344、モモ、眠気が吹っ飛ぶ~忙しい一日のしめが穏やかなものとは限らない~
その日の夜、ルーガ騎士団で魔法の練習をめいっぱい頑張った桃子は、うつらうつらと重くなる瞼に抵抗しながら、バル様のベッドの中でバルチョ様を抱えて、【始まりのルーガ】を読んでいた。
「むぅー」
眠いけどー、眠りたくないよー。バル様とー、お話ししたいのー。カクッと落ちそうになった頭をぶんぶんと振って眠気を飛ばしていると、視界の端でバル様が動くのが見えた。
お仕事が終わったのかな? 桃子はいそいそと本を片付けると、バルチョ様をきゅっと抱きしめる。バル様は読んでいた書状のようなものを金箔が施された豪華な筒に丸めて入れた。金がついてるのなんて初めて見たよ。とっても重要な感じがするよねぇ。
バル様がため息をついて立ち上がるとこちらにやってくる。そうして、自然な仕草で桃子を抱き上げるとベッドに座って膝に乗せてくれた。心の中の五歳児がわーいっ! とはしゃいで、十六歳の桃子は眠気に負けないくらいどきどきと心を高鳴らせている。バル様の綺麗なお顔を見上げれば、うっすらと眉間に皺を寄せていた。
「どうしたのー? 難しいお顔をしてるねぇ」
「体温が高いな。眠いのか、モモ? オレを待たずに眠っていてもよかったんだぞ」
「今日はいっぱいお話ししたいことがあったの」
「そうか。しかし、モモの話を聞く前に重要な知らせがある。ルクルク国より使者が来たことはモモも知っているな?」
「うん。ドラゴンに乗って飛んでるのを見たよ。正式な使者は後から来るって教えてもらったけど、もうジュノール大国に来ているの?」
「ああ。陛下にルクルク国の女王の書状が渡った。そこで、オレに陛下より王命が下った。親善大使となり、ルクルク王国に親書を届けよとの仰せだ」
「ええっ!?」
眠気も吹っ飛ぶお話に、膝からバルチョ様がぽろりと落ちた。ベッドにこてっと突っ伏したバルチョ様の状態が今の桃子の心情を正しく表してくれている。だって、急過ぎるよぅ! 害獣討伐から帰って来てくれてまだそんなに経ってないのに……。五歳児が心の中で泣きそうになっている。じわーっと滲んで来た涙を我慢して、桃子はへの字になりそうな口元を頑張って引き上げた。必死に笑顔を作る。バル様を困らせちゃダメだから、我慢……っ。
「……うん、大丈夫なの。今度もちゃんといい子で待ってるね」
「いいや、そうではないんだ。今回はルクルクの女王より、オレとモモを共に招待したいと書状に記されていた」
「私も?」
「ああ。相手は義母上の祖国であり同盟国でもあるため、陛下は受けることが利となるとお考えなのだろう。オレは第二王子として陛下のご命令に従わねばならない。だが、加護者のモモには選ぶ権利がある。だから、考えてほしい。……オレと共にルクルク国へ行ってくれないか?」
そのお誘いの意味をしっかりと理解した途端に、桃子の心は喜びで弾ける。今度は嬉しさに目を潤ませながら大きく頷いた。
「うんっ、行く! 私も一緒に連れてって、バル様」
「モモが望んでくれるのならそうしよう」
バル様が穏やかに頷いてくれる。嬉しくて心の中で五歳児もバンザイして大喜びなの! 踊り出したくなるほど心が弾んじゃう。どんな国なんだろうねぇ。女王様の住んでる女の人が強い国っていうのは聞いてるけど、食べ物とか服装も違うのかな? 街の雰囲気はどんな感じなんだろう? そんなことがぽこぽこと思い浮かんじゃうくらい、嬉し過ぎて心がふわふわする。桃子はバルチョ様を抱っこし直すと、わくわくする心を押さえるようにもふもふの身体をぎゅっと抱きしめた。
「どうしようっ、楽しみで眠れなくなりそうだよ! バル様バル様、いつ頃出発になりそう? 服とか準備しなきゃ! えっと、それから──……」
「出発は一週間後だ。まだ時間はある。荷物の用意に関してはレリーナ達に任せれば間違いないだろう。モモはただオレと共に来てくれればいい。ただ、今回はオレは親善大使としての、モモは加護者としての立場がある。そのため、モモには窮屈な思いをさせてしまうこともあるだろう」
「加護者らしくすればいいんだよね? バル様と一緒に行けるなら、いくらだって頑張っちゃうよ。女王様に会った時の練習もしておくの」
「ふっ、頼もしい加護者だな。それと、今回はレリーナとジャックはモモの護衛から外す。陛下が城の騎士と侍女をオレ達につけるはずだ」
「じゃあ、レリーナさん達は一緒に行けないの?」
「気質が違うものを同じ場所に置くのはもめ事の元になるからだ。城の騎士は貴族で構成されている。彼等はいい意味でも悪い意味でも矜持が高い。レリーナ達とは合わないだろう。だが、人選についてはモモが安心出来る相手を選ぼう。任せてくれるか?」
「……うん!」
「いい子だ。オレはルクルク国に発つ前にやるべきことを片づけておこう。モモは体調を崩さないように」
「はぁい、気をつけます!」
「後は……バルチョにはルーガ騎士団でオレの代わりを頼もうか」
「バル様の?」
「ああ。正式な代理はキルマとカイに任せるつもりだが、執務室におよそ一月も団長がいないとなれば団員の士気にもかかわるだろう。そこで、モモがいいと言ってくれるなら、バルチョには執務室に詰めてもらえれば助かるんだが?」
バル様の静かな美声は淡々としたものだけど、中身は悪戯心が溢れるものだった。桃子は楽しくなる。執務室を開けたらバルチョ様が椅子の上にででーんといたら、団員さん達もびっくりしてくれそうだよねぇ? ディーは面白がると思うけど。桃子は笑って頷いた。
「うんっ、いいよ。バル様の代わりを務めるなら重大任務! ──バルチョ様、頑張ってね?」
バルチョ様の顔を見つめると、円らな黒い目がわかったと返事をするように力強く輝いて見えた。バル様がバルチョ様の頭をぽんぽんと優しく撫でてくれる。
「モモは明日どう過ごす?」
「ディーとリキットと約束してるの。一緒に魔法の練習をしようって。だから、三日間はルーガ騎士団にお邪魔させてもらうよ。約束と言えば、カイともしているけど、ルクルク国に行く前にみんなでご飯を食べられそうな日はあるかなぁ?」
「ルクルク国に発つ前日はどうだ?」
「私はいつでも大丈夫だけど、バル様達がものすんごく忙しくなっちゃってない? 無理そうならルクルク国から帰ってきてからでも全然大丈夫だよ?」
「予定のすりあわせが必要だな。二人にも聞いておこう。明日は帰りが遅くなる。モモは待たずに先に寝ていなさい」
「はぁい。バル様はさっそくお仕事?」
「それもあるが、予定を調整して明日中にガーケット伯爵へ会いにく。彼が領地に戻る前に確かめたいことがある」
バル様の言葉に、桃子は抱えていたバルチョ様と一緒に首を傾げた。




