130、モモ、潜入する~どんなにピンチでも悪者に心の白旗は振りたくないよね!~後編
本を片付けようか一瞬迷ってそのまま扉に向かうことにした。しかし、桃子がドアノブに飛びつく前に、何故か外側から扉が開いた。なんの合図もないことに、心臓がドクドクと嫌な脈を打つ。開かれた扉から入ってきたのは──サバクだ。逆光で目元を暗くした男は、わざとらしいほどゆっくりした歩調で近いてくる。深く余裕のあるため息をついて、口を三日月に歪める。穏やかな表情が一変、内面の醜悪さが現れる。
「なぜバレたのかわからないって顔をしているな? 簡単なことさ。私は寄付を申し出る相手は一通り調べる性分なんだ。更に言うならあの日、お前達が帰った後に棚に並んでいた本の順番が入れ代わっていた。ここのガキ達にはこの部屋には入るなと言いつけてあるからな。犯人はおのずと知れる。目的はやはりそれか。あいにくと、その帳簿はニセモノだ。本物はほら、私が持っている」
サバクの右手が上がる。その手にはあの帳簿が握られていた。桃子は自分が手にした帳簿を見下ろした。本棚の壁の奥なんていう場所に隠す相手だ。慎重なのはわかっていたはずなのに、帳簿を手に入れるだけだと甘く見過ぎていた。絶対絶命である。桃子は震える足で踏ん張って、厭らしく笑う男を睨んだ。
その後ろからぐったりと意識のないレリーナさんと、悔しそうなギルが、屈強な男達に抱えられて入ってくる。
「レリーナさんっ! レリーナさんになにをしたの!?」
「それが本名か。なぁにちょっとばかり頭を殴っただけさ。お前こそどこの回し者だ? ピティなんて貴族のお嬢様は存在しない。素直に吐かないと子供でも容赦しないぞ」
桃子の前に膝をついたサバクは桃子の両頬を片手で掴んで潰すと、恐ろしい顔で覗き込んでくる。それでも必死に虚勢を張って沈黙を選ぶ。迂闊にもレリーナさんの名前を言ってしまったのは不味かったかもしれない。けれど、桃子さえ本名を言わなければバル様に辿り着く確率はぐっと低くなるはずだ。どうにか機会を伺って逃げ出さないと。
「…………」
「ダンマリは賢い選択とは言えないなぁっ!」
バシッと頬を張られた。衝撃で目の前が一瞬白くなる。そして、じわじわと痛みが左頬に広がる。生理的な反応で目の前が滲む。必死に嗚咽を堪えて我慢すると、男は打ち付けた手で今度は労わるように撫でてくる。冷えた手の感触にぞっとして、桃子はプルプルと震えてしまう。
「痛いのは嫌だろう? 私も商品の価値を下げるのは嫌いなんだよ。大人しく本当の名前を言いなさい」
「……言わないもんっ」
「生意気なガキだな!!」
「あうぐっ!?」
泣きそうになりながらサバクを睨んで拒否すると、男が目をカッと開いて今度は拳で桃子のお腹を殴りつけた。息も出来ない鋭い痛みに襲われて床に倒れる。激痛をもたらすお腹を両手で押さえて身体を丸くする。泣きたくないのに我慢できなくてボロボロ涙が零れた。
痛くて、苦しい。こほこほと咳をして息をヒューヒューと取りこむ。すんごく痛いよぅ。痛みと連動して全身がドクドクと脈打ち、耳鳴りがして目の前がグラグラ揺れてる。吐いちゃいそうだ。最悪の状態の中、ギルが叫ぶ。
「止めろ! そいつの名前ならオレが知ってる! モモだ。モモって呼ばれてた。親はいなくて上流貴族に保護されてる!」
「上流貴族だと? チッ、面倒なことになったな」
「どうする? 埋めるか? それなら別料金を貰うぜ」
「馬鹿言うな。それじゃあなんの金にもならないだろ。この街で売るわけにはいかないなら、余所で売ればいいのさ」
「おぉ、そうだな。辺境の女好きのジジイならこの女とセットで高値で買い取るだろうよ。このガキもその女も顔立ちは悪くないからな」
「足が付かないように慎重に運べ。孤児院のガキも纏めて連れてけ。分け前はいつも通りにな」
恐ろしい話を平然としている男達から逃げるように、朦朧とした意識の中、桃子は頭にその人に必死に助けを求めながら意識を失っていく。
「……バル、様……」