335、バルクライ、部下を鍛える 後編
バルクライはモモの小さな手を取ると、自分の手で覆ってその上から優しく握り直す。
「モモの欲張りは、オレを嬉しくさせたようだぞ」
「……バル様」
ほっとしたように力の抜けた表情でモモが笑う。……不器用な甘え方だな。バルクライは胸の中に言葉を落とす。モモは感情が隠せないため、バルクライのように人の心の機微に疎い人間にも表情や態度で伝わることは多い。だから、以前よりもモモが信頼を寄せてくれていることはわかっているのだ。たとえその好意の色が今は違おうとも構わない。ゆっくりとその心を開いてくれれば、オレが同じ色に染めていく。
バルクライが熱を帯びた感情を押し隠していると、間延びした声が上がった。
「いやぁ、モモちゃんって本当にいい子だなぁ。僕が子供の頃なんて笑えるほど悪ガキだったよ? 魔法の研究だーって、家のものをぶち壊しては師匠にゲンコツをもらってたもん。それはさておき、はい、レリーナちゃん。この人形は君のものだよ」
手渡されたモモ人形を恭しく受け取ったレリーナが、人形の頬を指先でつついて頬を紅潮させて幸せそうに微笑む。
「はああっ、なんて素敵なのでしょう……っ。ここまでモモ様の愛らしさを表現していただけるなんて……!」
「オレは、レリーナさんも、あ、愛らしいと思います!」
「いや、こいついきなりなにを宣言してんだ?」
「ディーカル、彼のこれはいつものことですよ。──ところでレリーナ、私にも触らせていただけませんか?」
「どさくさまぎれに、あんたもなに言ってんだっ?」
「いいじゃないですか。私だってただの人形には微塵たりとも興味などありませんよ。ですが、それがモモを模したとなれば話は別です」
「可愛らしいものは癒されますものね。私もいいかしら?」
キルマとマーリも興味を持ったようで、レリーナから貸してもらった人形の感触を確かめている。そんな賑やかさに気を失っていたリキットも意識を取り戻したようだった。
「触った人は後で感想をよろしくー。さて、これで一つ目の用事はすんだ。じゃ、お使いの品も渡しておこうかな。これがご注文の品だよ。お兄さんが使用者だね? この腕環と指輪がセージの制御につかう装飾品だよ。どちらでも好きな方を使っていい。これさえ着けていれば、夜は安眠出来ること間違いなし! 無意識にセージが溢れても微量しか出ないように自動調整されるからね」
パーカーはこちらに歩み寄ると、今度はズボンのポケットから赤い指輪と銀色の腕輪を取り出して、ディーカルに差し出す。ディーカルは両方を受け取ってしげしげと手にとって眺めている。
「なんでセージを完全に封じねぇんだ?」
「そんなことしたら君は一人でトイレも行けなくなるよ。それじゃあ、困るだろ?」
生活魔法にセージはかかせない。料理や風呂などもそうだが、部屋の明かり一つにしても微量のセージが必要なのだ。当たり前にあることだからこそ忘れがちな事実を目の当たりにしてディーカルが納得したように頷く。
「すっかり忘れてたぜ。そういうことにもセージは必要だったな。じゃあ、こいつはありがたく使わしてもらうわ。──おいっ、リキット、お前は腕環の方でいいよな?」
「なんでもいいので大声は止めてくださいよ。こっちは満身創痍でへとへとなのに、隊長はなんでそんなに元気なんですかっ?」
「あ? これでもダリィぞ。セージがほとんどねぇ感じだ。後は基礎体力の差だろ。お前ももっと体を鍛えるんだな」
「あんたの化け物みたいな体力と一緒にしないでください!」
「リキットもそれだけ反論する元気があるのなら大丈夫だ。自分が保証しよう」
「午後の扱きも仲良く頑張ろうぜぇ。──へぇ、この指輪いいな。ドラゴンと剣でデザインされてんのか。ルーガ騎士団の紋章をモチーフにするとはわかってんなぁ」
「ディー、私にも見せてー」
モモがバルクライと手を繋いだまま、左右に身体を揺らす。どうやらまだ手を離したくはないようだ。
「ほれ。どうよ、似合うか?」
「うんっ、おしゃれさん! ディーはピアスいっぱいつけてるから、そういう指輪も似合うねぇ。リキットも格好いいよ!」
「そ、そうですか?」
「いいセンスしてるでしょ? デザインを考えたのも僕なんだよね。それから、一つ言い忘れてたけど、その制御装置を使う時に守ってほしいことがあるんだよね。自分でセージがコントロール出来るようになったら、その指輪と腕輪は一度こっちに返してくれるかな? 万が一にも悪用されたり勝手に売られたりしないように回収する決まりになっているんだ。今回は特注品ってことで料金も頂いてるから、その後に制御部分を取っ払ってお返しするよ」
「意外としっかりした仕組みが出来てんのな? 全然知らなかったぜ」
「僕もです。魔法が暴発しない限りは使う必要がありませんからね」
感心したようにそれぞれ指と腕に嵌めた制御装置を眺めているディーカル達から視線を戻すと、バルクライはパーカーに感謝を伝える。
「──手間をかけさせたな」
「気にしないでいいよ。言っただろう? ついでだってね。本題はこっちさ。いい機会だし、これから少し時間を頂けないかな? ジュノール大国の未来についてどう考えているのか、ルーガ騎士団師団長のご意見をぜひともお聞きしたくてね」
ふざけた誘い方に見せかけているのだろうか。瞬きの間に消えた真摯な目の色に、バルクライはこの場では話せないことがあるのだろうと察する。
「……いいだろう」
「快く応じてくれて嬉しいよ」
パーカーが上機嫌に笑う。バルクライは魔法の使用で消耗しているだろうモモにセージを与えると、小さな手をそっと離した。本当は連れて行きたいところだが、モモをこの男に近づけさせるのは得策ではない。キルマに目を向ければ、瞬きに隠した頷きが返される。副師団長のキルマが鍛錬場まで直接パーカーを案内したのは、魔法開発部の総責任者という男の立場を重く見たという理由以外に、その動向を見張る目的があった。
バルクライはモモに視線を合わせる。
「急ですまないが、オレはここで抜ける。モモはこれからどうしたい?」
「お邪魔じゃなければ、もうちょっとディー達と一緒に魔法の練習をさせてほしいの。さっきの暴発についてもね、ちゃんと知っておきたいし」
「そうか。ならば昼食はこちらで取れるように頼んでおこう。──レリーナ達はモモを、ダナンとマーリは後の指導を任せたぞ」
「はい、いつも通りに」
「任せてくれ、旦那」
「私達もビシバシ指導いたしますわ」
「セージのことは自分が常に見ておきます」
四人の責任感を感じさせる返事を聞いて、バルクライは確信する。これなら、こちらは大丈夫だな。バルクライがパーカーを振り返ると、キルマがすかさず提案する。
「大事な話は適切な場所でいたしましょう。お二人ともそれでよろしいですね?」
「ああ」
「僕はどこでも構わないよ」
──二年前、未遂に防がれた事件。そこには、ルーガ騎士団内部の人間と当時の魔法開発部の総責任者が深くかかわっていた。それを内部告発により未然に防ぎ、現在の地位に上り詰めたのがこの男である。パーカーの行いは功績と言えるだろう。しかし……それはこの男を信頼する理由にはならない。読めない笑顔を浮かべるパーカーに、バルクライは無表情の裏に警戒心を隠した。




