38、モモ、目と耳を使う~五歳児だって戦う術はあるのです!~前編
「軍神様、今日はお疲れでしょう。廊下で侍女としてお付けした者達が待機しています。お部屋までご案内致しますので、今日はゆっくりとお休みください」
おじさんは満足そうな顔で席から立ち上がると、桃子を扉の外に促す。まるで逃げ出さないように見張られているようだ。桃子は与えられるプレッシャーと、重さに耐えかねて、フォークをお皿に落としてしまった。その瞬間、大神官の眉が一瞬顰められる。
「マナーもお教えした方がよろしそうですな。……まぁ、今日はいいでしょう。明日からは失った知識を取り戻すために専属の者をお付けしますから、少し忙しくなりますよ」
「うん……?」
「では、また明日の朝食で」
「おやすみなさい?」
桃子は首を傾げてよくわかっていない振りをすると、挨拶をして椅子から飛び降りた。内心はこのご飯の怨みは忘れないかんね! と固く決意していた。塩の塊を食べているのと変わらない食事はもはや荒行だ。今なら悟りも開けるかもしれない。……嘘です、言いすぎました。俗世の煩悩にまみれて生きてるよ。今一番の願いはバル様達との再会だもん。
でもこのおじさんも神様に仕えているわりには、108では足りないくらい煩悩だらけな気がする。お姉さん達に給料も払わないで雑用させたり、子供を攫うように指示したり、これじゃあ悪者の親分だよね。叩けば埃が舞うほど出てきそう。
扉の脇に控えていた若い神官さんから気の毒そうに見られた。優しそうな顔立ちの眼鏡の青年だ。視線を向けると、無言で扉を開いてくれる。
「ありがとー……」
小さな声で伝えると、ぱっと視線を逸らされた。悪の親分のような大神官が支配する神殿でも良心的な人が居たことが嬉しかっただけなのに、なんでだろう? 修行の一種?
桃子はわかっていなかった。幼子の無垢な瞳が、青年の罪悪感をバシバシ連打していたことを。そして、この些細な出来事が後に桃子を救うきっかけに繋がる。
扉から出ると無言で待っていたお姉さん達が即座に踵を返す。桃子は再び忙しく足を動かしながら、そっと目を動かして周囲から情報を拾う努力をする。
廊下では神官服を着た男女が行き来しているので、女人禁制の場所ではないようだ。祭壇のあった場所は天井が高くて、太い柱が何本も立っていた。その場所から出た時に階段を下ったので、あの祭壇があった部屋はたぶん一階ではないはず。禊をしてから食事をした場所は同じ階だから、今居るのは一階になるのかな?
こういう建物が何階にあるのかわからないけど、高層ビルほどの階数はないのだから、多くても五階くらいと考えて、場所によっては窓からとか逃げられるかも。そう考えていたら、お姉さん達が階段を上がっていく。
桃子は落ちないように慎重に階段を一段一段上がる。けれど歩幅の差がそこで出た。置いて行かれそうで、焦っていると一番後ろにいたお姉さんが気づいてくれた。
「……上りにくそうですね? 私がお運びしますわ」
人目を気にしたのか丁寧な口調でそう言われて、だっこされる。でも目が笑っていなかったよぅ。もたもたするなって、また怒られるかも……。せめてこれ以上は怒らせないように大人しくしていると、踊り場に差し掛かり、折り返しでさらに上まで上がっていく。そして一番上の階までくると廊下を進んで白い扉の前で下ろされた。
「あー、もう重かった!」
「お疲れ様。明日も早いんだし、さっさと寝ましょ」
「そうね。アタシは明日休みだからゆっくりしてるけど」
「ってことは、この子の面倒私達が見なきゃいけないわけ!? ほんと面倒!」
「適当にやっとけばいいでしょ。雑用させられるよりはいいわよ」
「そういうこと。──ほら、ぼさっとしてないで、あんたは中に入りなさい。鍵をかけなきゃいけないんだから」
「……うん」
桃子は背中をせっつかれて、ドアノブに飛びついてドアを開くと中に入る。すぐに扉が閉められて、鍵がかけられる音がした。足音が遠ざかっていく。試しにドアノブに飛びついて回すものの、やはり開かなかった。見張りを付けないかわりに、閉じ込められたようだ。