353、モモ、整える~出発前日は心残りをなくすべし~前編
いよいよルクルク国への出発が明日にまで迫ったよ! これからしばらくジュノール大国から離れるので、桃子は心残りのないよう最後の一日を過ごした。
午前中は孤児院にお邪魔して、ギル達と一緒に遊んだの。保護された子達も鬼ごっこで元気に走り回っていたから安心した。もう大丈夫そう。そうして全力で遊んだ後に、ギルにはしばらく来れないことを伝えたんだよね。バル様からルクルク国に行くことはルイスさんとギャルタスさん以外には伏せるように言われていたから、詳しいことは内緒にして。
だけど、ギルには「どこか行くのか?」「本当にまた来るのかよ?」って、かなり問い詰められたの。だけど私は嘘が下手くそだから、咄嗟に言葉が出てこなくて困っちゃったんだよねぇ。
そこで助けてくれたのが、ジャックさんだ。ギルの腕を掴んで無理やり離れた場所に連れて行ってなにかを話していたみたい。そうして戻ってきたらギルは「悪かったよ。もう聞かない」そう言ったきり、本当になにも聞かれることなく孤児院を後にした。不思議に思って、帰り道でジャックさんになにを話したのかと聞いたら「ギルも男ってことだよ」なんて訳知り顔でうんうん頷いていたの。
よくわかんないけど、なにもボロを出さずにすんで一安心。バル様は周囲に漏れる情報の伝達速度を遅らせるためにそうするんだって言ってたからね。辺境の地にいるっていうバル様の大叔父さんを警戒してのことなんだろうねぇ。でも、レリーナさんが言うには街の中で微かな噂が流れているらしいの。明日の朝にはジュノール大国からの親善大使として大々的な出発となるから、むしろここまで隠せていたことがすごいのかも。ルーガ騎士団の人もお城の人もお屋敷の皆も口が固いの!
そうやって午前中を有意義に過ごした桃子は、昼食を食べるとジャックさんに勧められるがまま、さびしくなった花壇に種をまくことにしたのである。土をスコップで軽く耕して、柔らかくなったところに指をずぼっと指してたら、気持ちいいほどすんなり穴があくものだから、心の中の五歳児も楽しくなっちゃってたくさん作り過ぎちゃった。もっと穴をあけたがる小さな自分を宥めながら、スコップでぺしぺしと土を整えて春祭りの時に買った謎の種を埋めてみたの。
異国の種って聞いてるから、どんな花が咲くのか楽しみだねぇ。これでルクルク国からお屋敷に帰ってきた頃には、きっと花壇が華やかになっているよねぇ。お水をあげるのはお屋敷の皆に頼ることになっちゃうから、そこだけは手間をかけさせちゃって申し訳ないけど。
レリーナさんとジャックさんにちゃんとお願いしておいた。やりっぱなしなお子様でごめんね。今度はもっと計画的に行動します。そこまで考えたところで気づいちゃったことがあるんだよ。ジャックさんの方が女子力が上かもしれないってこと! 私はルクルク国のことで頭がいっぱいで、花壇のことをすっかり忘れちゃってたんだよ。もっと女子力を研かないとねぇ。
そして夕方になる頃、桃子は明日着る服の最終確認をバル様のお部屋で、レリーナさんとジャックさんと一緒に行っていた。バル様の不在中にお部屋に入らせてもらうのは遠慮があってあまりしないんだけど今回だけは特別である。
「お洋服よーし、靴下よーし、首飾りの箱もよーし、ポシェットよーし、後の荷物は運んでもらったから、これで準備は完璧だね!」
桃子は椅子に置かれた服の上に、膨らんだポシェットを乗せて満足そうに頷いた。中にはキャンディーと巾着が入っており、キャンディーはおやつ用と一緒に同行してくれる人達にもおすそわけしようと多めに入れてあった。巾着の中身はもちろんお金。おみやげを買うチャンスがあったら逃さないの! 遊びに行くわけじゃないってわかってるけど、せっかく他国に行くんだから皆になにか買ってきたいからねぇ。
「モモ様とバルクライ様のご正装については荷にまとめてお城にお運びいたしました」
「ありがとう、ご苦労様でした!……あのね、二人にちょっと聞いてもいいかな? その、私達と一緒にルクルク国に行ってくれる人達は、どんな感じの人達かわかる?」
桃子が指を落ち着きなく組み合わせながらレリーナさんとジャックさんを見上げると、二人は柔らかく表情を崩した。
「屋敷のみんなと離れるから心細いのかい? 大丈夫だよ、業務の引き継ぎってことで、オレ達がしっかり侍女の人達の様子を確認させてもらったからね」
「大変残念ではございますが、私達はモモ様とバルクライ様のお供を出来ません。ですから、代わりをつとめてくださる侍女の皆様には、お二人のお食事のお好みやお人柄をじっくりとお伝えいたしました」
「……じっくり?」
「ええ。それはもうじっくりこってり」
こってりまでついちゃうほど!? レリーナさんの秘密めいた微笑みにジャックさんは幸せそうな表情で胸を押さえてる。ときめいちゃったの? 私もバル様に微笑まれると胸がどきどきしちゃって、頭はふわふわしちゃうから一緒だよねぇ。やっぱり特別な人の前ではいつもの自分じゃいられなくなっちゃうものなのかなぁ?
恋愛初心者の桃子には、今の状態が恋する人がみんなが通る道なのか判断がつかない。ただ今思うのは……侍女の皆さん、こちらの美人なメイドさんがすみません。どんな風にお伝えされたかはわからないけど、迷惑をかけないように気をつけるから、よろしくお願いしたいです。という気持ちである。だってね、どんな風に説明したのか想像が出来ちゃうんだもん!
細やかな心遣いをしてもらってありがたさも感じてるんだけどねぇ。レリーナさんの状態を的確に表す言葉がある気がするの。クラスの子が前に言ってた……すし? ぽんっとお寿司が頭に浮かぶ。マグロ、サーモン、ほたて、そして絶妙に合う酢飯! 口の中に唾液がじわっと出てきて、無性にご飯が恋しくなっちゃった。五歳児がすし職人の恰好をして玩具のお寿司を乗せている。お寿司もしばらく食べてないなぁ。食欲に気持ちが持っていかれていると、顔の前で大きな手がひらひらと振られていた。
「モモちゃん、ぼんやりしてどうした? お腹がすいてる?」
「うん、すいてるけどまだ我慢できるよ。もうすぐバル様達が帰ってくるから、玄関で待っててもいいかな?」
「ロンさんがお知らせくださいますが、それよりも前に、ということですね。モモ様のお気持ちのままに」
「ありがとう!」
桃子は浮かれた声でお礼を伝えると、ジャックさんが開けてくれたドアから廊下に出た。うきうきした気分で弾むような足取りのまま階段を下りている途中で思い出す。……あっ、お寿司じゃなくて推しだ! ということは、レリーナさんは桃子推し? そう思いついたら面白くなっちゃった。くふふっと口元を両手で隠して笑いながらとことこと階段を下りる。




