19、モモ、保護者様(確定)のお帰りを喜ぶ~マニュアルは熟読したほうがいいよね~
玄関の方で扉が開閉する音がした。バル様達が帰って来たんだ! カイのお膝に乗ったままこの世界の食べ物の話を聞いていた桃子は、忠犬のように飼い主もとい、バル様とキルマの元に向かおうとした。しかしお腹に回ったカイの腕は、なかなかほどけない。
「こらこら、危ないだろ。ちゃんと連れてってあげるから大人しくしてな」
「歩いてお出迎えしたいの。これ、外して?」
「なんで? 抱っこでもいいだろ」
「甘やかしちゃ駄目! 癖がついたら困るもん」
桃子の中の五歳児が、どこに行くにも抱っこじゃなきゃ動かない! って主張し出したらどうしよう。中身は十六歳なのに、それどんな苦行?
恐ろしいのは、顔色一つ変えず不思議そうに目を瞬かせるカイである。色気が抜けた表情は素だね。そうか、ギャップを狙っているんだな!? 私を筆頭に女の人がほいほい引っかかりそう。
本人にそんな自覚はあるはずもない。全ては桃子の一方的な想像である。
「カイは格好いいのに時々可愛いね。きっとそのギャップに女の人はやられるんだ……」
「モモの感性はだいぶ変わってるな。オレが可愛いって? オレにはお姫様、キミが誰より可愛く見えてるよ」
耳元にとびっきり甘く囁かれて、桃子は背筋を震わせた。うひゃあああっ、狡いよ、その声は兵器だね! 止めて、五歳児を誑かさないで! 鼓膜を震わすように笑わないで!
「ほわわわわわっ、バル様!!」
困った時はバル様を呼ぶべし! これ、桃子のマニュアルに書いてあります。召喚者の声に答えるように、リビングに続く扉が外側から開かれた。
「どうした、モモ? ……カイ、何をしている?」
「そんな不審な目で見ないでくださいよ。ちょっと、ふざけてただけです。バルクライ様、お帰りなさい。キルマもお疲れ」
腕が外れて、桃子の足は床につく。久しぶりに地上に帰って来た気がする。今のうちに床を踏みしめておこう。感情の赴くままに床をふみふみしていると、三人の顔が緩んだ。疲れてる? 今こそ私の肩もみテクニックが光る時?
カイが立ち上がったので、三人の巨人と小人の桃子になる。三人共羨ましいほど足が長くて背も高いので、桃子の今の身長だと抱きつく先は三人の足になる。なんとなくしがみつきたい衝動がこみ上げてくる。はっ、これあれだ! 五歳児の精神! うーっ、足踏みで、が、我慢……っ。
「私が仕事をしていた間、貴方はこんな愛らしいモモの姿を見ていたんですか。随分と楽しい護衛時間を過ごしていたようですね?」
「悪いね。モモに構うのも任務の内に入ってるんだ。……団長、申し訳ありませんでした。今日モモが攫われたのはオレの責任です」
真面目な顔になったカイがバル様に深々と頭を下げた。噛みしめた悔しそうな表情が桃子には見えてしまった。
桃子はカイの隣に行くと、同じようにバル様に頭を下げた。
「バル様、ごめんなさい。私ももっと気をつけていればよかったの。この世界に来て、バル様達がとっても優しいから油断してたんだよね。知らない世界のことだから、もっとちゃんと知らなきゃいけなかったのに」
攫われた桃子にも非があった。それをバル様達にわかってほしかったのだ。五歳児の抵抗なんてたかが知れているかもしれない。だけど、守ってもらったのに、カイだけに頭を下げさせるのは、やっぱり違うもん。この世界の常識としては間違ってるのかもしれないけど、ここは譲りたくなかった。
バル様がため息をついた。ヒヤッとする。やっぱり怒ってる……?
「二人共、頭を上げろ。オレから言うことは一つだけだ。これより先もモモの護衛はカイが当たれ」
「……罰則は必要だと思いますよ?」
「無駄なことをする気はない。そんなものがなくとも、お前は十分に理解しているだろう?」
バル様、全然怒ってなかったね。静かな黒い瞳には、カイに向けた信頼が見える。よかった!
「あなたは仕事面ではとても真面目ですからね。必要以上に自分を責めるのは目に見えていましたよ。けれど、今回の件けしてあなただけの責任にはならないんですよ」
「どういうことだ? 実際、オレはモモの傍から離れちまったんだぜ?」
「それが神殿の策だった可能性があるんですよ。あなたが騒ぎの輪に入らなければ、もっと強引な手で迫り、最悪、危害が加えられていたかもしれません。その状況下で、モモを一人で守れというのは酷な話ですよ。今回はこの子が無事だったことを素直に喜んでおきましょう」
腰を落としたキルマにそぅっと抱きしめられて、頬に頬をつけてスリスリされた。
スキンシップ過多だけど、それだけ心配かけちゃったんだね。なんか果物のいい匂いがする。近くで見るとお肌の白さが際立って見えた。羨ましいほどの美顔だねぇ。化粧品のCMモデルも出来そう。
「キルマ……」
「もう少しモモと触れ合わせてください。私今日は疲れてるんです!」
ぎゅっぎゅっとされて、やっぱり抱き上げられる。キルマは三人の中で一番細く見えるのに、その身体はやはり男の人で、力持ちだ。片腕で抱っこされたまま食堂に移動していく。心無しか肩越しに見えるバル様の眉間にうっすらと皺が。
「バル様、後で抱っこして」
「……あぁ、わかった」
そう声をかけると、眉間の皺がふっと消えた。バル様は通常装備らしい無表情に戻ったし、キルマは上機嫌で、カイも笑ってる。
三人共、今日はお疲れ様でした! お腹すいたし、皆でご飯を食べようね!