21、モモ、驚きの朝を迎える~誰にでも予想外なことは起こるもの~
ぱちっと目が覚めて、桃子は目の前の眼福に慄いた。バル様の彫刻のように整ったお顔がすぐ傍にあったのだ。今日も美形さんだね。一日一善ならぬ、一日一眼福。うん、良い朝!
朝の光が窓から差し込み、室内は明るくなっている。あれだけ不安だったのに、一晩眠ったら桃子の心にあった不安も、今ではすっかり消えてしまった。きっと、一人では眠れない夜を過ごして、泣いていたかもしれない。そう思うと、昨日の夜にバル様に救助されてよかった。
「こえぎゃ、びせぇーのこうきゃ……!」(これが美声の効果……!)
ん? おかしいなぁ、舌が回らない。 桃子は身体を起こして自分の異変に気付いた。視線が昨日より明らかに低い。そして見下ろした自分の手がもちもち加減を増している。
「ま、ましゃきゃっ。バリュしゃま! おっき、おっきちぇ!!」(ま、まさかっ。バル様、起き、起きて!!)
慌ててバル様のお顔をパシパシと叩く。腕が短い! 絶対に短くなってる! 緊急事態です。私、五歳児より小さくなってるんだけど、誰かどういうことか説明して!?
応接間にて、おそらく一歳児くらいだろうと判断された桃子は、ソファに座らされて、美形三人衆を前に項垂れていた。鏡で見せてもらったが、やっぱり幼児化が進行していた。手足がさらにふっくらして、お腹もぽこっと出た幼児の自分がそこにいたのだ。これ、どんな罰? 眼福眼福言ってたから、それが原因なの?
なにより衝撃だったのは、上手に話せないことだ。もう話すもんかとばかりに口を引き結んでいると、カイが宥めるように頭を撫でてくれる。
「モモ、その姿も変わらず可愛いぜ? だから、元気出せって」
「きゃわいくなきゅちぇいいみゅん……」(可愛くなくていいもん……)
うにゃあああああっ! 口が回らなくて、居たたまれない。ソファに座るのも苦労するわ、安定感がないわで、歩けるけどガニマタになるし、良いことなし。精神が十六歳だと一歳児は出来ることがなさすぎて辛い。
お腹が減ってスースーするのに、今の桃子に固形物は不味いかもしれないということで、食べるものがなかった。慌てて幼児用に柔らかな物を作ってくれているようだけど、もう切ないよぅ。
「……これはターニャの手には余るな。仕方ない、セージのことならミラだ。彼女の元にモモを連れて行く。レリーナ、準備をしてやってくれ」
「かしこまりました。正装でよろしいですか?」
「あぁ、そうしてくれ。モモ、朝食を食べたらその現象がわかる専門の元に行く。お前がそうなった原因にはおそらく、神が関わっている。その専門家なら、モモの身に起きていることもわかるはずだ。元に戻る方法を見つけてやる」
「ほーちょ?」(ほんと?)
「あぁ。その姿では、いつ怪我をするかわからないからな。それに神が関わっているのは、神殿の召喚が原因だと予測できる」
「かみぃしゃま?」(神様?)
「この世界には数多の神が存在する。この世界を作ったとされる全能の神、モモが誤って召喚された理由である軍神ガデス、賭け事の神、幸運を運ぶ神、また不運を招く神など、あげればきりがない」
「極まれにそんな神々が人に加護を与えることがあるのです。後で会うミラも美の女神に加護を与えられた存在です。それとは逆に、昨日会ったディーは、本人が言うには賭け事の女神に呪われているそうですよ」
「それ、オレも聞いたことあるな。子供の時に夢に出て来た女神の誘いを、すげなく断って呪われたって。まったく、女性を大事にしないからだぜ。本人は気にもしていないけど、実際あいつは賭け事に異常なほど弱いから、本当のことかもしれないね」
神様の考え方は日本でいう八百万の神と似たような感じらしいけど、人との関わり方が面白い。もしかしたら元の世界と似たような神様もいるかもしれない。
そんな面白そうな神様に呪われちゃってるかもしれないディーの顔を思い出す。けれど、酒ビンをあおっている姿しか浮かばない。でも、呪われている割には暗い印象は一切ないね。むしろ、それがどうしたと笑い飛ばしそうな豪快さが想像出来た。
「デーは、そえでだいじょびゅなにょ?」(ディーはそれで大丈夫なの?)
「まぁ、賭け事に弱くて些細な怪我をよくするってだけだからね。呪われたってのも酒がまわった時の与太話として聞いただけだよ」
すごいな酒豪。さすがだ酒豪。賭け事に弱いのなら、私でもババ抜きで勝てるかな? 桃子は恐ろしいほどババ抜きが弱い。周囲には顔に丸出しと言われていた。トランプがあれば勝負してみたい。負けた時の切なさは、あえて考えないでおく。
「モモ、大変残念ですが、私は騎士団に行かねばなりません。今はさらに小さくなってしまっているのですから、けしてバルクライ様とカイから離れてはいけません。それと、ミラはバルクライ様が苦手な相手です。もし嫌なことを言われても、貴方は何も気にすることはないですからね」
念を押すように言われて、桃子は不安になってきた。バル様が苦手な相手で、なおかつ桃子に嫌なことを言うようなミラって、どんな人? 頭の中で意地悪な顔をしたミラという美人な女の人が浮かんできた。ううぅぅぅ、こあい。幼児の本音が涙となって出てくる。
「モモ、泣くな」
滲んできた涙をバル様の親指で拭われる。こみ上げる不安の大きさは幼児の精神のせいだとわかっていても、心の天秤が不安側に偏っていく。桃子は腰をかがめたバル様のお腹に抱きついて、ぐりぐりと頭を擦り付ける。一歳児はすごく甘えたくなって困る。
「そんなこと言うから、モモが不安がってるだろ? 心配し過ぎだ。いくらミラでもこんな小さなモモを苛めたりはしないさ」
「カイ、貴方はしっかり見ているのですよ。いざとなったらどんな手段を使ってでも守りなさい」
「心配ない。オレが抱いていく。ミラには手は出させん」
バル様の一声は、桃子の心に力を与えてくれるようだった。




