280、モモ、引っ張り合う~自覚した想いは頑張ろうって気持ちと一緒に大きくなっていく~
幸せな温もりの中で目を覚ました桃子は、むずがる子供のように隣の体温に頬を寄せた。すると、優しい指先が宥めるように前髪を払ってくれて、額に柔らかなものを当てられる。そのくすぐったさに半分寝ぼけたまま、くすくす笑っていると、耳元で背筋がぞわっとするような美声がした。
「そんなに無防備でいいのか?」
「ひゃっ!?」
すんごいことを囁かれて、桃子はぱっちり目を覚ました。目を開くと、すぐ傍に肌色が見える。それを辿るように視線を上げれば、片肘をついて手に頭を乗せたバル様が薄く笑っていた。心臓に悪いおはようだね!? 五歳児の手を切ないほどまっ平らな自分のお胸に当てると、鼓動が速かった。はぁぁっ、びっくりしたぁ。
「起きたな。今日はルイスと約束があるのだろう?」
「うん、ルイスさんに頼みがあるって言われたの。きっと、大事なお話をするんだと思う。私で役に立てるといいんだけど……」
「モモに頼んだことに意味があるはずだ。もし、ルイスの話を聞いて迷った時は、引き受けずに内容を持ち帰ってくるといい。オレも一緒に考えよう。ルイスについては心配していないが、審判のことがあるからな、レリーナとジャックはいつも通りに連れて行くんだぞ?」
「レリーナさんやジャックさんに頼りっぱなしで申し訳ないけど、そうさせてもらうね。バル様は今日もお屋敷には帰ってこれそう?」
「ああ。しかし、今日は遅くなるだろう。モモは先に休んでいてくれ。夜更かしは子供の身体によくない」
お仕事に行っちゃうバル様と離れがたくて、桃子はシーツに顔の半分まで潜ったまま、頭を撫でてくれる大きな手を両手で握ってにぎにぎしてみる。心がほわほわした。バル様が黙ってるのをいいことにそのまま少しだけ遊ばせてもらうと元気が出てきた。
「よしっ、バル様チャージ完了!」
「もういいのか?」
「我慢するよ。だってもうすぐ春祭りがくるもん。そうしたら、みんなで一緒にお店を回って、バル様が美味しいって思うものを探してみようね! 外で食べたらいつもよりもっと美味しく感じるはずだよ」
「その時は、モモが好む味も教えてくれ」
「いいよ。わくわくしちゃう。今から楽しみだねぇ」
桃子はバル様の左手を最後にきゅっと握ってからそっと返すと、居心地のいいシーツから抜け出した。心の中で五歳児が頬を膨らませて、もうちょっと遊んでたいよぅ、とぐずるのをめっと叱って、しゃっきり起き上がる。
昨日はどっきり作戦が失敗しちゃったから、バル様に意識してもらうためにも五歳児の意識に負けてばっかりじゃいけない。もっと元の姿は十六歳ですよーってことをアピールしとかないと、本来の年齢を忘れられちゃいそうで心配になる。それに、元の姿に戻っても五歳児扱いされるのは切ない。と思いつつも、クッションの傍にいるバルチョ様の頭に、自然とおはようのなでなでをしていた。
はっ、これもお子様化の影響!? 決意した先からこれである。思わずぱっとバル様を見上げると、口端をほんのり上げていた。むしろ五歳児アピールになっちゃってるよね!?
「ち、違うんだよ? 肌ざわりがいいからなでなでしたくなっただけで、お人形で遊んでるわけじゃないからね! 本当は十六歳だから、もうお人形遊びは卒業してるよ」
「……別に遊んでいてもいいと思うが? その姿なら恥ずかしくもないだろう?」
バル様が不思議そうな雰囲気でゆっくりと瞬いた。そうなんだけど、その通りなんだけどダメなの。十六歳の私、もっと頑張ろうよ!
心の中で、五歳児と十六歳が神妙な面持ちで縄を持つ。その縄のちょうど真ん中で、もう一人、五歳児姿で白い帽子をかぶる桃子がいた。審判桃子がピッと笛を吹くと、同時に後ろ向きに持ち直し、全力で後ろにかけ出す五歳児。あっけに取られて反応が遅れた十六歳は、慌てて引っ張ろうとするけれど、今一歩及ばない! 必死に耐える。おおっとぉ、五歳児の先にバルチョ様が登場だぁっ!? バルチョ様の出現には五歳児のテンションが上がりきり──十六歳が勢い負けしてずべっと転ぶ。ま、負けた……がくっ。力尽きた。
そこでふと我に返ると、腕の中にはバルチョ様がいらっしゃった。無意識に抱きしめちゃってたみたい。バルチョ様の黒い目が今回はモモの負けだなと言った気がした。
「モモとずっとこうしていたいが、そうもいかない。顔を洗って身支度をしよう。モモ、そのままバルチョを持っているんだぞ」
「へ? おぉぅっ」
とっさの声が幼女らしからぬものになった。きゃっとか言えたらいいんだけど、なんか咄嗟に出るのがいつもこれなんだよねぇ。
桃子はバル様に抱っこされて洗面所に運ばれる。大きな鏡の中に、バルチョ様を抱っこする桃子を抱っこするバル様が現れた。おおっ! と気を取られた桃子の腕から、バル様がバルチョ様を抜き取る。見事な手腕は、まさにプロの技……! それとも私がちょっぴり鈍いだけ?
バル様はバルチョ様を水に濡れないように、広い洗面台の脇に座らせてくれる。それから桃子を片手に抱っこしたまま、壁に彫られた紋様に手を翳してお水を出すと、桃子の脇の下に両手を入れて持ち上げてくれる。先に顔を洗わせてくれようとしてるんだ。バル様、優しいなぁ。
桃子はありがたく思いながら、冷たい水を小さな両手ですくってパシャパシャっと顔を洗う。ふぅっ、さっぱりしたの! そうすると、バル様が床へと下ろしてくれて、柔らかなタオルで顔を拭かれる。……バル様のお子様扱いが手慣れて来てる!? いや、待って、ここはプラス思考で考えよう。つまり、バル様とそれだけ仲良くなれてるってことだよ!
そうして、ピカピカ桃子さんになったら、バル様と立ち位置を交代する。バル様も自分の顔を洗うと、タオルで水滴を拭う。その仕草に桃子は視線を離せなくなってしまった。水滴がこめかみから頬を伝ってぽたりと落ちるのが、ため息が出るほど綺麗だったのだ。水も滴るいいバル様……朝から刺激的な眼福いただきました!
「モモ?」
「はいっ、なんですか、いいバル様!」
「いい……? いや、手を合わせてなにをしているんだ?」
言われてみると、両手を合わせてありがたやーっとしていた。自然と崇めちゃってたよ。桃子は照れ笑いしながらその手を下ろす。
「またバル様と一緒にいられることが嬉し過ぎて、テンションが上がっちゃってるみたい」
「それは────」
「お腹が空いたから先に着がえてくるねーっ」
桃子は自分の言葉に恥ずかしくなって、心の中でうぎゃあああっと叫びながら逃げ出した。あっ、バルチョ様置いてきちゃった。ごめんね、後で迎えに行くから!




