211、モモ、加護者らしくする~側室のお茶会は嫉妬と策略の香り~後編
「モモ様!」
レリーナさんとジャックさんが待機していた部屋の隅から走り寄ってくる。桃子の胸元が良い匂いの茶色に染まっていく。お高いドレスが大変! これ、落ちるかな? 誰か漂泊剤下さい! 内心で忙しくあれこれ考えながらも、軍神様モードで無表情をなんとか保ち、自分のドレスを見下ろす桃子を見て、三人の側室の中で一番早く反応したのはアニタさんだった。綺麗な形の眉を吊り上げて侍女を叱責する。
「なにをしているのです! 加護者様、お怪我はございませんかっ?」
「も、申し訳ありません、アニタ様!」
「わたくしに謝罪するのではなく、加護者様になさい!」
「どうかお許しくださいっ、加護者様!」
脅えた様子で頭を下げる侍女のお姉さんに、桃子はどう答えたものか迷う。このくらい怒るほどのことじゃないもんねぇ。平気だよって言ってあげたいけど、いっそこの場を離れる理由にした方がいい?
「紅茶は飲むために、服は汚すためにある。幸い飲みかけで冷めていたからやけどもしていない。怒るほどのことでもないだろう。だが、このドレスは気に入っているからこれ以上汚れを広げたくない。来て早々だが、今日はこれで失礼しよう。アニタ様、誰にでも失敗はある。侍女を必要以上に叱責することがないように」
怒らないであげてね? って動きたがる口をめっと叱りながら、またしても堅苦しい言い回しをする。はぅぅ、これ疲れるの! ジャックさんが椅子を引いてくれて、降りる手伝いをしてくれたので、ドレスの汚れを理由に逃走すべく、さっと椅子から離れる。レリーナさんが懐から出した手巾で紅茶のシミを押さえてくれた。青い手巾が色を濃くする。
手間かけさせてごめんよ。お部屋に帰ったら、皆で美味しいお茶を飲もうね! って心の中で伝えておく。頭の中はドレスを脱いでまったりすることでいっぱいだ。そんな桃子を引き留めたのは主催者のアニタさんだった。
「お待ち下さい! わたくしの侍女の不手際でこのままお帰り頂くのはあまりにも心苦しいですわ。幸いにも、わたくしにはすでに嫁いではございますが娘がおります。ですから、幼い娘が着ることのなかったドレスが何着か残っているのです。それゆえ、加護者様のドレスの替えをすぐにご用意出来ますから」
いくら本人がもう着れないとは言っても、娘さんのドレスを貸してもらうのは申し訳ないよねぇ。貰ったものならいいとは言わないけど、他人様のドレスまで汚しちゃったら困るもん。それに、このお茶会って、王様の側室同士の戦い! って感じで、お尻が落ち着かない。お部屋に帰らせてよぅ! 心の中で五歳児も訴えている。すんごくバルチョ様をぎゅっとしたい気分なの。
「いや、そこまでしてもらわずとも結構だ」
「どうかそうおっしゃらずに!」
「モモ様、ここは主催者のアニタ様のお顔を立てて差し上げてはどうでしょう? 私もルディアナ様のお相手をするよりも、もっと貴方様とバルクライ殿下のお話をお聞きしたいです」
「わたくしもその首飾りのことをもっと知りたいわぁ。マデリン様と話をするよりもよほど楽しめそうですもの」
そんなこと言われても困っちゃうよ。この3人はどうしてもこの紅茶の味がわかんなくなるお茶会に付き合ってほしいらしい。ダイエット出来ちゃいそうな空気のこの場所に、私って必要かなぁ? うぅー、もうちょっとだけ居るしかない? 誰か助けてーって思ってると、廊下に続く扉が外側から開かれた。そして、大きな影が不穏な空気を打ち消すような明るい声と一緒に入室してくる。
「麗しい女性の集まりにお邪魔させて頂くが、いいかな?」
茶目っ気のある陽気な言葉を発したのは、バル様のお兄さんのジュノラスさんだった。第一王子の登場に側室の3人が椅子から立ち上がる。
「これは、ジュノラス殿下! このような場にどうなさいました? もしや、王様がわたくし共になにか……?」
「いやいや、そうではないんだ」
言葉尻を細らせる、アニタさんにジュノラスさんが苦笑しながら首を横に振って、桃子に視線を向ける。その目がドレスの汚れを見て丸くなった。一瞬だけ目を鋭くして、あっと言う間に桃子を腕に抱き上げてくれる。ふぉぉっ、さすがバル様のお兄さん。よく似た落ち着く腕心地! ジュノラスさんは鋭い眼差しを消すと困り顔に表情を変えて、自分の父親の側室達を見回す。
「なぜ、モモのドレスがこのようなことに?」
「実は、わたくしの侍女の腕が加護者様にぶつかったはずみでドレスを汚してしまい、今お着替え頂こうと話をしていたところなのです」
「それはモモには災難だったなぁ。しかし途中で退席するのなら、ちょうどよかったと考えようか。父上がモモをお呼びでな、オレに迎えに行けとおっしゃるのでここまで足を運んだのだ。側室の皆様にはお茶会の途中で申し訳ないが、ご理解いただきたい」
「王様が加護者様をお呼びとは、どのようなご用なのでしょう?」
「さぁてなぁ。父上のお考えはオレにはとんとわからん! だが別に悪い話ではあるまいよ。せっかく城に滞在しているのだから、親交を深めようとしていらっしゃるのかもしれない。では行こうか、モモ。あまりお待たせはできないのでな」
「失礼する」
心配そうに疑問を口にするアニタさんに、快活な笑みで答えてジュノラスさんは桃子を抱えたまま扉に向かう。桃子は加護者様らしく退室の挨拶を短く伝えると、レリーナさんの手巾で濡れたドレスを押さえた状態で運ばれていく。レリーナさんとジャックさんが無言で後ろに続いて退室する。粘着質な3組の視線は扉が閉じられることでようやく途切れた。ジュノラスさんという救世主のおかげで、不穏なお茶会から無事に脱出なの!




