206、モモ、救出に向かいたがる~不器用な人は言葉の真意も本心もなかなか見えないもの~前編
いつもより薄暗い早朝のこと、オルゴールの曲が流れる部屋の中で、桃子はお人形のバルチョ様を横に寝かせながらベッドの上でぱたりぱたりと足をばたつかせながら遊んでいた。
「起きるには、早いけど、どうしよう、かなぁ」
言葉を切る度に足を動かす。水泳の気分で顔を伏せるとビート板の代わりに両手の先をリンガのクッションに乗せて、バタ足をする。ぱたぱたぱたぱた……泳ぐ練習中。50メートル先まで頑張っちゃうよ!桃子の中で五歳児がテンションを上げている。朝から騒がしくてすみません。でも楽しくなってきちゃう。いかに速く足を動かすかが次の議題ですね!
桃子にこれほど余裕があるのは、寝つきの悪さが改善されているからである。不思議なことに、バルチョ様とオルゴールを貰ってから、その2つを装備すると以前より眠れるようになったのだ。おかげで昼間に眠くなることも減ったよ。
そうやって遊んでいると、ふと雨音が聞こえてきた。ポツポツという音はすぐにザァーッと濁音に変わる。その時、桃子はお庭に置かせてもらっていた植木鉢のことを思い出した。それはバル様のお屋敷に居た時に、桃子がエマさんから貰った種を植えていたものであった。今もお屋敷に残っているロンさんが宝箱と一緒に送ってくれたのだ。
まだ芽も出てないのに腐っちゃうかも! 桃子は慌ててバルチョ様を抱き上げ、ベッドを降りた。そうして、お庭に通じるガラス扉に向かう。そこには毎日代わりばんこで護衛についてくれている兵士のお兄さん達が居るはずだ。
初日の人には睨まれちゃったし、プチ騒動も起こしちゃったからなるべくお仕事のお邪魔をしないように気を付けていたのだけど、雨が降っちゃってる中じゃ大変だよね? 中で護衛をどうぞって言ったらダメかなぁ? カーテン越しにまずはコンコンッてノックして、カーテンの端を少しだけ避けてちょこっとお外を覗いてみる。……さっそく護衛兵士さんと目が合いました! しかも今日の担当は、あの時睨まれちゃった強面のお兄さんだよぅ!
無言のまま見つめ合いが続く。な、なにか行動を……ぺこり。つい頭を下げちゃったっ。また怒られちゃう! 桃子はバルチョ様のふんわりな頭を口元に引き寄せてびくびくしながらお兄さん達を見上げる。
「こあい……っ」
不快に思われちゃったのか、眉間に皺を寄せられる。桃子の目がうりゅっと潤む。片側のお兄さん僅かに困り顔になりながら、ぽんぽんと怖いお兄さんの肩を叩いているけど、どういう意味なのかな? そんな怒るなよ、って言ってるの? ちらりと同僚を振り返ったお兄さんはため息をつくように俯いて、一瞬の間を置いて顔を上げる。ザ・無表情! バル様もあんまり表情が出ないけど、この人のはなんというか、意識して無理やり感情を抑えこんだ感じがする。あの、そんなに怒っちゃったの……?
片側のお兄さんはそんなお兄さんに一瞬半眼になり、気を取り直したようにガラス扉を外側から細く開いてくれた。雨音がはっきりと聞こえるようになる。そして、隙間からちらっと一瞬見えたのは、お庭にある植木鉢であった。じゃばじゃばと雨水が大量に流れ込んでいた。……うっぷっ、もう無理だっ、お腹がたぷたぷで飲めないぞ! って、お花の種が叫んでる気がする!
「加護者様、どうなさいました? なにかお困りごとですか?」
「あの、あの、お庭に出てもいい!?」
「庭で遊びたいのですか? しかし、こんな土砂降りでは……お風邪を召されてはいけませんし、今日は止めておかれた方がよろしいと思いますが」
「遊ぶのは晴れた日になさいませ」
困り顔で部屋に留めようとするお兄さんの言葉に重ねるように、ミスター無表情なお兄さんが叱るような重さで淡々と言い放つ。一瞬びくっと怯えた桃子は腕にぎゅっとバルチョ様を抱きしめて勇気をかき集める。……言うぞっ! 言っちゃうぞ!
「違うよっ! お花の鉢が溺れちゃってるから助けに行くの!」
隙間から必死に見上げてそう言うと、合点が行ったのかミスター無表情なお兄さんは目を瞬いて、背後を振り返る。その視線はおそらく桃子の植木鉢に向けられたのだと思う。すると、なにを思ったのか、お兄さんは足早に土砂降りの庭に出ていく。そして、桃子が唖然としている間に鉢を抱えて戻ってきてくれたのである。騎士様の軍服も密かに格好いいなぁって思っていたマントも全部びしょ濡れだ。お兄さんは髪の先からぽたぽたと水を落としながら、無言で片膝をついて隙間を少し広めて鉢を室内にそっと押し入れてくれる。
「あ、ありがとう……」
「礼には及びません。職務の内です」
「でも、お兄さんがびしょびしょになっちゃった。私の我儘のせいでごめんね」
感情の起伏のない返事に、桃子は俯く。お兄さんに行ってもらうつもりじゃなかったんだけど悪いことしちゃったなぁ。




