285、モモ、その願いを知る~優しい未来はひとりじゃなくてみんなで手に入れよう~後編
「時間が恐ろしかった。一日、二日と過ぎる度に死人が増えて、幼い子供から命の火が消えていく。小さな村だから、どの子も知った顔なんだよ。村中の人間が、唯一治癒魔法を使えるオレに懇願してくる。お前の魔法でオレの子を助けてくれ、私の家族を治してくれ、そう言うんだ。……オレに出来たのは病人の少ない体力を薄く引き延ばすことだけだった」
「誰にも助けを求められなかったの?」
「無事な奴等は外に助けを求めて走ったさ。だが、医者を呼んだところで、病の原因がわからないという。国に報告がいく頃には、もう病は国全体に広がってしまっていた。そんな状況で治療法はおろか、特効薬なんてものが存在するはずもない。オレにはわかっていたんだ。病にかかった奴等は、原因が判明して薬が出来るまでは、とてもじゃないが持たないと」
「…………」
堰を切ったように、ルイスさんは壮絶な過去を吐露していく。
「セージが空になるまで治癒魔法を使ったよ。だがなっ、オレがしたことは結局なんになった!? 妻を、仲間達を無駄に苦しめただけだ! オレはすり抜けていく命を繋ぎとめられなかった。──だから、貴方様にお聞きしたい。全能の神はなぜ病を治すことが出来ない治癒魔法を人に与えたんだ? 一番必要な時に効果のないこの魔法は、なんの為に存在しているっ!?」
ルイスさんの叫びが悲しく神殿内に響いた。普段陽気な人の目から涙が一滴伝って落ちる。桃子は泣きそうなのを我慢して唇を噛みしめた。胸の痛みに言葉が出ない。ずっと一人でこんな痛みを抱えて来たのかな? 神様に問い質すために生きてきた人の人生を思えば、なんて不器用な生き方なんだろう、と思う。
「──お前達が全能の神と呼ぶ存在がなぜ人間に魔法を与えたのか。それは我の知るところではない。なぜなら、我は我等を創造せし彼の神に一度も相まみえたことがないのだ」
「軍神様も会ったことがないのですか!?」
「然り。しかし、魔法に備わる属性という本質は揺るがぬ。治癒魔法はその効果が病を治すに向かぬ性質の力であるというだけのこと。そこに万能を求めることこそが傲慢であろう。神官よ、認識を改めよ。どんな力であろうと、万能なものなどこの世には存在しないのだ」
軍神様の淡々とした答えは、厳しくもルイスさんを諭すようなものだった。感情の乗らない冷静な声には怒りも嘲りもなく、ただ事実を告げているだけのように感じた。しかし、その事実はルイスさんの心に衝撃を与えたのだろう。目を見開き愕然とした面持ちで項垂れている。
「それなら、誰も助けられなかったのは、オレのせいなのか……?」
「どうしてそう思うのっ? ルイスさんは助けようとしたんだよね? 亡くなってしまった人のことを忘れられない気持ちは、私も知ってる。だけど、必死に努力したことが報われなかったからと言って、ルイスさんのせいになるのはおかしいよ」
「だが、オレは結局誰ひとり救えちゃいないんだ。実際、病にかからなかった仲間内には責められたよ。誰だって自分の大事な奴を失うのは辛い。昔の仲間は、今でもオレを恨んでるだろう」
「ルイスさんは私を救ってくれたよ!」
なにかを諦めたように自嘲するルイスさんに、桃子は大きな声で言った。一番辛かったのは、愛していた奥さんばかりじゃなく、たくさんの命を目の前で見送らなきゃいけなかったルイスさんのはずだ。桃子の言葉にルイスさんがぎこちなく顔を上げる。
亡くなった人のことが慕わしくて、今でも涙が出そうになる。そんな気持ちを知っているから、村の人達がルイスさんを責めてしまった気持ちを想像することは難しくない。だけど、思い出して! 桃子はルイスさんの乾いた大きな手を自分の小さな両手でぎゅっと握りしめて、陰った目を真っ直ぐに見上げる。
「請負屋に初めて行った時に、レリーナさんより先に私を庇ってくれた人は? 攫われた私と孤児院の子達を助け出してくれた人は? 神官の人達を引っ張って、街のみんなを治してくれた人はっ? これは全部、ルイスさんがしてくれたことだよ!」
「どれも大したことじゃないさ。助けられた子より救えなかった子の方が多いんだよ」
「この手から零れてしまった命のことを、忘れられなくてもいいと思う。だって、大事な人達のことだよね? 私もね、亡くなったおばあちゃんのことを忘れられないでいるもん。ただ、私達が助けてくれたおいちゃんに対して、ありがとうって思っていることも知っていてほしいよ」
桃子はルイスさんをおいちゃんと呼んで今に心を引き戻そうとした。だってそうじゃなきゃ、あまりにも寂しい。孤児院の子達は助け出してくれたルイスさん達のことをヒーローみたいに思っているのだ。そんな子達の気持ちを伝えてあげたい。あの時のことで、どれだけ救われた子がいるのか、きっとルイスさんは知らないんだね。
ルイスさんの目が迷うように揺れている。必死に伝えた気持ちは、心を動かせたのだろうか。桃子はルイスさんの心がなにか答えを出すまで、じっと待った。長い沈黙の後、ルイスさんが再び口を開く。
「…………モモちゃん……オレは、許されるだろうか……?」
「村の人達が今どう思っているかはわからないけど、いつかきっと、おいちゃんを責めたことは間違いだったってわかるよ。だって、おいちゃんはなんにも悪くないもん。これは加護者としても、私が保証するよ!」
「……ありがとう……ありがとう、モモちゃん」
桃子は胸を張って笑顔で太鼓判を押すと、ルイスさんが片膝をついて桃子を抱きしめてくる。湿りを帯びた声が震えている。桃子は短い両手を精一杯伸ばして、広い背中をポンポンしてあげた。
全部自分が悪いって思い込むほど、信頼していた仲間の言葉はルイスさんを傷つけて縛っていたんだねぇ。それを崩す為に肩書を使ってしまったけど、こういう使い方は正しいですよね? って意味を込めて、軍神様を見上げれば、赤い目が僅かに細められた。これは、いいよって意味かな?
なにも言わない軍神様に見守られながら、桃子はルイスさんの心が落ち着くまで、失った命を大事に抱え続けていた腕の中で、消えた命に祈りを捧げたのだった。




