250、モモ、信じたい~壮観な光景は記憶と目に焼きつくもの~前編
レリーナさんの提案を受け入れて、楽しく引き籠もり生活を過ごした桃子は、約束の朝におじいちゃん先生の診察を受けて、喉については完治のお墨付きをいただいた。お部屋の中での三日間は、昼間は専属護衛の二人とメイドさん達を交えてお勉強したり遊んだりと充実したものであった。おかげで字のレベルがほんの少しだけ上がった気がするの!
それから、夜はレリーナさんに添い寝をしてもらい、バルチョ様を気にしながらベッドに入っていた。けれど、結果的にはあれからバルチョ様が動くことは一回もなかったのである。やっぱり中にいた誰かさんはいなくなったようだ。私もジャックさんもほっとしてたんだけど、護衛騎士のユノスさんは違う意見を持ったみたい。バルチョ様が動いたのは、もしかしたら私自身が原因の可能性もあるんじゃないかって。
命の危機に瀕した桃子が、本能的に魔法を使おうとしたが上手くいかず、おかしな発現の仕方をした結果が、バルチョ様を動かすことに繋がったのでは? ってことらしい。もしその予想通りなら、これからも安心してバルチョ様と遊べるよねぇ! だけど、他に原因があるのならちゃんと知りたい気持ちもあるの。だって、お、おばけじゃないって確信がほしいもん!
というわけで、お籠もり明けである今日、桃子は首の痣をレリーナさんがおしゃれに整えてくれたスカーフで隠して、腕にバルチョ様を抱えたまま、ルーガ騎士団の廊下をパタパタと走っていた。軽い足音に重なるように、2つの速足な足音が続いている。専属護衛の2人、レリーナさんとジャックさんだ。
桃子の目的は団長執務室にいるだろうキルマに会うことであった。キルマにはバル様の名代としての立場もあるので、桃子命名【アニタ様事件】の後にジャックさんから事情を伝えてもらっていた。本来なら外部の人に漏らすのはダメなんだろうけど、表向きはキルマの立場を理由に、本当は桃子が信頼してる相手だから知らせることにしたのである。だって、バル様とカイとキルマは私の保護者を名乗ってるから、ここで知らせなきゃ怒ると思ったんだよねぇ。
事件を知ったキルマからは、「早く元気な顔を見せてくださいね」という伝言と一緒にお見舞いのリンガが大量に送られてきた。だから、昨日のおやつはリンガのパイだったよ!
「ところでモモ様、ルーガ騎士団でなにをご確認したいのですか?」
「ちょっと前に会った1番隊長さんがね、バルチョ様のことを気にしていたの。だから、その人ならバルチョ様が動いた原因に心当たりがあるんじゃないかなって」
「ああ、あの隊長さんか!」
ジャックさんは合点がいったようだ。そうなの、お菓子をくれたダナンさん! あの人が一番最初にバルチョ様になにかを感じ取っていたのだと思う。だからまずは、キルマにバルチョ様のことをお話して、ダナンさんのところに行かせてもらうつもりなのだ。
気が急くままに廊下を走っていると、角を曲がってやってきたある人物に出くわす。親しげに片手を上げた相手に桃子は呼び止められる。
「よぉ、チビスケ! 今日も元気そうだな。けどよ、そんな急いでるとまぁたコケるんじゃねぇの? この間も転んだって聞いたぞ?」
陽気な挨拶をしてきたのはあばらを骨折中のディーである。今日は団服を身につけており、何処かに向かう途中のようだ。桃子はディーにまで転んだ事実を知られていることに顔を赤くしながら慌てる。
「わわわっ、そんなことまで噂になっちゃってるの!?」
「モモちゃん盛大に転んでたもんなぁ」
「うぐぐっ、ジャックさんまで! もう恥ずかしいから忘れてよぅ! それよりも、ディーは出歩いて大丈夫なの?」
「おう。ババァが軽い散歩ならいいって言うからよ、これから鍛錬場を一周してくるわ。ベッドで何日も寝てるだけってのはこっちも苦痛でな」
「許可が下りてよかったねぇ。それだけディーの身体が治ったってことだもん」
桃子が嬉しさににこにこしながらディーを見上げていると、突然鍛錬場から女の人の悲鳴が聞こえてきた。耳を澄ますと男の人達の怒声もしている。
「騒ぎかぁ? 運動不足にゃちょうどいいな」
「ダメだよぅ! ディーが許可されたのは散歩だけでしょ? またあばらが痛くなっちゃうよ?」
「ババァみてぇなこと言うなよ。チビスケが黙っててくれりゃあわかんねぇだろ。ちょっとだけだ、ちょっとだけ」
ディーが野次馬根性を隠しもせずにそんなことをのたまう。歩き出した背中を放っておけずに、桃子はその後ろを追いかけた。鍛錬場に繋がる扉を抜けると外の騒ぎが近くなる。暴れるように剣を振りまわしている団員を、トーマが対峙して止めようとしているのだ。異様な雰囲気を漂わせる団員の顔を見て、桃子は目を丸くした。
「ファングル!?」
「チビスケの知り合いか?」
「うん。トーマの友達なんだけど、なんであんなことに……?」
「モモ様、それ以上前にお出になられませんように。あの男は正気を失っている様子です」
「正気って……っ!」
桃子ははっとする。ファングルと話した時に、嫌な夢を見て眠れないと言っていたことを思い出したのだ。悪夢と言えば桃子にも嫌というほど身に覚えがある。トーマを親友と呼び、無理して笑ったファングルがこんな暴れ方をするはずがない。だとしたら、この騒ぎの原因は──……!
「レリーナさん、ジャックさん、私をあの2人の近くまで連れて行って!」
「いけません! それではモモ様の身が危のうございます」
「……なにか理由があるのかい?」
レリーナさんには強く反対されたけど、ジャックさんは違う反応をした。桃子はそんなジャックさんに顔を向けて真剣に訴える。
「ファングルは操られてるだけなのかも!」
「あん? チビスケ、どういうことだ?」
「前にファングルが嫌な夢ばかり見るって言ってたの。それで思い出したんだ。街で騒ぎを起こしたフィーニスは人の夢に入って悪夢を見せることが出来るんだよ。だから、ファングルは単純に暴れてるんじゃなくて、夢を介して操られて正気を失ってるのかもしれない。だってあんな暴れ方をする人じゃないもん。周囲どころか、自分自身の身体だって傷ついてるのに少しも怯んでない。それって、街を襲撃した害獣と同じだよね!」
「話はわかった。悪いがチビスケは借りてくぜ!」
「まっ、えぇっ!?」
「モモ様!!」
ジャックさんとレリーナさんが止める間もなく、ディーが桃子を小脇に抱え上げて走り出す。激しく揺れる視界に目を回しそうになりながら、桃子はバルチョ様を抱きしめたまま必死にその揺れに耐える。




