357、モモ、囁かれる~ぎゅってされると寂しさも減ってく気がするの~
カッ! と効果音がつきそうな目覚め方をした。けれど、桃子の開いた瞼はゆるゆると落ちていく。……ぬくい。バル様の腕のなかにすっぽりおさまっているから、温かくて安心しちゃうの。なのに、心の中には夢の欠片が残っているみたいで、少しだけ喉が詰まるような寂しさを感じた。桃子はそろそろと顔を上げてバル様の様子をうかがう。まだ深く眠ってるみたい。耳をすませば静かな呼吸が聞こえる。
桃子はそろりとシーツの中に潜ると、バル様の胸元におでこをちょこんと押しつけた。すると、背中に回されていた腕にぐいっと身体を引き寄せられる。その前振りのない動きに心臓と一緒にびくぅと飛び跳ねる。そわそわとバル様を振り仰げば、黒曜石の瞳はすっかり開かれていた。
「ああああの、バル様いつから起きてたのっ?」
「最初からだな」
「たぬき寝入り!? ちっともわかんなかったよぅ」
ぽかんとしている桃子を見て、バル様が頬を大きな手で覆うように撫でてくれた。甘やかすような眼差しと仕草に、桃子は大きな手にすりっと擦り寄って素直に身を預ける。猫ちゃんの気持ちがわかっちゃうなぁ。
「怖い夢を見たのか?」
「ううん、ちっちゃい頃の夢。この身体と同じくらいの年齢になって、お母さん達が帰ってくるのをずっと待ってたの」
どんなに待ったところで帰って来ないのに。桃子は心の中に浮かんだ言葉を飲み込むと、へにゃりと笑う。出発の朝にこんな話はよくないよね! 今日も元気な桃子さんでいないと、バル様が心配しちゃう。それなのに、バル様はすべてわかっているかのように目を細める。
「それは、寂しかったな」
「……うん……でも、バル様はちゃんと帰って来てくれるよね。だからいつも、お帰りって言えるのが嬉しいの」
相手がいて初めて言える言葉だもんねぇ。でも、こんな反応はお子様過ぎちゃったかな? 恥ずかしく思いながらも、桃子は小さな秘密をすっかり打ち明けてしまった。すると、バル様の目にゆるりと熱が宿る。鮮やかな変化に見惚れていると、額に唇が触れた。ちゅっとリップ音がして、ぼっと桃子は赤くなる。
「またちゅうされちゃった!」
「……またとは、誰のことを言っている?」
桃子の言葉に違和感を感じたのか、バル様の目がすぅっと細められた。黒曜石の瞳から熱が消えて、お部屋の温度が急に下がったような気さえする。桃子は慌てて自分の口を両手で押さえた。しかし、ふよりと目が泳ぎ出してしまうのを隠せない。そんな桃子の耳元で美声が囁いてくる。
「モモ、その隠しごとは見逃せない」
「ひぅっ! さ、さっきの話には続きがあってね、軍神様が夢の中から連れ出してくれたの。ルクルク国は他の神様の力が妨げられちゃうんだって。だから、加護者である私との繋がりを強くするために、そのぅ……おでこに証として……バル様、怒ってる?」
「いいや、不快ではあるが、モモに対して向けた感情ではない。……相手が神とはいえ、油断ならないということか」
「うん? ゆだん?」
「気にしなくていい。軍神が与えた証というのは、モモの額に出ているモノのことか?」
「えっ、浮かんじゃってる?」
「自分では見えないか」
バル様は桃子を抱き上げてベッドを下りると、そのまま洗面所の鏡の前に連れて行ってくれた。前髪をあげてみれば、不思議な印がおでこで金色に発光している。ひし形でお花と剣が絡み合う模様はなんだか可愛い。桃子はおでこを両手で触りながら、首を傾げる。
「軍神様は自分の意志で現したり消したり出来るって言ってたけど、なんで今おでこに出てるんだろう? って、言ってたら消えてきたねぇ。うん、ツルツルおでこ!」
「定着していなかったのかもしれないな。モモ、意識してその印を出せるか?」
「うーん、意識……ナムナム」
どうしたらいいのかわからなかったので、目を閉じて両手を合わせながら念じてみる。あっ、なんかセージが額に集まってるみたい! ぼんやり熱を感じたので目を開いていくと、鏡越しにおでこに浮かぶ印が見えた。
「出来たよ、バル様!」
「ああ、上手いぞ。今度は消してごらん」
「スー、ハー……やったっ、ちゃんと消せたの!」
「セージは消費されているのか?」
「額にセージが集まっただけみたいでね、全然減ってる感じはしないよ」
「そうか。ならば状況から考えて、セージを額に集中させることが印の出現条件とみていい。軍神はモモがセージのコントロールを身につけたことを知っていたから、このタイミングで印を授けたのだろう」
コントロールが甘くて水をかぶったり、勢いがよすぎて後ろに転んだりしていたのを見られちゃったのは恥ずかしいけど、ディー達と頑張ってよかった! 思わぬところで特訓の成果が繋がったようで、桃子は嬉しくなった。
「さて、印の謎も解けた。身支度を整えるとしよう」
「はぁい。バル様のおかげで事件も無事に解決だねぇ」
「朝からなかなかの難事件だったな」
バル様はうっすらと笑うと、左腕で桃子を抱えたまま壁の紋章に手を翳した。




