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『白星の魔女』 ~アルデガン外伝8~  作者: ふしじろ もひと
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第三の野営:風渡る岐路にて その5

 あの岐路をようやく曲がった今、まだ旅路は始まったばかりのはずだった。ゆらめく陽炎を突き抜ける熱波もまた、記憶にまで焼き付けられた砂漠の苛烈な暑さとはほど遠いものだった。


 にもかかわらず、グロスは疲弊していた。先頭のボルドフから続く長い隊列、女子供や年寄りを乗せた馬車の列の左右を弓矢や山刀を手にした騎馬の男たちが固める移住者たちの大集団。そのあまりの規模ゆえに小規模な隊商なら餌食にして恥じぬ野盗さえ警戒して近寄らず、ここまでの旅は順調だった。旅人や村などに出会うたびにボルドフが遠くでの戦の噂を訊ねては進むべき道を決めるおかげで大規模な敗残兵の群に出くわすことも免れていたから。そんな隊列の殿を勤める白衣の神官は、けれど敵意に満ち満ちた毒矢のごとき視線にずっと射抜かれ続けていたのだ。

 河の下流に位置していたイルの村を、その河が絶たれたゆえに捨てねばならなかった黒髪の民たち。二百年前に水源に巣くった吸血鬼が河を下り来たという言い伝えを信じるばかりに排他的なかつての村人たちは、改めることのできなかった迷信的な恐れに加え、村を捨てねばならなくなった自らの境遇への不満や恨みの標的を求めずにはおれず、自分たちとよく似た黒い髪と目を持つばかりかれっきとした剛の者たるボルドフではなく、人外の身になり果てたかつての水源の民と同じ特徴を持つグロスにあらゆる鬱憤をぶつけるばかりだったから。


 そんな村人たちの事実無根な敵意に対し、グロスもまた彼らに対する負の感情を心の底に押し殺していた。しかもそれは事実でないことが明白な村人たちのものより根深いものでさえあった。確たる証拠こそなかったが、村にほど近い荒野で赤子だった己と二人だけでさまよい、狼に襲われて死んだ幼い姉。そして金色の髪と緑の目を持つというだけで一方的にこの身を吸血鬼と断じたあげく、仲間もろとも焼き討ちせんとした村人たち。その所行は幼子でしかなかった自分たちにもいたはずの両親や他にいたかもしれない親族をどんな災いが襲ったか、あまりにも強く示唆するものだったのだ。

 それでも彼は、そんな示唆から無理やり目を逸らさねばならなかった。物心ついたときからアルデガンで叩き込まれた価値観。人間がなにをおいても守らねばならぬ尊き存在であるとの教え。魔物との戦いに身を捧げる者どもの砦にて絶対視されねばならなかったその教えを、唾棄すべき示唆は真っ向から否定しかねないものであり、ゆえにそれは封魔の城塞のあまりにも特殊な環境で形作られた白衣の神官の人格を根こそぎ破壊しかねない暴力的な力を見せつけていたから。

 だからグロスの試練は撤退戦の様相を呈するものにならざるを得ず、そのうえ彼に逃げ場はなかった。長い長い列の両脇を守る男たちが肩越しに放つ悪意の矢は瞬時のものといえどあまりにも多く、絶え間なく投げかけられる無色無臭のそれは歯を喰い縛る神官を決して外さなかったから。あたかもそれは一匹なら取るに足らぬちっぽけな毒虫が全身を覆い尽くし、無限に続くひと咬みごとに注ぎ込まれる毒になぶり殺されるがごとき苦しさだった。最初のうちは彼らの一瞥が己に向けられたものではなく周囲への警戒にすぎぬと自身にいい聞かせ、そのことを相手にも伝えんとあえて後方を振り返って見せていたグロスだったが、もうそんな空しさにも屈して久しい白衣の神官はいまや見えざる悪意を避けんがため、馬の腹の下で泥の川のごとく流れの澱む地面に視線を落とすのがやっとだった。


 そんな無限の応酬の果て、悪意が去ったのを感じて面をあげたグロスは一つの視線に直面した。最後尾の馬車の後ろから子供が乗り出すように自分を見つめていた。小さな姿は顔立ちすら判じ難いほど遠く、彼は無数の視線に耐えかねた己が気づかぬうちに列から遅れていたのを悟った。そしてむしろたじろいだ。視線の先の定かならざる小さな顔から、悪意が感じとれぬ驚愕に。

 だがその瞬間、幌の中から伸びた手が小さな姿を引き込んだ。母親か祖母かは知れずとも、その子がどんな言葉で叱られているかは耳にするも同然だった。次からはあの子もまた、植えられた毒のしたたる目で自分を睨むのだ。

 乾ききった砂漠とはまだかけ離れた湿っぽい大気。ゆえに引くこともならず全身に粘りつく汗。グロスにとってそれはもはや、注がれ続けた毒汁が体内からあふれ出したものとしか感じられなかった。ようやく分かれ道を曲がったばかりの旅に、あまりにも遠い苦行の終わりに、毒され続け疲弊しきった神官の心は粘つく絶望に窒息しかけていた。


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