312、モモ、ようやくわかる~誰かを想う気持ちって、どうしてこんなに切ないんだろう?~
陽が傾き始めた街の中に、鐘の音が五つ鳴り響く。元の世界だと、ちょうどお子様が家に帰る時間帯だねぇ。
自然と足を止めて歩いていた人も桃子達も空を見上げていた。鐘の音が余韻を残して消えると、キルマが道端に皆を誘導して振り返る。
「いい時間になりましたし、そろそろお開きにしましょうか。夜は酔っ払いも出回りますから、モモやリジーにはまだ早いでしょう」
「小さなモモはともかく、私なら平気よ!」
「なんでもかんでも反発するから子ども扱いされるんだぜ? お開きにする理由はそれだけじゃないさ。オレ達は明日仕事だから、帰って身体を休めておかないといけないんだよ。上に立つ奴等が揃って寝不足で頭を抱えてたら、格好も示しもつかないだろ?」
「それなら最初からそう言いなさいよね」
「納得していただけたようですね。では、リジーは私が宿まで送りましょう」
「待って。帰る前に一つ決着をつけたいことがあるの。──バルクライ様、少しお時間を頂けませんか?」
リジーが促すキルマを止めて深呼吸する。そして、バル様を緊張した面持ちで真っすぐに見つめた。その強い意志が宿る瞳に、桃子の胸が不安に揺れた。なんでだろう? ……怖い。どうしてそう思うのかもわからないのに、強い焦りが心を焦がしていく。
「わかった。──レリーナ、モモを」
「モモ様、こちらへ」
バル様は桃子をレリーナさんの前に下ろした。今日初めて地面に足が着く。桃子は向き合う二人に、戸惑う。リジーの熱に浮かれたように潤んだ目が、バル様に注がれている。リジーのいつもより女性らしく見える横顔に、桃子は自分の鈍さを思い知る。
「……そっか。リジーは私と同じだったんだね」
「モモちゃん?」
桃子の呟きはレリーナさんの隣にいるジャックさんに拾われたようだった。桃子が口を開く前に、リジーが精一杯の落ち着きを持ってバル様に打ち明ける。
「身分違いで分不相応なことは承知しています。ですが、私はバルクライ様をお慕いしています! 私と兄を比べて目が似ていると言ってくれたのはあなた様だけでした。他の誰もが兄の美貌ばかりに目を向けたのに、バルクライ様だけは違った。私はそれが嬉しかったです。叶うのならば、私の気持ちを受け取ってはくださいませんか?」
痛みと不安が重苦しく心を締めつけていく。バル様がどう答えるのかが気になるのに、怖くて仕方ない。桃子は縋るものを求めるように、リンガのポシェットを握りしめた。
バル様は少しの沈黙を挟んで口を開いた。
「それは、出来ない」
「私の気持ちは迷惑ですか? それとも、私が、庶民だからですか?」
「どちらも違う。ただ、決めているからだ。……オレが愛する者は一人でいい。それ以外の相手に心を割くつもりはない」
「特別な方がいらっしゃるのですか? それは……っ」
「オレに誰かを想う感情を教えてくれた者だ」
悲しそうに歪むリジーの顔から目を逸らすことなく、真摯に答えたバル様に、桃子はほっとしてしまった。そしてそう思ったことに、リジーに対する罪悪感で心が重くなる。恋が実る人がいれば、恋に破れる人だっている。それが普通だ。だけど無理だとわかっていても、誰も傷つかない方法を探したくなってしまう。
複雑な気持ちで心が曇っていく。リジーがバル様に異性としての好意を向けていたことに対する小さなショックもあるし、それに気づかなかった自分の鈍さが恥ずかしくもあった。リジーの告白を見て、桃子はわかったのだ。
道行く人の視線を奪うほど魅力的なバル様に、好意を向ける女の人はたくさんいる。それは知っていても、こうして告白するほど思いを深める人は桃子以外にもいる可能性を考えたこともなかったことに。自分が好きになった人なんだから、他の人だって好きになる可能性は十分にあることを、私はちゃんとわかっていなかったんだね。
俯いていたリジーがゆっくりと顔を上げる。
「誤魔化さずに答えてくださって、ありがとうございました」
「気持ちを向けられたことは忘れない」
「……はい」
リジーが突然はっきりした口調で頭を下げた。顔を上げると、その表情には少しだけ悲しみが滲んではいるものの、すっきりとしているようだった。
「バルクライ様にこんな大胆な告白をするなんてな。キルマ、お前の妹は大した度胸だよ」
「兄としては複雑な心境です」
「今夜は一杯だけ飲むか?」
「そうですね。付き合ってもらいましょうか」
実のお兄さんであるキルマと幼馴染で兄貴分であるカイにとっては、妹の恋が破れる姿は言葉に出来ない思いがあるのだろう。そんな風に二人が話していると、リジーが大きく息をついて苦笑しながら桃子が驚くことを言った。
「これで、心残りなく村に帰れるわ」
「リジー……帰っちゃうの?」
「お母さんが心配してるっていうから、一時的にね。またこっちに出てくるつもりよ」
「そうなんだ。寂しくなるね」
「……ごめんね、モモ。本当はあなたにも嫉妬してたの。バルクライ様のすぐ傍にいられることが羨ましかったのよ」
「私も焼きもち焼いちゃったからお相子だよ。それともリジーは、私のこと嫌になっちゃった?」
「いいえ。嫉妬はしても、モモは私の友達だもの。……だからこれは二人だけの内緒よ? お母さんのことは立て前よ。本当は失恋の痛みも癒すために故郷に帰るの。でもね、私は振られるのなんて慣れてるから、すぐに復活してみせるわ」
後半の部分はひそひそと教えてくれたリジーが悪戯に笑う。……強いなぁ。強がりであっても前を向いて笑うリジーに、桃子は拍手を送りたくなった。きっとその言葉通りに、リジーは失恋から立ち直ってゆくのだろう。
「リジーが帰る時はお見送りに行ってもいい?」
「余計に寂しくなるからいらないわ。どうせすぐに戻ってくるもの」
「……うん!」
さばさばとした口調で断られちゃったけど、気持ちのいい返事に桃子は笑顔になる。リジーも寂しく思ってくれたことが嬉しかった。それに、また会えるもんね!
「今日は仲間に入れてくれてありがとう、モモ。またね?」
「また会おうね!」
桃子とリジーの会話の区切りを待っていたのか、そのタイミングでキルマが切り出した。
「バルクライ様、私はリジーを送って来ますね」
「それじゃあ、オレは一足先にルーガ騎士団に戻ります」
「ああ。今日は世話になった」
「私もね、みんなが一緒で楽しかった!」
「それは私達もですよ」
リジーはバル様とレリーナさん達にも頭を下げると、キルマと一緒に離れていく。小さな背中と大きな背中が遠くなっていく。同じ人を想っているから、リジーのバル様に対する気持ちがどういうものなのか、今の桃子にはわかる。だから、破れた恋の切なさを考えてしまったのだ。リジーは前に進むためにバル様に想いを告げる勇気を出した。私にはまだその勇気はないけど、それでもいつかは──……。バル様に抱き上げられながら、桃子はあることをしようと心に決めた。




