313、モモ、心を知りたがる~増えていく約束の数だけ、思い出も重ねていきたい~
リンガのポシェットに、バッグ、アガン獣国からやってきたというお花の種に、葉っぱの刺繍がされたノートとペンのセット、そしてカイがくれた幸運の花。この五つの品が、今日の春祭りで桃子が手に入れた戦利品である。桃子は琥珀に輝くジュースの横にそれらを並べて、楽しかった春祭りを思い返していた。
バル様は食べ歩きで満足しちゃったのか、帰り際にチェルーの果実酒を一つ買っていただけだった。お兄さんのジュノ様がその果実酒が好きだから、おみやげにするんだって。ちなみにね、これまでのことを思い返すとある予感がしたから、チェルーってどんな果物? って聞いてみたら、店のおばさんが果物を見せてくれたんだよ。そうしたらやっぱりチェリーだったから笑っちゃった! バル様に、果物は元の世界と似た名前が多いよって言ったら、驚いていたっけ。
それにしても、ジュノ様って本当に甘いものが好きみたいだねぇ。逆にバル様はオカズでも甘口なのは苦手なんじゃないかな? 鶏肉の串焼きも甘辛いたれのものはひとかじりしたらぴくっと眉が反応してたし、それからゆっくり食べてたもん。塩が効いた方は普通にもぐもぐしてたからね! 甘すぎなければ食べられるみたいではあるけど。
「バル様の好みが少しわかったことも大きな収穫だったよねぇ」
桃子はおもむろに椅子を下りると、用意していた洋服をベッドの上から手に取る。そうして、着ていた服をぱぱっと脱いで、十六歳用の服に袖を通す。ぶかぶかの黄緑のワンピースと、ずり落ちそうになるパンツを服の上からよいしょっと手で掴みながら、長いワンピースの裾を引きずって机に戻る。そこで、椅子に座ってテーブルの上にある琥珀色に輝くジュースが入ったガラスのコップを前に表情を引き締めた。
目の前にあるのは、賭けの女神様にもらった魔法のジュースだ。だいたい二時間分のつもりでコップに満たされているそれを、腰に手を当ててくいっと飲み干す。ごくりと喉を通ったジュースがお腹に届いたのか、そう間を置かずに身体がぐんぐんと大きくなっていく。そうして服のサイズがぴったりになった桃子は手をにぎにぎして感覚を確かめると、大きく頷いた。
「準備は出来たね。バル様のお部屋に、いざ!」
本当はあの言葉の意味がずっと気になっていた。だけど、私が触れていいものなのかがわからなくて、このままでもいいよねって誤魔化すように疑問を心にしまってきた。お城でお世話になった時に、王様や王妃様からバル様のお母さんのお話を聞いてからは、その気持ちがますます強くなっていたのだ。
でも、バル様の本当の心を知りたいのなら、私が勝手に想像して遠慮するんじゃなくて、ちゃんと聞くべきだったんだって、リジーの告白を見てそう感じた。言葉って大事な相手に想いを伝える方法にもなるけど、その相手を傷つけてしまうことにだって繋がるから慎重になっちゃうんだよねぇ。だって、大事な人を悲しませたくないし、私のことを少しでも好きになってほしいから。
桃子は心をすまして、そうだよね? って自分に尋ねる。そうすると、心の中の五歳児がその通り! って大きく頷いて、勇気よ、集まれーっ! と叫んだ。そう、勇気を出して、一歩、バル様の心に近づくのだ。
そうっとドアを開いて廊下の様子を窺う。誰もいないね? 桃子はそそそっと早足で隣にあるバル様の部屋の前に移動した。そうして、……コン……コンッ……と、ひっじょーに、恐る恐るドアをノックする。どうしよう、変な間が空いちゃったよ!
「……誰だ?」
バル様が訝しげな声を投げてくる。警戒させちゃったみたい。ドキドキし過ぎちゃって空回っちゃってるのが自分でもわかる。桃子はおずおずと名乗った。
「あの、モモです!」
緊張していると、バル様の部屋のドアが開かれる。そうして、僅かに目を見張る。桃子が十六歳の姿だったからだろう。
「どうしたんだ?」
「五歳の私だけじゃなくてね、こっちの私でバル様とお話ししたいなぁって思ったの」
「……そうか。中においで」
バル様が大きくドアを開いて、桃子を招いてくれる。視界の高さがいつもと違うから、見慣れているはずなんだけど新鮮な気持ち。バル様がベッドに腰かけてトントンと隣を叩いた。そこに座っていいよってことだね。
桃子は緊張しながらバル様の隣に腰かけた。どうやって聞こう。そう迷いながら口を開く。
「今日は皆とお出かけして珍しいものもたくさん見れたし、すごくはしゃいじゃったよ。バル様はどうだった?」
「面白い体験だった。春祭りであのように買い食いしたのは初めてだ。モモもキルマ達も街の者達も周囲はとても楽しそうにしていたな。オレにも不思議な高揚感があったように思う」
「わかるよ。親しい人達が楽しそうにしてると、自分も楽しくなってくるんだよねぇ。……あのね、バル様に聞きたいことがあるの」
「なんだ?」
「今日、リジーの告白を断っていたよね? 『愛する者は一人だけでいい』って。私が初めて王様と王妃様に挨拶した時も同じことを言っていたけど、どうしてそう決めたのか、その理由を聞いてもいい?」
「そのことか。……以前少し話をしたことがあるな。ナイル王妃はオレを育ててはくれたが実の母親ではない。実の母は庶民から側室となった人で、オレが生まれた日に亡くなっている。だからだろうな、オレには実の母に対しての実感が薄い。壁に飾られた絵を見たことがあるだけだからな」
「……うん」
「幼少期のオレの周囲には、オレを傀儡として次期国王の座に推す者と、オレを卑しい身分から生まれた王子であると蔑む者達ばかりが取り巻いていた。その者達は、オレに実母の生涯がいかに不幸であったかを囁いてくることが度々あった」
「バル様はそれを信じたの?」
「父上や義母上に直接お聞きしたことはないが、なるほど、あり得る話だろうとは考えていた。しかし、父上は国王だ。民の命を背負う立場で決定したことを責めるつもりはない。だが幼心に、オレにもし愛する人が出来たら、実母と同じような思いはさせたくないとも思った」
「だから、愛する人は一人だけって決めたんだね?」
「そうだ。実際のところ、実母の彼女がどのように生きたのかは知らないが、庶民から側室という立場になり王の寵愛を受けていたこと、そして審判で見たあの側室達の姿を見れば、ある程度の想像はつく。幸せばかりの人生でなかったのは事実だろう」
「でも、不幸ばかりの人生でもなかったはずだよ。だってその証拠にバル様がいるでしょ? 辛いことはあったのかしれないね。それでもバル様を生んだのは王様やバル様のことを想っていたからじゃないかな? それにね、王様と王妃様は今でもバル様のお母さん、リリィ様のことを想っているよ」
「お二人がモモに彼女の話をしたのか?」
「うん。王様も王妃様も形は違うけど、リリィ様のことを奥さんとして友人として愛していたって言っていたの。バル様が聞けば、二人共きっと話してくれるよ」
「……そうか。彼女は少なくとも二人の人間に愛されていたのだな」
バル様の声は穏やかなものだった。これで、バル様の心を少しは軽く出来たかな? 苦しい子供時代を過ごしていたバル様と、寂しかった私は少し似ているのかもしれないね。でも、今はこうしてお互いが傍にいるから、一人じゃない。……よぉしっ、ここが勇気の出しどころ! 桃子はしゃきーんっと背筋を伸ばすと、バル様を真面目に見つめる。
「バル様、お願いがあります!」
「わかった、聞こう」
「せめて内容を聞いてから返事を返そうよ!?」
即答されちゃった。バル様、私を信用し過ぎだよ! 悪い桃子さんが出てきたらどうするの!
「それほど難しいことなのか?」
「うっ、む、難しくはないんだけど、その……だ……っ」
「だ?」
「だ、抱きしめてもらっていいですかっ?」
恥ずかしさに発火しそうな気持ちでバル様にか細い声でお願いする。全身が熱くて、今ならスケートリンクの氷だって融かせそう! これも、私からバル様への一歩のつもりなんだけどなって、恥ずかしさで潤んじゃった目で見上げると、無言ですっと両手を軽く広げられた。OKをもらえたみたい。
桃子はきゅっと目を閉じると、バル様の腕の中にそろそろと入っていった。力強い腕が背中に回されてふんわり優しく抱きしめてくれる。ドキドキして心臓が壊れちゃいそうだ。そろっと大きな背中に腕を回してみると、いつもより触れ合う面積が多い。服を通してバル様の逞しい身体を感じた。恥ずかしくてドキドキして幸せで、心から感情が零れ落ちそうなほど、泣きたくなるような温かな気持ちが溢れてくる。
ふと、頬に感じた力強い心音が自分と同じようにドクドクと早鐘を打っていることに気づく。バル様もドキドキしてくれてるのかな? 細やかな笑みの混ざった吐息が頭に降ってくる。
「モモが傍にいると、今まで知らなかった感情ばかりが生まれる。温かなものが胸に溢れていく。これは、なんという名前なのだろうな。……いずれ、父上と義母上に母の話を聞こうと思う。その時もオレと共にいてほしい」
「うん、約束。一緒にリリィ様と王様達の思い出を聞きに行こうね」
こうして増えていく約束と同じ数だけ、バル様との思い出も重ねていきたいなぁ。桃子は幸せな気持ちに包まれながら、新たに交わした約束を大事に心に刻むのだった。
ヾ(*^▽^*)ノこれにて、第三部は完結となります。今回もまた話数がとんでもなく長くなりましたが、ここまで自由な桃子にお付き合い頂きまして、本当にありがとうございます。
お次は第四部に突入となりますが、今回は準備期間も含めまして、まったりタイムのお時間を長めに頂ければと思います。2/4(火)から第四部をゆったり開始する予定でいますので、のんびりとお待ち頂ければ嬉しいです。それでは、第四部の桃子の活躍をお楽しみに!




