145、モモ、叫ぶ~隠したお菓子と切り札はここぞという時に使います!~中編
桃子はぱっと顔を上げた。目を凝らすと、角を曲がって人の集団がやってくる。近づく人影がはっきりと形作る人物に、桃子の口から明るく弾んだ声が出た。
「バル様達だっ! 良かったぁ、帰って来てくれたんだね!」
その姿を見つけただけで、嬉しさがじんわりと心に広がり、不安が溶けて笑顔が浮かぶ。五歳児の本能の命ずるままに外に駆け出そうとした桃子は、彼等の斜め上空に黒い渦が生まれる瞬間を目撃して慌てて心のブレーキをかけることとなった。
「バル様、上!!」
桃子が叫ぶのと、バル様達が剣を抜いて振り返るのは同時だった。そして、フィーニスが再びその姿を現す。空中に浮かぶ男は、楽し気な声で高々と宣言した。
「さぁ、お遊びを始めようか! せいぜいオレを楽しませてよ」
フィーニスが指を鳴らすと、まるでブラックホールのような渦から、狼が飛び出してきた。その数は瞬く間に3、5、8と増えていき、獰猛な唸り声を上げながら、請負屋に向かって突っ込んでくる。それに気付いた避難者達が悲鳴を上げたために、内部はあっという間にパニックになっていく。
「なんだあれは!? こっちに来るぞぉっ!」
「きゃああーっ」
「あんなに沢山、もう駄目だわ!」
「モモ様は後ろにお下がりください。戦える者は前に出て! 来ます!」
レリーナさんの声も避難した人達の悲鳴も耳を素通りしていく。桃子の目に映るのはバル様が高く掲げた剣だった。バル様の低い美声がその場を支配する。
「──害獣の侵入を許すな。請負屋を死守せよ!」
【はっ!】
【おうっ!】
その指示に団員と請負人は怒号のような声を返して、駆け出していく。緑の外套が鮮やかに翻り、剣を振り上げて害獣に挑みかかる。大きな狼の牙や爪を避け、団員と請負人は協力して次々と害獣を討伐していく。ギャアンッ! ガアアッ! と濁った悲鳴を上げて倒れていく狼の大群。駆けてくる害獣の恐ろしい勢いが一瞬衰えたかに見えた。しかし、それもすぐに巻き返しが始まる。
どれだけ切り伏せても、数が一向に減らない。空中に浮かぶ不気味な黒い穴から次々と新たな害獣が生み出されているのだ。このままじゃ、バル様達が危ない!
「あははははははっ、いつかまで保つか見ものだね」
愉快そうに笑うフィーニスを見上げて、桃子は決意した。バル様達が命がけで戦ってくれているのは、請負屋の中にいる私達を守るためだ。だったら、私だって出来ることをしなきゃ! 恐ろしい唸り声に震えそうになりながらも、桃子は決死の思いで外に駆け出した。
「おいっ、誰か止めろ!」
「お嬢ちゃん、外に出るんじゃない!」
「お戻り下さい、モモ様!」
「モモちゃん!」
引き留めてくれる声を背中で受け止めて、桃子は道の半ばで立ち止まった。目の先では露店に突っ込む害獣や、剣で爪を受け流したりと、激しい攻防が行われている。そんな喧騒の中なのに、不思議とはっきりバル様と目が合った。無表情でも美形さんだけれど、驚きに目を大きく見張っていてもやっぱり端正なお顔をしてるね。怖すぎて呑気な思考に逃げてたけど、ここで大きく息を吸う。うんっ、今こそ呼ぶべし!
「──お願い、来てください。軍神ガデス様ぁぁぁぁ──っっ!!」
お腹の底から声を出して桃子は叫んだ。その瞬間、上空で光が弾ける。そして、神々しい光を放ちながら軍神様が降臨した。軍服姿に抜き身の剣を片手に携え、ベレー帽の下から美しい赤い双眼が桃子を見下ろす。
「我が加護を与えし者、モモよ、我になにを望む?」
「バル様達が戦えるように、フィーニスの暴挙を止めてください!」
「──応。そなたの願いを聞き入れよう。人の世をかき乱す、罪深き堕ちた人外よ。軍神ガデスの力を味わうがいい」
「身勝手な神が人の声に耳を傾けるとはね。軍神ガデス、昔のあんたからは考えもつかないことだ。それほどに、あんたが加護を与えし者は特別なのかな? それは……気に入らないねぇ!」




