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『白星の魔女』 ~アルデガン外伝8~  作者: ふしじろ もひと
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第一の野営:東の荒野にて その2

「前にも話したことがあると思うが、俺が剣を覚えたのは自分の村の自警団でのことだった。自分の村を、おふくろや仲間たちを守るため野盗どもと戦っていた。だから迷いなく剣を振るえた。わかるか、アラード」

 分厚い肩の上からボルドフの、剛剣の師のごつい顔が痩身の若者を見下ろしていた。

「相手を人間と思う必要はなかった。むしろ許されぬことだったんだ。しかも俺は、それに気づきもしなかった」

 口元に浮かぶ微かな自嘲は、まなざしのやるせなさを消すにはまるで足りぬものだった。

「なにも違わなかったというわけだ。イルの村のあの連中と」

 赤毛の剣士の脳裏に東の地での記憶が蘇った。グロスの、大切な呪文の師の髪や目の色が言い伝えの吸血鬼と同じだからというだけで、ろくに確かめもしないまま卑劣な焼き討ちをかけてきた村人たちのことを。そして思い出した。そんな彼らを気迫だけで挫いたまさにそのとき、この剛剣の師が滲ませていたのもこんなやるせない表情だったのを。

「だがおふくろが病気になり薬代を稼がなければならなくなったとき、公爵の城から志願兵を募る使者がきた。俺の村は公国領の奥だったから、戦のことはほんの噂でしか知らなかった。だから二つ返事で志願した。村の警護と大して違わない仕事くらいにしか思いもしないまま」

 アラードは頷いた。イルの村での出来事も含め、人間が毛色の違う相手にどれほど残酷なことができるかは散々見てきたつもりだったから。そんな若者に、巨躯の戦士は言葉を継いだ。

「だが、戦はそんな生やさしいものではなかった。おまけに俺が行ったのは内戦だった。それぞれが王家の幼子を傀儡に担ぎ、ありもしない忠義を声高に叫びつつ繰り広げる領土の分捕り合戦。それが髪も目も同じ民の隣り合う村々にさえ、あるいは猜疑の、あるいは抑えられていた諍いの火種をかき立て、ついにはなにもかも戦火の中に崩れてゆく、そんな修羅場だった」

「でも脱走なさったのでしょう? そんな義のない戦いから」

「ああ、最後はな。おかげでいろんなものを見過ぎた。知らずにすませたかったことまでな……」

 沈黙は重かった。頭上の星が一巡りしたとすら思えたほど。


「部隊には俺と同じく村々から集められた連中もいた。だが俺のように戦いの経験があった奴は少なく、大半はそれまでまともに剣も握ったことがなかった。そんな連中が変わっていくのを俺は見せつけられたんだ。

 人を斬る覚悟を持てなかった連中はあっという間にいなくなった。斬れた奴らだけが生き残ったわけだが、なんとかそうできた者から血の興奮に憑かれた奴までバラバラだった。そして人を斬り慣れたからといって、誰もが剣を持つ敵と命の遣り取りをすることに耐えられるわけではなかった。そんな奴らがいち早く脱走し始めたんだ。ほとんどが一人ではなく、何人か連れだって」

「それはなぜですか?」

「一人で生き延びる自信がなかったからだ。だから食い詰めれば弱いと見た相手を襲う。そんなことしかできん連中だった」

「……つまり野盗に身を落とすほかなかった。そうおっしゃるのですか?」


 無言で頷いた師の視線は、アラードの頭上に向けられていた。辿った若者のまなざしが天頂を過ぎゆく戦星を捉えた。赤き凶つ星を見つめるその耳に、師の独白めいた呟きが届いた。

「もとより俺も長く勤める気はなかった。病気のおふくろを村で待たせていたのだから。だから一日も早く必要な額の金を稼ごうと、危険な役目も進んでこなした。急いで村へ帰りたいと、そう思っていたはずだった。だが」

 戻した視線がごつい横顔を捉えた。そこに浮かぶ淡い痛切さとしか呼びようのなさそうな表情に、赤毛の若者は目を見開いた。無念と後悔を混ぜ合わせたものが諦念に覆われ薄れでもすれば、こうもなろうかというような表情だった。

「俺はわかってしまったんだ。村で戦い斬り捨てた奴らがどんな連中だったのか。戦に駆り出されさえしなければ真っ当に生きていけた、そんな者からいち早く身を堕としたのだと。村へ帰ればそんな奴らを、そうだとわかっていながら斬るしかない。もはや村でも戦と無縁の暮らしはありえないということが。

 それでも覚悟を決めることはできた。おふくろのためならばとな。俺の胸ひとつに収め、前と同じことをしていけばいいだけだと。だからそれまで以上に戦った。大儀もなにもない唾棄すべき分捕り合戦を。敵に捕られるくらいなら手放す村に火を放つことすら辞さぬ非道の戦いの中、腹を括って敵に剣を振るい続けた。それ以外にすべがなかった」


 先を促す気にはなれなかった。師の母がその帰りを待たず病死したことは知っていたから。己を無理やり戦いにかりたてていた覚悟の礎が崩れた衝撃を想おうとしたが、実の親の記憶を持たぬ我が身には想像もつかぬとの実感がつのるだけだった。

「だがあの日、俺は知らされた。補充された新兵たちの中にいたアンディに、村の仲間に会ったことで。まさか同じ隊に配属されるとは予想もしなかったのだろう。俺の顔を見たあいつのうろたえぶりはひどかった。それだけで察しがついた。肩を鷲掴みして問う俺を見上げつつ、あいつは頷くのがやっとだった」

 ほとんど息もつがず、ボルドフは話を先に進めた。アラードはほっとしつつも、そんな師の胸中を想わずにいられなかった。

「丸二日かかった、アンディ自身の話を訊ねる気になれるのに。自警団はなんとかやれていたそうで村は無事だということだったが、驚いたことにアンディも父親が病気になったから志願したという話だった。しかもそれは、この俺を見倣っての決心だったとあいつはいうんだ。

 だが俺には、アンディがこんな戦を生き残れるとはとても思えなかった。だから村へ帰れと懸命に説得した。だが奴の親父への思いだけは本物だった。なにがなんでも薬代を稼ぐまで帰らないといい張るあいつに俺は貯めていた金のほとんどを譲った。祈る思いだった。涙を流して感謝するアンディの姿に、こんな奴から戦はまっ先に餌食にするのだと改めて感じ、一日も早く修羅場を抜け出し生きて村へ帰ってほしいとな。そして俺は脱走した」

 再びその口元に、あのやるせなさを目立たせるばかりの自嘲が戻ってきた。


「こんな図体をしていても、剣を振るう力が少しばかり強かろうと、俺はその程度の若造でしかなかったんだ。アンディを本当に案じるなら奴を守ってやるべきだったのに、あのとき俺は、もう戦えなかった。支えを失って折れた心を抱え、逃げ出すことしかできなかった。

 あいつがその後どうなったかはわからん。今となっては、もう知るすべもないだろう」


 押し黙る巨躯の戦士のはるか頭上で黒き天蓋またぐ戦星。それは見上げる若者の目に、地上を離れることあたわぬ者らをいまや睥睨しつつ凶兆を振りまく存在とさえ映るのだった。


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