3、モモ、異世界にて交流する~やっぱり、挨拶って大事だよ~前編
桃子が目を開けたのは、天蓋付きの豪奢なベッドの中だった。その大きさは、今の桃子なら十五人くらい余裕で寝られそうだ。
身体を見下ろすと、いつの間にか肌触りのよいぶかぶかの上着をすっぽりかぶされ、まるでワンピースのような感じで身に着けていた。
どうやら、美形さんの美声と腕の優しさに、すっかり骨抜きにされてあのまま寝てしまったらしい。くぅ、不覚! でも、なんか熟睡出来た気がする。ありがとう、美形さん。ここに居ない美形さんに心の中でお礼を述べておく。
それからベッドの上に仁王立ちして、欲望のままにダイブする。身体がぽよんと弾んだ。なにこれ、ものすんごく楽しい。
そのまま泳いでみるとシーツがくしゃくしゃになった。ひっじょーに心が弾む。駄目だこれ、楽し過ぎる!
平泳ぎとバタ足をしてお次はクロールだ。気分は水泳選手。私が一等だい! ベッドの上に立ち上がり、再びダイブ。身体がまたぽよんと弾むのを感じれば、笑顔が止まらない。
我に返ったのは、白いシーツを引っかぶってからだった。駄目駄目、私は十六歳。十六歳……十六歳……心の中で唱えながらシーツから出て、頑張ってシワを伸ばす。
小さな手ではどうしても限界があって、シワッシワッがシワくらいになったところで諦めた。これ、怒られちゃうかな? ちょっとしょぼんとした気分でベッドから飛び降りて、背伸びしてドアノブに手を伸ばす。
すると、目の前にドアが迫ってくる。迫る扉に桃子は慌てて後ずさりした。侍女姿の女の人が入って来た。桃子に気付くと、目を丸くする。
「お目覚めになられたのですね。お体は大丈夫ですか? お洋服のご用意がまだできておりませんので、僭越ながらわたくしの私物をご用意させて頂きました。苦しい処はございませんか?」
茶色の髪に灰色の瞳のこれまた美人な女性だ。お胸があるのも羨ましい。一見すると無表情で氷のように冷たい印象を受けるが、頬がピンクに染まっているので、怖い人ではないようだ。
本当の五歳児ならば、絶対に理解出来ないだろうが、とても丁寧な対応をしてくれるのが本当に有難い。頭が良さそうな人だなぁ。桃子はぱちくりと瞬いて、こっくりと頷きを返す。
「はい。ありがとーございます。ごめんなさい、シーツぐちゃってしちゃった」
あまり敬語は得意じゃないので、せめてもの感謝の表現として、ぺっこり頭を下げてみる。伝わるかな、伝わるといいなぁと思いながら、ちらっちらっと見上げてみると、侍女のお姉さんの目が真顔のまま潤む。心なしか熱い視線を感じるのだけど……。
「そのようなこと、いいのですよ。愛らしいですね。……この気持ちはなんでしょう? 生まれて初めて心が高鳴りました。もしや、これが──恋?」
ぽつりと落ちた呟きには真剣な響きしかない。あの、それ違うと思うよ? そう伝えたいのに、あまりにも真面目な顔に言えなくなる。
桃子の頭の中には【萌え】の二文字が浮かんでいた。しかし、喉まで出かけた言葉をもう一回ごくんと飲んでおく。
言葉もなく見つめ合っていると、ノックもなくドアが開いて、外套を脱いだ美形さん達が入ってくる。やはり外套の下も同じ色合いの上着だ。違うのは刺繍の色だけだ。金色なのが美形さんで、銀色が美人さん、赤がイケメンさんという形で分かれているくらいだ。
「子供の様子はどうだ?」
「はい。とても良い子にしておりましたよ。今起きたばかりなのですが、お洋服のお礼を頂きました。バルクライ様、ぜひ、ほめてあげてくださいませ」
「そうか。良い子に出来たのだな。えらいぞ」
ふたたび、腕に腰掛けるように抱っこされた。なんか抱っこされ過ぎて歩くのを忘れそう。思わず逞しい胸板に顔を伏せると、複数の忍び笑いが聞こえた。そこ! 桃子さんには、ばっちし聞こえてんだかんね!
ちろりと顔を上げると、美し過ぎる顔が迫り、目元にふんわりと温かな唇が触れて、ちゅっと音がした。えぇっ? もしかして初めてを奪われた? ますます恥ずかしくなって口づけられた場所を手で押さえながら美形さんを見上げる。
「なんで、ちゅう?」
「お前が可愛い仕草をするから、つい、な。子供は苦手なはずだったんだが」
「わかります。こんなに父性を感じさせる存在は見たことがありませんからね。わたしも胸が高鳴っていますよ」
「変態臭いぜ。蕩けた顔するなって」
「その言い方はひどいですよ! 私はただ純粋に愛おしんでいるだけです。よく見てください。まあるいほっぺはぷにぷにですし、お目々もぱっちりして、お手々もこんな小さいんですよ? まるで天の御使いのようじゃないですか! こんな愛らしい姿を見て、あなた何も感じないんですか? 感性が死んでるんじゃないんですか?」
「しっつれいなこと言うな。死んでないっての。オレだって、おちびちゃんは可愛いと思ってるぜ? 子供でも女の子はやっぱ男より十倍可愛い。お前、どんな美姫に迫られても微笑み一つであしらっていたのに、すごい変わりようだな。我が幼馴染ながら恐ろしい奴」
「香水臭い女性は苦手です。無臭の方が遥かに素晴らしい。化粧と香水の香りがきついと気持ち悪くなるんですよ」
「女性は花だぜ。着飾ることで美しさを増すのさ。お前は相変わらず潔癖だな。そんなんじゃ、一生結婚出来ないぞ」
「もとより結婚するつもりはございませんので、ご心配なく! 私は殿下に人生をささげられれば十分なのですよ」
軽口の応酬の止まらないこと止まらないこと。ぽんぽんと飛び交う軽口に桃子は忙しく首を動かした。まるでラリーを見ているように。でも、首をぐきっとやりそうだと途中で気付いて、止める。セーフ。