のことさえ忘れた軍神に、一体何を教えるつもりなんだろ? ……はぅっ、考えたら怖くなってきちゃった。ダメダメ、考えない考えない。
桃子は首をぶるぶる振ると、気を取り直してさらに室内の捜索を続ける。今の私は刑事だ! 犯人の証拠一つ見逃さない! 犯人はどこだ。ここかぁ!? 気分を盛り上げて警察ごっこをしながら、ベットの下ものぞき込んでみたが、何もない。いや、少し埃っぽかった。掃除した人が手を抜いているよ、これ。
ベッドは固く、シーツはやっぱりごわごわしている。この神殿、心が荒んでる人が多過ぎるよ。それとも、ここの掃除もあのお姉さん達がやったのかな? う、うーん、洗ってあるだけいいと思わなきゃね。そうだよ、埃まみれにならないだけラッキーだよ。
桃子はぶるりと震えた。気温が下がってきたせいか、禊で水をかけられたせいか、寒くなってきた。髪もまだ湿っているから、風邪をひきそうだ。
桃子はベッドからシーツを引っ張り下ろして身体に巻き付けてずるずると移動する。右側の扉を開くとトイレがあった。洗面所はトイレの手前に設備されているようだが、椅子を持ってこないと届かない。桃子は一度ベッドにシーツを戻すと、机の前から椅子を押していく。
五歳児には大変だ。思ったよりも重くて、床にガタガタ足がひっかかったが、なんとか洗面所まで運び込めた。椅子によじ登ると洗面所の上につま先立ちして、上の戸棚を開く。手を伸ばしてごそごそ探ると柔らかなものに手が触れた。なんだろう?
ひっぱり出してみれば、タオルが何枚も出て来た。桃子はその内数枚を出すと、椅子はそのままにして部屋に戻る。
他に使えそうな物、使えそうな物。シーツだけじゃ心もとないなぁ。ベッドの上に敷かれていたシーツと上にかけるシーツを合わせれて、さらに洗面所から拝借したタオルを繋げば、二階までなら届くかもしれない。けれど五歳児の桃子では、自分の身体を長時間支えることは難しいだろう。
でも、最後の手段はそれしかないかな。いざとなったら……うん! そう決めてしまえば後は様子見だ。桃子はベッドの下にタオルを隠す。汚れてしまうけど、掃除の手を抜いているのだから、ここなら見つからないだろう。
逃げ出すにしてもタイミングが大事だもんね? 神殿から外に出てしまえばこっちのものだもん。後は街の人に助けを求めればいい。それまでに捕まりさえしなければいけるはず。
「……それにしても、寒いなぁ」
桃子は寒さに耐えかねて、ベッドにかけられていたシーツもはぎ取って自分に巻きつけた。後はもう何も出来ることはなさそうだ。疲れちゃったし、お腹が空く前に寝ちゃえ。
ここは潔く諦めると、ベッドにのそのそと上ってシーツの中に深く潜り込んで丸くなる。バル様の腕を想像してそっと息をつくと、閉じた瞼からぽろりと一滴涙が落ちた。
小さくなった腕でごしごしと拭う。もう泣くまいと口をへの字にして我慢する。だって、それって負けてるみたいで嫌だ。どうせ泣くなら、バル様達ともう一回会えた時がいい。
遠くから聞こえる誰かの声に耳をすませて、意識して呼吸を繰り返す。大丈夫、頑張れる。だってずっと一人で頑張って来たんだから、今度もきっと出来る。
こうして、桃子のひとりぼっちの戦いが始まったのである。