102、モモ、寒がる~雨宿りでは見知らぬ人とも仲良くなれるよ~後編
ドドッという地響きが道の奥から近づいている。なんだろう? 軒先から目を凝らすと、それは次第に馬と騎乗している人の姿を形作る。雨を避けるためだろうか。緑の外套のフードを目深に被った人と目が合った気がした。
「バル様……?」
呟いた声が聞こえたように、軒先の前で馬が高い嘶きを上げて急停止する。手綱を操り馬をゆっくりと半周させた男は、ひらりと馬の背から飛び降りて近づいてくる。
「やはり、モモとレリーナか。こんな時間まで外に居たのか?」
「あの、お散歩をね、してたら雨が降ってきたの」
「モモ様がお風邪を召されるといけないと思いまして、雨宿りをしていたのです」
嘘をつく罪悪感から、しどろもどろになりかけていると、レリーナさんが助けてくれる。嘘ついてごめんね、バル様! プレゼントの時にちゃんと説明するから許してね。
「……そうか。これからは、あまり遅くならないように。レリーナ、モモを抱えてオレの前に乗れ」
「いいのですか?」
「こんな雨の中に使用人を置いていくほど、冷徹な主人になった覚えはない」
バル様が淡々と言葉を返す。目を細めているからなにか思うことがあったのかも。大丈夫、そんな風に思ってる人はバル様のお屋敷にはいないよ。私だってバル様が優しいことは知ってるもん。
レリーナさんが深く頭を下げた。
「ありがとうございます、バルクライ様。それでは失礼して、はっ!」
さっと馬に跨ったレリーナさんに桃子は小さく拍手する。格好いい! 桃子は自力では無理なので、バル様に抱っこされてレリーナさんの前に座る。前には馬の長い鬣が生えた首がある。濡れてるけど綺麗な毛並みだ。
よろしくと意味を込めてちょこっと撫でたら、馬の首がこっちを振り返り、ヒンッと鳴いた。任せといて! って意味? 雨の中で異種族交流をしていると、バル様が騎乗して手綱を引いた。
「モモは馬の背にしがみ付いているんだ。レリーナはモモを支えてやってくれ。屋敷に戻るぞ」
ピシリと手綱を打つと、馬は素直に主人の命令に従って走り出す。ドドッ、ドドッと重い足音を立てながら走るのでその振動に、五歳児の身体がぴょこぴょこっと跳ねる。苦しくないように気をつけながら、馬の首にしがみ付く。じっとりと雨に濡れて寒くなってくるけど、景色が過ぎていくのが楽しい。五歳児が心の中できゃっきゃっとはしゃいでいる。桃子も一緒にテンションが上がった。イェェイッ!
バル様が手綱を緩く捌き、緩やかに道を曲がる。レリーナさんも気遣うように桃子の身体を支えてくれる。ごめん、一人で盛り上がっちゃって。でも、楽しくて心が弾む。晴れた日にもう一回乗せてほしいね。
お屋敷がだんだん近づいて来た。緩やかに坂を上がり切ると、門が開かれて、玄関の前に佇む人の姿が見えた。ロンさんだ。
バル様は敷地内に入ると、馬の速度を徐々に落として玄関に繋がる扉の前に綺麗に止めて見せる。すごいハンドル、じゃなくてすごい馬捌きだね!
「お帰りなさいませ。やはり随分と濡れてしまったようですね。湯のご用意が出来ております。お風邪を召される前にお入りください」
馬の背中から降りて、使用人の男の人に馬の手綱を渡すとバル様に抱えて下ろしてもらう。けれど、そのまま地面には足が付かずに筋肉がついた腕の中に落ち着いた。うん? 疑問に思っていると、バル様がロンさんから受け取ったふんわりタオルを、身体に巻きつけてくる。ふわふわでちょっと幸せになっていると、なぜかバル様が僅かに眉を顰めた。
「震えているな。モモはオレが上まで連れて行こう。レリーナ、お前も温まって来い」
「レリーナには使用人用のお湯を温めてある。ここはバルクライ様のお言葉に甘えて行って来なさい」
「はい、そうさせて頂きます。モモ様もゆっくり温まってくださいね」
「うん!」
レリーナさんも差し出されたバスタオルで全身を包んで、足早に廊下の奥に向かっていった。それを見て、バル様も階段を足早に上っていく。桃子に与えられた部屋で一度止まる。
「開けるぞ?」
「うん」
自分のお屋敷だけど私の部屋と認識しているのか、ちゃんと聞いてくれる。寒いけど心はほっこりした。真面目な性格なのがよくわかって素敵だね。バル様は桃子の返事を聞いて、扉を開いて中に入った。中ではメイドさん達が待機していてくれて、2人の姿を見るなり慌てて寄ってくる。
「まぁ、ずぶ濡れですわ!」
「早くお風呂に入りましょう」
「わたくし共がモモ様のお世話をいたしますから、バルクライ様もどうか自室にお戻りを。お湯が沸いてございますよ」
「あぁ。モモ、離すぞ?」
なんとなく離れがたくて筋肉が程よくついた腕をきゅっと掴むと、バル様の動きが止まった。
「……一緒に入るか?」
「ふぉっ!?」
美声にそっと囁かれて、桃子は思わず変な声を上げて腕から手を放した。バル様の目がふっと緩む。雨に濡れた顔の中で黒い瞳が艶やかに細まるのを見て、顔が熱くなってきた。
「バ、バ、バル様!?」
「ふっ、冗談だ。湯に入ってよく温まれ。お前達任せたぞ」
大人の色気に当てられて慌てれば、バル様が口端を僅かに上げた。目も面白そうに笑んでいる。また揶揄われた! むがぁっと憤慨する前に、バル様はメイドさんの一人に桃子を優しく手渡す。そして、頬を膨らませることで抗議した桃子の額に、ちゅっと小さな口づけを落とす。
「ふあっ!?」
「後でな」
さらりと言い残して出て行くバル様を、桃子は口づけられた額を手で押さえて茫然と見送る。なんか、いつもよりすんごい甘々な気がする。バル様なにがあったの!?




