263、バルクライ、答えを見つける 前編
*バルクライ視点にて。
バルクライは小さな旋毛を見下ろした。ディーカルの隣に立ちつくすモモは、これから叱られることを恐れてか、眉を下げて俯きがちに身を固くしている。
「モモ」
「……うん……あの……」
先程の言葉について説明を促すが、今までになく口が重い様子だ。モモは自分に非があることならば、素直に謝るだろう。バルクライは顎に指を添えて考えを巡らせると、彼女の状況を推察していく。
「なにか予期せぬ出来事に巻き込まれたか? それは──城で起こったことか?」
「……っ!」
「それほどまでに躊躇っていた理由は、オレに関係あるからだな? 原因の場所が城となれば、関わっているのは貴族……いや、ただの貴族ならば義母上や兄上もモモに近づけさせなかったはずだ。ならば、相手は父上の側室か」
それはバルクライが最も懸念していたことだった。深くため息をつくと、怯えたように小さくなるモモを宥める。
「責めているのではない。側室を相手によく怪我もなく無事でいてくれた。どういう状況であったのか、モモの口から聞かせてくれ」
「……最初は、側室の人達にお茶会に誘われたの。それから、侍女さんがちょっとした事故で、私の着てたドレス汚しちゃったり、お花の鉢が割れちゃうことがあって、それで自分の侍女がしたことを気に病んだアニタ様が、侍女さんを通してどうしても私に謝りたいと言って来たの」
「人に頭を下げるような女には見えなかったが」
バルクライがアニタと直接会ったのは、城に住んでいた頃に義母を訪ねた時だ。一度顔を合わせただけだが、欝々とした憎しみの籠った目を向けられたことは覚えていた。しかし、庶子として生まれたバルクライに蔑みの目を向ける貴族は少なくなく、アニタのことも同様に扱って気に止めてはいなかったのだ。
「王妃様もアニタ様は矜持が高いって言ってた」
「そうか。側室と接する機会がある義母上が言うのなら、間違いないだろう。だが、気になるのはそれだけではないな」
侍女が失敗しないと思っているわけではないが、被害を被ったのが二度ともモモであるというのは、偶然だろうか? バルクライは疑念を頭の中に残して、モモに続きを促す。
「それからどうなった?」
「えっと、私のお部屋に招くことにしたの。それでね、最初は世間話を振っていたんだけど、アニタ様にバル様と王妃様について大事な話があるから二人きりにしてほしいって頼まれたんだよ。お部屋に来た時から少し様子がおかしかったのには気づいていたんだけど、私はその言葉につられて、アニタ様の要求を受け入れちゃったの。そうして人払いをしてお話を聞いていたら、突然アニタ様が自分の子供が亡くなったのは、王妃様やバル様が毒殺したからだって言い出して……」
「なんだと?」
バルクライは突飛な内容に眉をひそめた。確かに腹違いの義弟ではあったが、顔を合わせたことは一度たりともない。母のアニタが囲い込み厳重に周囲を監視していたからである。それを乗り越えて無理に会うほどバルクライはその弟に関心がなかった。当然、顔を合わせたこともない弟を毒殺など出来るはずもない。
「バル様達がそんなことをする理由がないって反論したら、アニタ様が急に私の首を絞めてきたの。怖くて、苦しくて、バル様や軍神様のことを呼ぼうとした。だけど声にならなくて、意識が薄れて来た時に神様が助けに入ってくれたんだよ。だから大事には至らなかったけど、私がアニタ様の要求を受け入れたりしたから、大事になっちゃった部分も大きいの」
肩を落として俯くモモに、胸が冷えるのを感じた。自分の知らないところで彼女を失いかけていた事実は、バルクライに苦痛をもたらした。
「……モモ」
「はっ、はいっ!」
背筋を伸ばして返事を返すモモに、喪失の気配で冷えた胸が熱を生む。潤んだ大きな黒い瞳に見上げられると、なぜか言葉が出てこなくなった。モモが自分の身を危険に晒した理由を考えれば、一方的に叱ることは出来ない。しかし、咎めず聞き流すには、彼女の行動はあまりにも無謀なものだ。
バルクライはモモを驚かせないようにゆっくりと抱き上げて、執務机の上に彼女を腰かけさせた。これで身長差が生む無駄な威圧感は軽減されるはずだ。しかし、モモはそれでも不安な様子で瞳を揺らしている。
かけるべき言葉を探し、バルクライは自分の感情を慎重に吟味する。剣や馬を操る技術はすぐに会得出来たが、心と呼ばれるものを言葉で表現することは非常に難しい。モモと出会って生まれた感情の多くは、今までバルクライが感じたことのないものばかりなのだ。
「オレや義母上はお前に守られるほど弱くはない」
「……そ、そうだよね。余計なことをしてごめんなさい。バル様達ならきっと私なんかが心配しなくても大丈夫だったのに……」
モモが悲しそうに眉を下げた。……失敗した、か。バルクライは彼女の傷ついた表情を見て、焦燥にかられた。
「そうではない。オレ達が原因でモモを失いかけたことが、オレには苦しい。どんなに凶暴で巨大な害獣が相手でも恐れはしない。だが──お前を失うことだけは、恐ろしいと思う。国に尽くし、全て捧げるつもりで生きてきた。しかし今や、オレの心臓を握っているのはお前だ、モモ。お前になにかあった時、おそらくオレは──……」
バルクライはその先を言葉にすることを止めた。モモに対して感じていたものの正体を理解したのだ。自分の知らない場所で失いかけていた事実を知り胸が冷えたのも、害獣討伐の任務中も心の隅で存在を主張するように消えなかったのも、バルクライ自身がモモに自覚していた以上に心を傾けていたからだ。
義母上や兄上、ルーガ騎士団の団員達、そのどこへ向ける感情とも違うもの。大事と呼ぶ範囲には収まらないほどに強く、熱量のある感情。これこそがバルクライが探していた答えだった。




