356、モモ、触れ合いを求められる~印ってお守りみたいなものかなぁ?~
ひよこ柄のパジャマを着こんだ桃子は、玄関前の上がりかまちに腰かけてぶらぶらと両足を動かしていた。ときどき祖母が「明日も幼稚園だから寝ないといけないよ?」と柔らかな声をかけてくれるのに、「もうちょっとだけ」と我儘を返して、目の前のドアが開くのをずっと待っていた。何日も帰ってこないお母さんとお父さんにどうしても会いたくて。
──……か……しゃ……。
「おばあちゃん?」
後ろからなにか聞こえた気がして桃子は振り返る。けれど廊下の先にはリビングから射す灯りが見えるばかりで、祖母の姿はない。気のせいかと思って首を傾げた桃子が視線を戻すと、目の前に見たことのない格好をした背の高い男の人が立っていた。桃子は帽子の間からきらきら零れる金髪に、思わず立ち上がって歓声を上げる。
「わぁっ、おほしさまみたいなかみ! おにいちゃん、だぁれ?」
「まだ夢の中を意識がさまよっているか。我が加護者よ、目を覚ますがいい」
大きな手で頭を覆われると、一瞬で頭の中がすっきりする。パチクリと瞬きすれば、桃子の心が五歳から十六歳に戻り、目の前の存在が誰なのかわかるようになっていた。
「えっ? あれっ? 軍神様?」
相手の正体に気づけば周囲の様子が一変することになった。床も壁もぐにゃりと歪んで煙のように消えていく。ふっと足元の感触を失ったかと思えば、目の前に現れたのは青い空だった。桃子は軍神様と一緒に空に浮いていたのである。足元を見下せば岩肌が剥き出しの荒廃した砂漠だ。空を飛んでる!? と、ひたすらぽかんとするばかりの桃子に、軍神様が落ち着かせるように物静かな口調で言う。
「モモよ、そなたに伝えるべきことがあり、夢を介した。心して聞くがよい」
「は、はいっ」
桃子は気をつけの姿勢になる。軍神様の厳かな雰囲気に緊張してきちゃう! 顔にも自然と力が入ったまま、桃子はその話に耳を傾ける。
「ルクルク国にそなたが留まる限り、我が目は曇り、我が耳は塞がれる。あの国を覆う鍛冶神の加護の力が、他の神の力を弾くためだ。あるいは、より強き力でもって我が降臨することは出来ようが、鍛冶神がどのような反応をするか見当がつかぬ。好戦的な神であれば戦うことになろう。しかし、それを我が加護者は望むまい」
「みんなが争わずに仲良くするのが一番いいと思います。だから、私自身も軍神様を呼ばなければいけない状況を作らないように、ものすんごく気をつけますので!」
「そなたの考えは理解した。しかし、どれほど気をつけようと防げぬこともある。よって、我は我が加護者との繋がりをより強固なものとする」
足元がふわふわ浮いて軍神様に顔が近づくと、桃子の額にふわりと何かが触れる。ちゅっと音がしたと同時に虹色を帯びた白い光に包まれた。眩しさにぎゅっと目を閉じたら、優しい感触が離れていく。そこで、ようやくなにをされたのか気づいた桃子は目をまん丸くして固まる。軍神様にちゅうされちゃった!?
「あの……今のは……?」
「人間はこのような触れ合いを好むのであろう? 我も加護者を理解するために、人間を観察して学んだのだ。今の行為は第二王子を真似たが、悪くない」
「はうっ、すんごく繊細なところで誤解が生じていませんか!? その、人間もこういう触れ合いは親しい相手とか、大切な相手にするものですよ?」
「我が加護者は特別な相手に当てはまる」
「それはありがたいですけども!」
間違ってないのになにかが決定的に違うのーってと叫びたくなる。だって、スキンシップって人によって感覚が違うことだもん。しかもこの世界は元の世界と違うから、これが普通の可能性もあるよねぇ? 女の人が道端で男の人にちゅってしてるのも見たことあるの。だから、悪いことですとは言いきれない!
今のは親愛のちゅうだってわかっているから、嬉しく思っちゃうのも事実だし、でもなんだろうこれをバル様に見られちゃうととんでもないことになりそうな予感が……眉が下がっているのが自分でもわかる。助けて、レリーナさーんっ! 桃子は心の中で頼りになるメイドさん兼専属護衛さんに助けを求めた。そんな桃子の混乱ぶりに気づかない様子で、軍神様のお話が本題に突入してしまう。
「これをもって強き加護を印として授けた。普段は見えぬものだが、そなたが意識すれば浮かび上がるものぞ。これがあれば、我はそなたの声を拾い、姿を見つけ出せよう」
「おおっ、すんごく強力なお守り! 軍神様、ありがとうございます。とっても心強いです」
そういう理由があるなら大丈夫、だよね? スキンシップに恥じらいがある国の生まれだから私が勝手に恥ずかしがり過ぎちゃっただけで、軍神様は私を心配してくれてお守りを渡すためにちゅうしただけだもんね? ね? 桃子の中の五歳児がだいじょうぶ~と白判定を下す。あっさり納得した桃子は、印と呼ばれるものを受け取らせてもらうことにした。
バル様も軍神様もすんごく慎重派! まず安全を第一に考えてるんだろうねぇ。私もわくわくする気持ちを七十パーセントくらいに抑えなきゃ。桃子が抱っこされたまま感謝の気持ちを伝えると、軍神様の赤い瞳が細められた。表情は変わらないけど、雰囲気が笑っている。バル様もあんまり表情を変えないから、似ている神様もなんとなくわかるようになってきたのかなぁ? ピコーンッ、桃子は特殊能力を手に入れた、かも! 内心こっそり盛り上がっていると、視界がぼやけてきた。あっ、これ知ってるの。
「我が加護者よ、必要とあらば迷わず呼ぶがいい。鍛冶神と戦うも一興よ」
軍神様も意外と好戦的!? 不穏な一言にびっくりしたまま、桃子の意識は沈んでいった。




