322、モモ、耳を傾ける~欲しいものを我慢するには強い心が必要です~後編
「これはオレが生まれる前の話だ。前国王が病に伏して僅か半年で亡くなった為に、父上は齢十七で王となった。しかし、父上が王位を継承するのは若すぎると一部の貴族達が懸念を示した。そこで父上の宰相として前国王の兄─ザイロスをつける案が上がった。オレにとっては大叔父にあたる男だな」
「前国王様のお兄さんなのに、王様にならなかったの?」
「時代や国によって違いはあるが、王が次代の王を指名することはままあることだ」
「第一王子だから王様になれるとは限らないんだね」
「そうだ。だが、権力とは己を律せない者が手にすると、その者をどこまでも強欲に変える。王は国を守るために王の器に相応しいものを見極めねばならない。父上はザイロスの目の中に欲を見たため、宰相の案をお認めにならなかった。ザイロスの王座に対する強烈な執着が発露したのはこの後だ。ザイロスはあろうことか、自分の側近である貴族達を味方につけて王に反旗を翻そうと画策したんだ」
「同じ国の人同士で戦いになっちゃったの……?」
「いいや、父上がそうはさせなかった。味方にザイロスの息子を引きこんで、内通者として全ての情報を流させ、ザイロスが王都に入った瞬間に拘束した。幸か不幸か息子は聡明だったために、父親の行為でどれだけの無駄な血が流れるかを理解していた。だから、協力をしたんだ。その代わりに反旗を翻した貴族達全員の助命を願ったそうだ。父上はそれを受け入れ、地位のはく奪や土地の没収はしたが誰一人として命をもって罰したりはしなかった」
「約束を守ったんだね」
「ああ。それを甘いという者もいたようだがな」
「甘いのかなぁ? 私は命を奪わなかったことにほっとしちゃうよ。それで、そのこととダレジャさんの手紙がどう繋がるの?」
「大罪人となった大叔父一家は辺境の領地に封じられた。今もその土地から出ることは許されていない。それは父上がその血筋を今も危険視しているからだ。そして、そこには見張り役が存在する。その見張り役を担うのがガーケット伯爵だ。彼がこの街に来たのは父上に報告するべきことがあったためだ。ダレジャはそれを知らされたから手紙をミラに託したんだ。あの手紙にはこう書かれていた。『辺境の領地にて不可解な動きあり。他国の商人が頻繁に出入している模様』とな」
鋭く目を細めたバル様に、心がずしりと重くなった。不穏な気配が含まれた内容に、桃子はすっかり脅えて背中を丸くする。小さな身体をさらに小さくする桃子の頭をテーブル越しにバル様がくしゃりと撫でてくれる。桃子は不安に眉を下げながら、バル様を見上げた。
「怖いことが起こるの?」
「現時点でどうこうなることはないだろう。それに、仮になにかが起こったとしても、オレ達が必ず打開してみせる。ただ、オレには他国の商人という点が引っかかった。前団長の友人としての伯爵に興味があるのは事実だが、今はそちらが気にかかる。ジュノール大国は巨大な力を持つ強い国ではあり同盟を結んでいる国や貿易が盛んな国は多いが、関係を結ばない国々も存在している」
「どんな国なの?」
「大きなものを上げるのなら、イビシャス帝国という名の国だ。海の先にある対岸の大陸を支配しており、かつてはジュノール大国に並び立つ唯一の国と言われていた。しかし、皇帝が税収を無理につり上げて悪政を行い民を苦しめたとして、軍の統率者により打ち倒されることになった。後に主導者となった男が王座についたが、国は荒れて困窮し、その統治力は弱体化の一途をたどる」
「国を動かしたことがない人が皇帝様になっちゃったから?」
「技量がなかったのだろう。重臣が何人か処刑されたために、一部は他国に出奔したとも聞く。皇帝を誅するまでは正義の旗を掲げていたが、民の人心は武力では掌握出来なかったようだな」
疑問に思ったのかもしれないね。本当に皇帝様は倒されるべき人だったの? って誰かが声に出して聞けば、それは広がるはずだもん。それに、皇帝様が倒された場にいた人達は全員がその行為を心から認めていたのかな? 桃子が帝国に生きる人達のことを考えていると、バル様が淡々と言葉を繋いだ。
「イビシャス帝国は同盟国となっていた小さな国々に属国として服従を強いるようになる。そのため同盟を離脱する国々が相次いだ。その頃には帝国の基盤がいかに脆弱であるかが露呈していた。皇帝が倒れて僅か十五年で人身売買が表立って行われるような荒んだ国、それが三年前までのイビシャス帝国だ。しかし、兄上の話では、今は新たな皇帝に就いた者によって改革が進んでいるという」
「それじゃあ、新しい皇帝様はいい人?」
「情報がないから現状は判断しかねるな。しかし、国を立て直すための手腕は確かなもののようだ。これまで説明した理由から、ジュノール大国は帝国とは距離を置いている。今の皇帝は帝国の正当なる継承者であることは間違いないが、一度は家族も地位も奪われ、堕ちた身から這い上がった男だ。良くも悪くも人格や思考が凡庸であるはずがない」
「その人はどんな思いで皇帝になったんだろうね……」
「正道を選べる人間であればいい。帝国の動向は父上も注視しておられるから、オレやモモがこの時点でそう心配する必要はない。商人のことも気にはなるが、貿易ならば兄上がおられる。おそらくすでに動いているはずだ。オレも耳を澄まそう。それよりも、まずは明日のことだな。モモの魔法を見せてもらうのを楽しみにしているぞ」
「うんっ、格好いい姿をお見せしちゃうの!」
バル様は話をそう締めると、穏やかに微笑んだ。おおっ、眼福! 出会った当初と比べて、感情が少しずつ表に出てくるようになっているバル様に、桃子は生き生きと返事を返したのだった。




