212、モモ、緊張が飛ぶ~自分のお部屋って心と身体が自由になる空間だよね~前編
不穏なお茶会から脱出した桃子は、バル様のお兄さんの腕に抱っこされたまま足早に自室まで運ばれていった。王様を待たせちゃいけないからだね! 緊張から解放されたと思えば新たな緊張がやってくるわけだけど、今度は少し気が楽だ。だって緊張する相手は一人だもん。桃子はそう考えて、加護者の顔を保つ。護衛兵士さん達が守ってくれている自室の扉をくぐれば、加護者の立場から解放されて、へにゃっと表情が崩れた。
が、頑張ったの……。桃子の中で五歳児が力尽きて床に丸まる。桃子もそうしたい気分だ。そうだよね! 本当に頑張ったよ! もう一人の自分に激しく同意していると、ジュノラスさんが床に下ろしてくれる。力を入れ過ぎないよう気をつかってくれたのか、両脇に入れられた腕が、慎重に、すんごく慎重に、降下していき、ゆっくりゆーくりと床に足がつく。桃子とジュノラスさんは同時にふぅっと息をついた。同じタイミングだったねぇって、照れ笑いを向けると、青い目が撓んで快活な笑みを返された。
「モモとは気が合いそうだなぁ」
「えへへ。嬉しいです。すぐに着がえるのでちょっとだけ待っててください」
桃子はドレスの水分を吸収した手巾を畳みながら、一緒に入室したレリーナさんがきびきびと動き出す姿を目で追う。ここで脱いじゃっていいのかな?
「ドレスをお持ちしますのでモモ様は少々お待ちを。ジュノラス様にはモモ様のお着替えの間は別室でお待ちいただきたく存じます。今案内の者をお呼びしますね。ジャックは使用人室から彼女達を呼んでくれますか?」
「あぁ、わかった!」
大急ぎで準備を始めようとする二人に、ジュノラスさんが片手を上げて呼び止めた。
「いや、モモの着替えはいつものもので構わんぞ。実はな、父上がお呼びと言ったのは嘘なんだ」
「うん!?」
「嘘、でございますか?」
「なんだって、そんな嘘を……」
桃子は言葉尻を飛び跳ねさせて、ぽかんとジュノラスさんを見上げる。どういうこと? 嘘? 第一王子のまさかの発言に、レリーナさん達も動きを止めている。ジュノラスさんは腕を組んでむんっと胸を張る。
「ああでも言わなければ、モモをあのお茶会からは連れ出せなかったからな! 側室方と対峙するにはモモは素直で気が優し過ぎる。あの方々の相手には腹芸が必要だ。かく言うオレもそれほど得意ではないんだがな、はははっ」
底抜けに明るい笑い声には清々しささえ感じる。桃子をあの窮地から救うために、その苦手な腹芸をしてくれたのだ。桃子は尊敬の眼差しを向けた。バル様のお兄さん、やっぱりすんごく良い人!
「助けていただいて、ありがとうございました! 私の態度は貼りつけ加護者だったので、いつボロが出ちゃうかハラハラしてたんです」
「なんのなんの。君が側室達に呼び出されたことをベクターが知らせてくれたんだ。っと、あぁ、すまん。名前を言っても誰なのかわからないな? ベクターというのは父上の宰相を務めている男なんだが、ここだけの話、昔オレとバルクライの教育係をしていたこともあってな。その繋がりで、バルクライが出立前にモモの周囲に気を配って欲しいと頼んでいったようだ」
「バル様が……」
また、バル様の心に桃子は救われたのだ。胸がきゅぅってなって、ツキツキしてくる。なんだろう、今すんごくバル様に会いたい! 物静かで穏やかな黒い瞳を向けて、あの美声でいつものように名前を呼んでほしい。不思議なことに、目の前がじわりと滲む。桃子は手の甲でごしごしと目を擦った。おかしいね、悲しくないのに涙が出てくる。桃子の様子を見て、ジュノラスさんが優しく頭を撫でてくれた。
「バルクライが恋しいか?」
「……わかんないです。でも、バル様に会いたくなっちゃいました」
「それが恋しいという気持ちだろうよ」
ジュノラスさんの言葉に心が震えた。そっか。私、バル様のことが恋しかったんだね。バル様達のことを考えない日はないし、皆が無事に帰ってきてほしいっていつも思ってる。だけど、こんなに強く、焦がれるように、バル様の声を聞きたいと思ったの初めてだった。これは五歳児ではなくて、バル様に恋をしてる十六歳の桃子の気持ちなのだろうか。
「その涙が答えだとオレは思うぞ。バルクライが不在の間は、兄のオレが仮保護者として君を守ろう!」
「ひょわぁ!!」
大きな腕にがばっと抱きしめられて、桃子は目を白黒させる。厚い筋肉がずっしりとのしかかってくるのに、絶妙な力加減で重さがほとんどない! これ、のしかかってる振りだね! びっくりして涙も蒸発した桃子から腕を放して、ジュノラスさんは立ち上がる
「だがまぁ、あの立派な加護者振りなら、それほど助けはいらないかもしれんな?」
豪快な励まし方に、知らずに桃子も笑っていた。明るく力強い表情が本当によく似合う人だ。頼りになるお兄ちゃんって、感じがする。兄弟のいない桃子にとってはまさに理想のお兄ちゃんだ。顔立ちはそれほど似てないのだけど、優しい心配りは無口なバル様とよく似ている。さすが兄弟だねぇ。
「ジュノラス様に、もっとバル様のお話聞かせてもらえたら嬉しいです」
「おお、いいぞ。その代わり、オレにもバルクライと同じように接してほしい。父上ではないが、オレとも親睦を深めてくれ」
「うんっ、ジュノ様と親睦するの! あっ、勝手にお名前を省略してごめんなさい」
「ジュノか! これはいいあだ名をもらったなぁ。バルクライのこともバルと呼んでいるのだから、オレのこともそれでいいぞ」
慌てて口を両手で押さえて失礼を謝ると、逆に喜ばれた。ジュノ様は第一王子様なのに全然偉ぶらなくて、おおらかな人柄のようだ。これがこの人の魅力なんだろうねぇ。話してると楽しくなるもん。これぞ、お兄ちゃん力?




