273、モモ、小さな主と呼ばれる~一緒にいるだけで笑顔になっちゃう時間は幸せって呼ぶのかなぁ?~後編
「お腹が痛いの? ロンさん、腹痛のお薬ってあるかな?」
「ございますよ。伝統ある苦いお薬ですが、ジャックなら平気でしょう。──用意いたしましょうか?」
「いえ、本当に大丈夫なんで!」
「我慢はよくないよ?」
「本人もこう言ってますし、ご心配には及びませんよ。──そうよね、ジャック?」
「はは……すんませんでした、レリーナさん。──モモちゃん、これは腹痛じゃないから。横っ腹が攣っちゃっただけだよ。すぐ良くなるさ」
レリーナさんの目が一瞬鋭くなった? ジャックさんは苦笑して右脇腹を擦りながら深呼吸を繰り返してる。少し顔色がよくなったみたい。大事にならなくてよかったねぇ。桃子が安心して表情を緩めていると、バル様がなにか呟いた。
「……うまく逃げたな」
「勘弁してくださいよ、バルクライの旦那。つい口が滑りかけたオレが悪かったです」
「どういうこと?」
「ロンの説教は長いという話だ」
「おや、バルクライ様も久しぶりに苦いお薬をお飲みになりたいのですか?」
「遠慮しておこう」
お薬ってお説教のことだったんだ。でもそうなると、なんでジャックさんがお説教されるんだろうね? あの一瞬でなにがあったんだろう? よほど不思議そうな顔をしていたのか、桃子は抱っこされたまま、バル様に頬を撫でられた。
「大したことではない。それよりも、今後について話をしておかねばな。──ジャック、お前には、オレが帰還するまでモモの護衛を頼んでいた。だから今日でオレからの依頼は完了となる」
「あ……そっか。ジャックさんはバル様が討伐に行ってる間だけ、特別に私の護衛になってくれたんだもんね……」
ジャックさんがあんまりにも親しくしてくれたから、桃子はすっかり無意識のうちに、ずっと一緒にいてくれるレリーナさんとジャックさんをセットに考えてしまっていたのだ。バル様の帰還は嬉しいけれど、今日でお別れだと思うと急に寂しくなってしまった。お仕事だったんだから、終わりがあって当然なのにねぇ。いつの間にか、ジャックさんがいることが当たり前になってしまっていたのだ。
「そんな顔をされちゃうと、オレも寂しくなっちゃうなぁ。この一月、本当に楽しかったよ。加護者様でもモモちゃんはいい子だったから、ちっとも苦じゃなかったよ。──それに、レリーナさんのことは、その、もっと好きになりました!」
「私も楽しかったわ」
ジャックさんからの二度目の告白にレリーナさんはくすっと笑ってそう答えていた。それだけで真っ赤になったジャックさんが可愛らしい。その顔をぶんっとバル様に向けて、ジャックさんは意気込んで頼む。
「バルクライの旦那からの仕事なら、なんでも受けますんで次の時もぜひオレに声をかけてくださいっ!」
「熱意はわかった。それでは、本日より正式にモモの護衛となるがいい」
バル様の言葉に時間が止まった。言葉の意味が頭に染み込むと、桃子の中でじわじわと嬉しさが広がっていく。思わずバル様の首に抱きついて、美形なお顔を覗き込む。
「本当に、バル様!?」
「ああ。モモの話を聞いて決めた。前々からモモの専属護衛についてはレリーナ一人に任せきりでは負担が大きいと考えていたんだ。本人に受ける意思があるならばの話だが」
「ジャックさん、聞こえたっ?」
嬉しくてたまらない桃子は、呆けた様子で棒立ちになっているジャックさんに声をかける、それで意識が下りてきたのか、ジャックさんは何度も瞬きながら混乱したように聞き返してくる。
「え? どういうこと?」
「この一月に起こったことはモモから聞いた。護衛の任務を上手く果たしてくれたようだな」
「は、はぁ? オレは普通の護衛をしただけのつもりなんですけど。どの辺がよかったのか、聞いてもいいですかね?」
「お前の言う、その普通を評価した。モモが側室に首を絞められた時に、この子を叱ったのだろう? たとえ加護者であろうとも本人の為に叱る者は必要だ。だが加護者である者を叱れる他人はそうはいない。神を恐れ口を噤む者も多いはずだ。だからこそ、モモの身を案じて叱ったお前は信用に足ると判断したのだ」
「いや、オレ馬鹿なんで、あんまり加護者ってことを気にしてなかったんです。そりゃ最初は加護者様を守るっていう意識があったんですけど、モモちゃんが親しみやすい子だったから、途中からはほとんど普通の子として接しちゃってたんですよね。そんなオレでも、正式に雇ってもらえますか?」
頭を掻きながら正直に打ち明けるジャックさんに、バル様は頷く。
「お前にその気があるのならば」
「そりゃあもう、溢れるほどやる気はあります!」
「今後もモモのことを頼むぞ」
「──よっしゃあっ!!」
ジャックさんが歓声を上げた。熊みたいに大きな人だけど、無邪気な喜び方だ。桃子とレリーナさんは、正式に専属護衛となったジャックさんに笑顔を向ける。
「私も嬉しいよ、お話しを受けてくれてありがとう。これからもよろしくね、ジャックさん」
「バルクライの旦那が傍にいられない時はオレが必ず守るよ。レリーナさんと一緒に!」
「私も護衛仲間としてあなたを信用しているわ。私達は共にモモ様を守る無二の楯であり剣とならなければいけない。ロンさんに鍛えてもらいましょう」
「はいっ、レリーナさんが言うのなら骨が折れても鍛えます!」
「いい返事ですな。よいでしょう、明日の早朝よりさっそく鍛錬ですよ。──バルクライ様、本日のご予定はどのように?」
「今夜はキルマとカイを夕食に招待した。夕食は多めに用意を頼む。それから、今日はその二人と母上達から以外の伝令や使者の来訪は一切受けつけるな」
「かしこまりました、バルクライ様。仰せのままにいたしましょう」
バル様の命令にロンさんが深く頭を下げた。ぴりっとした空気に背筋をぴーんと伸ばしていると、バル様にとんとんと背中を叩かれる。心地よい叩き方に、緊張がへにゃっと崩れる。
「さて、オレが留守の間にモモがなにをしていたのかを教えてもらおうか」
「うん! 私もバル様達が任務中をどんな風に過ごしていたのか知りたいの」
「そうだな。川を越えようとした時のことなんだが──……」
バル様が室内に踵を返しながら、話し出す。その美声に耳を傾けながら、桃子は楽しく相槌を打つのだった。




