299、モモ、盛り上がる~お祭りはどこの世界でも心躍っちゃうもの~前編
右を向いても左を向いても人、人、人っ! 道幅いっぱいにひしめく人の波に、桃子はバル様に運んでもらいながら圧倒されていた。お屋敷から馬車で近くまで来て、人目が少ない場所でこそっと降りた桃子達は、人の波に仲間入りすると漂うようにお城への道を進んでいた。
まだ早いのに競い合うように開かれた商店では、お客さんをゲットしようと呼びこみに積極的だ。大人から子供まで楽しげな声が波音のように耳へと届く。
「うひゃあーっ、すごい人! 私が歩いたら埋まっちゃいそうだね」
「ああ、ジュノール大国にとっても春祭りは大きな祭典であり交易の場だ。そのため、さまざまな国から人が訪れる」
「他国から来る商人も多いですから、春祭りには掘り出し物や普段見られない珍しい品が売っていることもあるんですよ」
「お店を回るのがますます楽しみ! なにか面白い物がないか探してみようかなぁ」
無駄遣いはよくないけど、せっかくの春祭りだからなにか買ってみたい。それに専属護衛になってくれたジャックさんにも、お世話になってるからなにか贈り物をしたいんだよねぇ。左側をのしのし歩いているジャックさんをちらっと見たら、にかっといい笑顔を向けられた。
「ふっふっふっ、モモちゃんにいいことを教えてあげよう! 祭りの間の買い物は狙い目なんだ。商店は祭りの間はいつもより客引きを競うからさ、値切りがしやすいんだよ」
「おおっ、お得だねぇ。値引きはしてもらったことがあったけど、値切りはしたことないの。私もやってみたい!」
「そうこなくっちゃな。オレがやり方を教えてあげるよ」
二人で目を合わせて、やろう! って頷き合っていると、思わず身を乗り出していたらしく、桃子はバル様の左腕に抱え直された。乗り出しちゃってごめんよって思いながら振り仰ぐと、バル様が不思議そうに瞬いた。
「ねぎり、とはなんだ?」
発音がひらがなになっているのが可愛い! バル様は王子様だから庶民的な言葉には疎いんだろうねぇ。桃子が心をときめかせながら、内緒話をするようにバル様の耳元に右手を添えて庶民知識を教えてあげる。
「あのね、値切りっていうのは値段を下げてくださいってお店に交渉することだよ。値段の交渉が上手くいけば、いい品物も安く手に入れられるの」
「そのような方法があるのか? しかし、値引きをしては店だけが損をすることにならないか?」
「うーんと、なんて説明したらいいかな」
うまく言葉が見つからない桃子を見て、レリーナさんがすかさずフォローしてくれる。
「では、私からご説明を。──その点は心配ございません。店側の商品は仕入れ値と売上の差額が利益となります。店側は商品を売る場合は仕入れ値に上乗せをして売り出しますから、あらかじめに商品の値段を少し高めに設定して、値下げ交渉をしても赤字にならないように計算しておけばいいのですよ」
「よく出来ているな。その仕組みなら損にはならないのか」
バル様が納得したように一つ頷く。ほっ。意味がちゃんと伝わってよかったよ。桃子はバル様の右側を歩くレリーナさんにお礼を伝える。
「助かったよ、レリーナさん」
「うふふ、お役に立てて光栄です」
「それにしても詳しいですよね? 商店で働いていたんですか?」
「請負屋の仕事で店員をしたことがあるの。これはそこで得た知識よ」
こんな美人さんに商品を笑顔でおすすめされたら、男の人はふらっと誘われてなんでも買っちゃうんじゃないかな? レリーナさんなら、カリスマ店員と呼ばれる人であっても不思議じゃないよ。
「お店側の裏事情を知っちゃった気がするけど、レリーナさんは店員さんでも優秀そうだし、お店側から引きとめられなかった?」
「よくおわかりになられましたね、モモ様。確かに、そのようなお話をいただいたことはございます。しかし、私は当時パーティを組んで行動していましたので、一所に留まるつもりはなかったのです。今は、モモ様にお仕え出来るこの仕事が至福でございます」
レリーナさんが頬を染めて、うっとりと微笑む。普段クールな人が無防備に笑うのも、可愛いねぇ。過大評価されてる気はするけど、こんな美人で優秀な人にそこまで言ってもらえるなんて、照れますな! だけど困ったもので、美人なレリーナさんの笑顔は、流れ玉みたいにジャックさんの恋心もバキューンッと撃っちゃったみたい。すっかり顔を真っ赤にして硬直してる。気のせいか、歩き方もぎくしゃくしてない?
「ジャックさーん、大丈夫?」
「もち、もちろん! 全然、少しも、まったく、ちっとも、問題ないぜ!」
べらぼうにうろたえていることは伝わったよ。そんな慌てなくても恋心を刺激されたことはわかってるからね。桃子は落ち着いてって伝えたくて、両手を前に出して左右に小刻みに動かす。こうすると、どうどうって仕草になります! ……駄目だ。きょとんとしてる。ちっとも通じてないよぅ。おまけに頬を染めたレリーナさんに、きゅっと手を握られた。うん、なんで?
「モモ様、そのような愛らしさを振りまいては不届き者に狙われてしまいます! いえ、そのようなことはけして私がさせませんがっ!」
「今日のレリーナさんは剣をお持ちではないですよね!? もしそんなことが起こったら、オレが代わりに追い払いますから!」
「……二人とも騒ぐな」
バル様がため息混じりに二人を止めている。いつもの美声が低く落とされて、さらに良い声になってるけど、困った様子だ。私も加勢するべきかな?
「こほんっ、失礼いたしました。モモ様の愛らしいダンスについ暴走してしまいました」
「あれ? モモちゃん、今のってダンスだったの?」
「違うよぅ、落ち着いてって意味だったの」
「あら、そうだったのですか。てっきり私は魅惑のダンスを披露なさっているのだとばかり」
「あははっ、レリーナさんを虜にしちゃったかな?」
「私はもうずっとモモ様の虜ですよ」
冗談のつもりで返したら、どしっとした重みのある好意が返された。ありがたいんだよ? こんな風に好意を向けてくれることに嬉しさも感じているんだけどね、ちょっぴりその重みに押しつぶされそうな気がしちゃうの。心の中の五歳児も上から降ってきた大きなハートにべしゃっと押し潰されて、うーんうーんと唸っている。ハートを転がして救出!




