239、モモ、学ぼうとする~お手本となる人がいると練習しやすいかも~
ふわふわした温もりの中で桃子は目を覚ました。お部屋の中はまだ薄暗く、早朝の気配を感じる。桃子はお腹に回されたナイル様の優しい腕をそうっとはがして、ベッドから降りた。お人形のバルチョ様とオルゴールがなかったから眠りが浅かったのかもしれない。目元をこしこし擦りながら窓に近づいて外を覗き込む。太陽もまだ眠そうな傾き方をしている。王妃様のお部屋はお城の上階にあるから、地面が遠くに見えた。働き者の騎士や侍女は動き出しているようで、急ぎ足で歩いている。
「……バル様達が帰ってくるまで後どのくらいかなぁ?」
小さな指を折りながら日にちを数えてみる。予定通りなら、後13日くらい? 待ち遠しいね。桃子は遠くに見える街を見て恋しい人に心を飛ばす。話したいことがたくさんある。ルーガ騎士団のこと。護衛騎士のお兄さん達のこと。レリーナさんとジャックさんのこと。それからそれから……心の中にいつの間にか生まれていた気持ちのこと。
桃子が突然異世界に来てしまったように、いつなにが起こるかなんて未来は誰にもわからない。だから、気付いた気持ちは正直にバル様に伝えておきたい。と思ったところで気づく。これって告白になるの!? どうしよう……考えたら緊張してきちゃった! バル様と会った時にちゃんと恥ずかしがらずに言えるかなぁ?
「す、すすすす、す……くぅっ、言えないっ」
試しに口の中でこっそり練習してみたら、すの先が出て来なくなった。桃子は頭を抱えてしゃがみ込む。恥ずかしい。意識し過ぎたのだろうか。バル様のすんごく整ったお顔を思い出すだけで、頭がぼぅっと熱を持ってきた。告白とか考えなきゃよかったよぅ! それにバル様に嫌われていないことは知ってるけど、同じ気持ちを持ってもらえるのかはわからない。そう思ったら心に不安がじわーっと広がってきた。
膝を抱える桃子に心の中で五歳児がびしっと指を向けてくる。うじうじ弱虫はダメ! そんなの好きになってもらえるように頑張ればいいんだよ! 五歳児のエールに桃子ははっとする。そうだよね。今のバル様に気持ちがなかったとしても、私が努力をすればいいんだ。桃子はぱっと立ちあがると顔を上げた。……なにを努力したらいいのかはまだよくわかんないけど!
起きるまでにはまだ時間があるし、もう一回ベッドにお邪魔しよう。いそいそと戻るとさすがに起こしてしまったのか、ナイル様が薄く目を開いていた。
「どうしたんだ? 眠れなかったのか?」
「ううん。ちゃんと寝てたの。早起きしちゃっただけ」
「それならよかった。昨夜はモモと楽しむために、この部屋に誰も寄せ付けるなと言い渡していたからな。おそらく朝にでもアニタの使いの者がやってくるぞ」
「お庭のこと?」
「そうだ。侍女のしたことは主の責任となる。つまりは、アニタは私達に無礼を詫びる必要があるということだな。花の鉢を割られてしまったことも聞いたぞ。可哀想に、悲しかっただろう」
ナイル様の腕の中に抱き込まれて、桃子はその温かさが気持ち良くて目を細める。
「たまたま当たっちゃっただけだからね。レリーナさんがお城の外のいい場所に埋めてくれるっていうから、お任せしたの」
レリーナさんにはお城に居候するようになってから、ちょっとした用事ばかり頼んじゃってる。自分で行けたらよかったんだけど、さすがに今の状況でお城の外に行きたいなんて我儘は言えない。五歳児には立派過ぎる肩書がついちゃってるから、そんなことしたらお城からも護衛の人が借り出されちゃいそうだもん。だからレリーナさんにお願いしたんだけど、輝くような微笑みで引き受けてくれた。なんで嬉しそうだったんだろう? お仕事中毒? お願いだから、休める時はちゃんと休んでね!
ナイル様は眠気の残る瞳を瞬かせながら桃子の行いを褒めてくれる。
「侍女を責めなかったのは偉かったな。だが、いつもモモが我慢すればいいというものではないぞ。罰しなかったことで、モモを侮る者もいよう。それは加護者として許してはいけないことだ」
「神様が加護を与えた人だから?」
「そうだ。ただ、これは加護者は暴君であれ、ということではない」
「うーん。すんごく難しいの。いいよーって言う優しさと、めって言える厳しさが加護者にも必要ってことだよねぇ。私が間違えちゃうかもしれないし……」
「怖れることはないさ。モモの優しさがあれば、間違えてもきっと周囲が正してくれる。しかし、暴君となれば誰も正すことが出来なくなる。過ちを正せないのならば先に待つのは滅びだろう。つまり、上に立つ者に求められるのは、寛容と非情の二つの側面を持つことだ。その点、ラルンダは上手い。あの威圧で周囲を怖れさせてはいるが、寛容さも持っている。一見するとそうは見えんがな」
「じゃあ、王様をお手本にすればいいんだね!」
桃子は名案を思いついて顔を明るくする。しかし今度はナイル様が渋いお顔になった。あの、相手はあなたの旦那様なんだけど、ご不満ですか!?
「可愛いモモがあんな男に似るのはすこぶる不快だぞ」
「そんなに!? ナイル様、王様のこと戦友だって言ったのに」
「それはそれよ。可愛い子をどうしてわざわざ男に似せたいと思う? お手本とするなら私にしないか? モモは私では嫌か?」
拗ねたように顔を寄せてくるナイル様はなんだかとっても可愛かった。桃子はぶんぶん首を横に振って即答する。
「ナイル様にする!」
「ふふふっ、嬉しいぞ。アニタがどのような形で謝罪を示すかは知らないが、困ったら私に話を振るといい。あれは物静かな女に見えて、この国の筆頭貴族に名を連ねる名家の出だけあり、矜持が高い。十年前の流行病で王子である息子を亡くしてからは、王妃の椅子に執着を強めているようだ。こればかりは、どの側室にも言えることかもしれないが」
王様の知らないところで、王様の為に膝を折ったナイル様ほど王妃様に相応しい人はいないと思う。これだから男は! って、ナイル様は言うけど、王様やバル様達に対する愛情深さが本物なのは見ててわかるもん。
「王様の隣に立つ人はナイル様だよ」
「私もみすみす王妃の座を渡す気はない。それがこの国の、ラルンダの為になるというのなら考えるが、あの3人の誰が王妃になろうと利にはなりそうもないからな。──朝から難しい話ばかりしてしまったな。もう一眠りしよう、モモ」
「……うん」
きゅっと抱きしめられて、桃子は目を閉じた。心配なことを考えることもあるけど、今は少しだけ休憩しよう。次に起きた時はきっと忙しい1日が始まっているはずだから。




