第二の野営:川のほとりにて その8
「……そうして俺は脱走したんだ。ついにアンディを連れ出せぬまま」
日が落ちた酒場はすでに賑わい始めていたが、ボルドフが話し終えたとき、五人のテーブルは沈黙に閉ざされた。数瞬ののち、ため息混じりにローラムがいった。
「なるほど、私の姿に目くじらもたつわけだ……」
そんな四人に、ボルドフは縋る思いで訊ねた。
「なあ、教えてくれ。アンディは本当に死んだのか?」
「ロブコヴィッツ候の部隊が全滅したのは確かよ。でもその人がどうなったのかまでは……」
気遣わしげにアザリアが応じた。
「西の宝玉を収めた塔は盆地にあったの。森の中に隠れるように建てられていて、その秘密はアルデガン以外では塔を守る豪族だけに伝えられていた。その一族にロブコヴィッツ候は全軍を差し向けたのよ」
いわれてボルドフも思い出した。部隊が近く遠征する予定だと伝えられたことを。拠点を引き払うための準備が始められ、そのどさくさに紛れ自分はあのとき脱走したのだ。
「森を囲む山々の裏側に住む村人たちが、真昼どきに巨大な光の柱が天を穿ち、尾根の頂が吹き飛ぶのを見たそうよ。でも彼らの話を聞くのは大変だったらしいわ。屋外でそれを目にした者は、一人残らず鼓膜が破れていたそうだから。
山越えの坂を登り切った密偵の前に、けれど塔どころか森さえ影も形もなかった。盆地が丸ごと巨大な蟻地獄の巣のような穴になっていたそうよ。そして禿げ山と化した尾根の堅い岩肌には、色とりどりの金属の細片が無数に突き刺さっていたの。鎧や兜がそんな破片になるなど我が目で見ても信じ難いと報告にはあったというわ……」
口を閉ざしたアザリアから、灰色のその瞳から、それでも若き巨漢は目を離すことができなかった。ついに相手が視線を落とし俯くにいたり、ボルドフもまた机の己が拳に目を落とした。
「……私がいうのもなんだが、貴族なんて本当にろくなもんじゃないな」
ローラムの口ぶりは、なんとか話の目先を変えようとの意図を隠せぬものだった。
「ないも同然の継承権だったから他人事として見物するしかない身だったが、見せ物としても下の下だった。愚劣な欲にかられた輩の争いに巻き込まれる災いここに極まれりだな」
きみのせいじゃない、あまり自分を責めるなとの言外の声は、もちろんボルドフにも伝わった。だが、
「行くんじゃなかった……軍になど……っ」
自責の念はあまりにも強く、若き巨漢は血のように苦渋の滲む言葉を堪えることができなかった。
「俺はあれだけ罪を重ねて、それでもお袋を救えなかった。そのうえアンディまで」
「しっかりしろよ! なにもそいつが死んだと決まったわけじゃないだろう。あんたが金を渡したのはその一ヶ月も前なんだ。そいつも軍からおさらばしたかもしれんだろうが!」
呆然と見つめるボルドフに、ダンカンが続けた。
「……そいつが村に、親父さんのところに帰ってないって証拠があるのかよ」
若き巨漢の瞼に浮かんだ。遙かな村の情景が、老父の手を引き出迎えてくれるアンディの幻が。
だがそのむこうにダンカンの顔が、わずかにそれたまなざしが透けたとき、幻は揺らいで薄れていった。消えゆく村の遠い遠い弔鐘が絶えたとき、自失したボルドフの心には一つの思いだけが焼き付けられていた。アンディの生死を、真相を、自分は永遠に知りえないのだと。答の得られぬその問いこそが、罪にまみれたこの魂の烙印なのだと。片手で顔を丸ごと鷲掴みし、漏れそうな呻きをひたすら堪えた。
すると机の拳をほっそりした両手が包み、驚愕に見開いた目が黒髪の娘を認めた。潤んだ緑の瞳には、けれど強い思いが満ちていた。
「打ちひしがれないで、深き迷いに。くじけてはだめ、悔恨に。あなたは神に試されているの。正しい支えを見いだせるかを」
ラルダの声は語るに連れ、次第に熱を帯びてきた。
「だから祈るの、破邪の神に。身を正すのよ、ラーダの教えに。そのとき悩みの闇は払われ、帰依の光があなたに宿るわ。闇が、悩みが深いほど、得られる光も強いのよ。そして尊師の徳を受け継げたなら、あなたはアルデガンの長にもなれるの。神は信じて努める者には必ず応えてくださるから。決して見放したりなさらないから!」
ボルドフはようやく思い至った。緑の炎のごときその瞳をなぜ見覚えありと感じたか。かの大司教ゴルツの威風に満ちた風貌がいまやラルダに重なりあうそのさまに、若き巨漢はただ瞠目するばかりだった。




