275、モモ、驚き返しを計画する~お子様には協力者と準備とタイミングが重要だよ~中編
「……嬉しい、のか」
バル様がぽつりと言葉を落とす。私のことかな? たしかに今の私はすんごく嬉しがってる! できることならね、全身でありがとーって伝えたいもん。はしゃいだ気持ちで後ろから階段を下りてくるバル様を振り仰ぐと、不思議な視線を向けられた。いつも、バル様の目に浮かんでいるのは夜のような静けさだ。それが穏やかに変化するのを見るのが桃子は好きだった。けれど今は黒い瞳の中になにか別の色が浮かんでいる。
「バル様?」
「いや、モモを見ていたら、オレの中で揺らぎが生じた。……オレは、モモが喜んでいる姿を見て、嬉しく思ったのだろう」
ぎこちない表現の仕方は、嬉しいっていう感情に慣れていない人のものだった。バル様は王族だしお母さんも早くに亡くなってるから、厳しい教育は受けてもはしゃぐような体験はあんまりしたことがないのかもしれないね。桃子よりも年上で立派な成人男性だけど、その戸惑っている様子に、桃子の心はきゅんっとした。ふわふわした幸福感とほんわり甘い気持ちがぷくぷくと泡のように浮かんでくる。この気持ちを伝えてしまいたい。そんな強い衝動に背を押されて、桃子は口を開く。
「す……っ」
が、やっぱり言葉にならない。顔がじんわりと熱を持ってくる。絶対に赤くなってきてるよぅ。階段の途中で足を止めてぷるぷるしている桃子に合わせて、バル様も一段上で止まってくれた。
「モモ? 震えてるうえに顔が赤い。疲れが出たか……?」
バル様が階段を下りると、腰を曲げて桃子の前髪をかきあげて、大きな手の平を当ててきた。熱を計られているのだ。桃子は大きな手を両手で抱えて、きゅっと握る。
「だ、大丈夫! 熱はないし、具合も悪くないの」
「だが……」
「あっ、ほら、カイとキルマの声がしてるよ?」
なおも心配そうなバル様の気を逸らそうと、桃子は下から聞こえてきた二人の声を振り返ってみせる。そして、トタトタトタッと早足で階段を下っていく。たいきゃくーっ、たいきゃくーっ! バル様から逃げるのーっ! 心の中で五歳児が隊長のように号令している。……でも、よく考えたらこれでよかったのかも。五歳児のままだとバル様に好きって伝えても、保護者様に向けての好意と勘違いされちゃうといけないもん。
桃子は衝動に流された告白ではなく、勇気と決意を心にもって伝えたいのだ。そして、出来ることなら、心を向けてほしい。そして、桃子の気持ちを受け取ってもらいたいのだ。だけど今の状態じゃあ難しいよね? バル様に好きになってもらう前に大きな問題が立ちふさがっているもん。
すんなりと気持ちを言葉にできないのは、桃子に勇気が足りないからだし、バル様に女の子として見てもらうには五歳児のままでは無理があるだろう。圧倒的に五歳児でいる時間が長いのも原因だよねぇ。お子様扱いされて大事にもしてもらっているのに、よくばりでごめんよ。それでも、芽を出した気持ちはもう種には戻れない。だから、桃子は大事に大事に育てていきたいのだ。花の種にお水をあげるように。桃子が一階に到着すると、カイとキルマがやってきた。そして、桃子と階段を交互に見て目を丸くする。
「えっ、階段!?」
「おやまぁ、少しお邪魔しない間に可愛い階段が現れましたね。モモ用に作ったのですか?」
「いらっしゃい、カイ、キルマ。びっくりしたでしょ? 私が前にあげた贈り物のお返しなんだって」
「これがお返し……バルクライ様のお返しは普通の規模を超えてるよな?」
「……ええ。害獣討伐任務以前よりも溺愛具合に拍車がかかっているようですね」
「なぁに?」
カイとキルマが声を小さくしてなにやら話している。内緒話? 仲間に入れてほしいなぁ。桃子が二人の前に降り立って見上げると、キルマがきらきらと輝くような美しい微笑みを見せる。
「討伐期間で作り上げるとは随分と前からご計画なさっていたのでは、と話していたのです。──どうなんですか、バルクライ様?」
話を振られたバル様が一階に辿り着いた。桃子もそれは気になる。だって、そんな素振り一切なかった、と思うの。私が鈍くて気づかなかったのかもしれないけど。バル様からあっさりした答えが返る。
「モモが落ちそうになった時、くらいからだな。当然ながら、この屋敷は子供向きには作られていない。段差一つ見てもモモには大変なものだろう。それに、この子はかなり小柄だ。専用のものが必要だと判断した」
「それにしても驚きましたよ。まぁ、オレもモモの護衛についていた時は、階段を一生懸命上る姿に微笑ましさを感じるのと同時に、いつ落ちやしないかとハラハラさせられましたから、英断だとは思いますけど」
「モモの危険が減ったことはいいことです。しかしながら、時折発揮されるバルクライ様の思い切りのよさには毎回驚かされます」
「そう言われるほど、驚かせた覚えがないんだが」
「──随分と前ですが、ルーガ騎士団が財政難に陥ったことがありましたよね? その時も、あなた様は躊躇いもなく私財を投げ打ってルーガ騎士団に与えてくださいました」
「オレは浪費家でも散財するほど大きな趣味があるわけでもない。故に、ルーガ騎士団に金を注いでも懐が痛むほどではなかったというだけだ」
「いやいや、明らかに師団長の責務の域を越えてますからね? バルクライ様が王族であられることも幸いしていたのでしょうが、ああも惜しみなく与えるなんて、太っ腹なんて言葉じゃ到底足りないですよ」
「私達の代であなた様が師団長となられたことは本当に幸運でした。惜しむらくは、私達二人以外の誰もがその功績を知らないことですね。──いえ、モモも仲間入りしたので三人ですね?」
「うん! ルーガ騎士団の救世主になったバル様も入れて、四人だけの内緒だね!」
「団員が知る必要はないことだ。……お前達も腹が減っているのではないか? 来るといい。食事の用意はしてある」
バル様は話を広げることなく会話を閉めると、桃子を腕に抱っこして食堂の方向に足を進め出す。黒髪の間から覗く形のいい耳がほんのり色づいている?
「なぁ、今のは照れたんだと思うか?」
「どうなんでしょうね? バルクライ様は感情をあまり表情に出されないので、なんとも」
二人の声が追いかけてくる。桃子は答えたかった。カイ、正解! バル様は照れてるよ! って。でも、バル様が目でさりげなく止めてくるので、お口を両手で押さえて目で聞く。このお話も内緒ですか?
「モモの為に魚のソテーも用意してあるぞ」
お魚!? わかったよっ、絶対に言わないね! 桃子はお口を押さえたままこくこくと何度も頷いた。




