閑話 悪魔の書
一章はこれで終りとなります。
この話にナガレは登場しません。
本編とは全く違う場所での出来事です。
本編にすぐ絡むようなことでもないので後々気になってから読まれても大丈夫です。
また人によっては気分が悪くなるような内容を含んでます。
暴力的猟奇的な表現も含まれてますので苦手な方はご注意ください。
「判決を言い渡す――死刑」
冷たい響きが法廷に立つ彼の身に落とされた。
その後、身に覚えも記憶にもないデタラメの主文がつらつらと並べ立てられる。
サトルはこの日ほど、世の中の理不尽を恨んだことはないし、この日ほど自分の人生を虚しく思ったことはない。
一体何が悪かったのか、考えても決して答えは返ってこなかった。
きっかけは些細なイジメからだった。それに最初こそ抗ってはいたが、日に日にイジメに加わる人数は増えていき、そして殆どのクラスメートがそれに見て見ぬ振りをした。
そんな行為が繰り返される内に、サトルはいつか諦めるようになった。
毎日毎日をただ耐え忍んで生きていけば、いずれは解放されるとも思っていた。
だからこそ、どんなにイジメが酷くなっても学校には通い続けた。
家族に心配を掛けたくないという思いからだ。
それが、こんな事になるなんてサトルは思いもしていなかった。
サトルには一人妹がいた。二つ年下の今年一五歳になる予定だった妹だ。
生意気なところもあったが、それでも必ず兄であるサトルの誕生日にはお祝いをしてくれ、プレゼントを買ってくれる心優しい妹でもあった。
そんな妹をサトルはとても可愛がっていた。たまに甘えたようにお願いをしてくるその姿も愛らしかった。
しかしその妹も既にこの世にいない。ある日サトルを虐めていた主犯格の三人からメールが来た。
動画が添付されていた。奴らに妹が蹂躙されている動画だった。
サトルは生きた心地がしなかった。奴らがいた場所は妹とも行ったことのある公園だった。
サトルはその場所に急いだ。
だがサトルが駆けつけた時、目にしたのは乱暴され一体元が誰かも判らないほどにバラバラにされた妹の亡骸だった。
サトルはその姿に嘔吐し、そして慟哭した。
だが、話はそれでは終わらなかった。
サトルが妹の無残な亡骸を発見したのとほぼ同時に警察が駆けつけたのである。
そして近所から通報があったという事で、サトルは何故か被疑者として警察署まで連行されてしまった。
勿論サトルは無実を訴えた。しかし何故か次々と見つかる証拠は全てがサトルの犯行を裏付けていた。
サトルからしてみれば、潔白を証明する唯一の手段だった送られてきた動画も、何故かデーターが残っていないという事で取り合っても貰えなかった。
兄が妹を強姦し殺害したというニュースはお茶の間を賑わすのにぴったりであった。
どんなにサトルが無実を訴えようと、未成年の少年が行ったセンセーショナルな事件は、ワイドショーでも広く取り上げられ、実の兄が行った凶行としてクローズアップされた。
マスコミはサトルの両親の元に押しかけ、誰かの流した個人情報で、少年Aの所在はすぐに判明し、追い詰められた両親はサトルが起訴されたと同時に結局自ら命を断った。
妹に続いて両親の死を知った時のサトルは、取調中にも関わらず、暴れ、そして担当していた刑事に取り押さえられ、まるでサトルが全て悪いかの如く、怒鳴り散らされた。
どんなに無実を訴えても受け入れては貰えず、供述調書もデタラメな内容で書き上げられ、認めてなくても認めた事にされ、異例の早さで判決の時を迎え、そして今死刑の判決を下されたのである。
サトルは自らの境遇を呪った。そして自分をいじめ続け、それだけに飽きたらず妹にまで手をかけた奴らを恨み続けた。
だが、サトルには何もすることが出来ない。
自分がこんな理不尽な目にあってるというのに、今頃サトルのクラスの連中は修学旅行のバスの中だ。
それが殊更サトルの怒りを増幅させた。
そして、判決理由も聞き終わり、ふたりの刑事に挟まれながら、精魂尽き果てた表情でその場を後にさせられそうになったその時――サトルの足下に奇妙な魔法陣が浮かび上がった。
裁判官や刑事の叫び声がサトルの耳朶を打つ。
だが、その瞬間、サトルの視界は暗転し――気がついた時サトルはどこかの洞窟の中にいた。
一体どういうことなのか、暫くサトルは状況が掴めなかった。
一瞬実は全て夢なのではないか? とも思ったりしたが、着ている格好が裁判所に連れて行かれた状態のままであったことで、少なくとも自分は、直前まで裁判官の判決を聞いていたのは間違いないと考察する。
そして試しに頬を抓ってみてもその痛みと感覚ははっきりとしていた。
ただし、何故か手錠だけは消失していた。が、これはサトルにとっては僥倖だったであろう。
そして、この状況にサトルはもしかしてという思いもあった。
突然足下に浮かんだ魔法陣。見たこともないような地への瞬間移動。
しかもこの洞窟はまるで、そうまるで物語でよく見たダンジョンのようですらある。
異世界転生……そんな現象が頭を過る。もっともこの場合死んでいないので、どちらかというとトリップや召喚の方がしっくりくるかもしれない、などとも思いつつ、サトルは試しにステータスとこっそりと呟いてみた。
サトルの知識では大抵の物語ではステータスを唱えることで、自分の能力を知ることが出来たからである。
ステータス
名前:サトル マクア
年齢:17歳
性別:♂
称号:罪なき罪人
レベル:1
生命力:12/12
魔力 :4/4
攻撃力:3
防御力:3
敏捷力:4
魔導力:2
魔抗力:2
アビリティ
なし
スキル
なし
サトルはステータスが見れた事に予想はしていたとはいえ驚いたが、同時に自分の数値に愕然となった。
勿論、ここが異世界として、その常識はサトルには判らない。
だが、それでもこの数値が良いものでない事ぐらいは推し量ることが出来る。
おまけにレベルも1だ。こんな事ではちょっとした事でも絶命しかねない。
――ザッシュ、ザッシュ……
その時、背後から何者かの足音が聞こえてきた。
もしかして他に人が? と後ろを振り返る。
だが、サトルが目にしたのは体色が緑の小鬼のような化物。
「ゴブリン……」
思わずそんな言葉が口から漏れる。
そう、サトルが以前物語で見たソレによく似ていた。
それが三体……グギェ! グギェ! などという奇声を上げながらサトルに近づいてくる。
(くそ!)
サトルは踵を返し、全力で駈け出した。わけもわからずこんな意味不明な状況に追いやられ、更に醜悪な化物に殺されるなんて真っ平ゴメンだった。
『ほう、こんなところに珍しいな。しかし貴様、いいものを持っている』
ふとその時、脳裏に何者かの声が入り込んできた。
サトルは思わず目を見張る。
走りながらもキョロキョロと首を巡らせてしまった。
『我の事を知りたければ、その先に見える穴に潜りこむが良い。ゴブリンはそこまで来れぬであろう』
声の主が言うように、サトルの視界の先、端の壁際に、這うことで漸く通れそうな穴が見えた。
サトルはこの言葉を信じるべきか迷ったが、後ろからはゴブリンが獲物を狙うハンターが如く様相で追いかけてきている。
このままでは捕まって殺されるのがオチだろう。
選択肢などあってないようなものだ。
サトルは声に従い、穴へと飛び込んだ。這いつくばり、土竜になった気分で必死に穴を抜ける。
すると声の主が言っていたように、ゴブリンはそれ以上追ってくる事はなかった。
ほっと一息つくが、サトルはその場所の奇妙さを感じ取る。
直前までいた場所と違い、そこは随分としっかりとした造りの空間だった。
周囲は、光沢のある切り石を積み上げられて作成された壁に囲まれている。
そして――その空間の正面奥、そこに一つ祭壇のような物が設けられており、その上には一冊の書物が安置されていた。
『よくぞ我がもとへ来られたな。我は貴様を歓迎するぞ』
「……この声って君?」
そう言いながら、サトルは書物へと脚を進める。
上から見下ろすと黒く厚い表紙の書物で、雰囲気は聖書のソレにもよく似ている。
ただ、表表紙の上部中央には悪魔の顔のような彫刻が施され、その下に何か文字が印字されていた。
だが、サトルには理解できない代物である。
『そうである。我はそうだな、貴様の言葉で言うと【悪魔の書】と呼ばれる物である』
悪魔の書……その響きに忌避感を覚える。
サトルからしてみれば、なぜこの本がサトルの理解できる言葉で話しかけてくるのかといった不可解な部分も大きかった。
そして何より、この書物から突如あふれた威圧感に気圧されてしまう。
『ふふっ、そう恐れるでない。我は貴様にいい話を伝えようと思い、ここまで呼んだのだ』
「いい話?」
サトルは怪訝に眉を顰める。
『そうだ。貴様はその心に深い恨みを抱えておるな? だからこそ力を欲しておる。違うか?』
「…………」
サトルは押し黙る。その本の言っていることは間違いではない。
殺しても殺し足りない連中がいる。妹を犯し殺し、その罪をサトルに被せ、更に両親まで自殺に追いやった奴ら。
さらに言えば自分が虐められていても助けようともしなかったクラスメート達。
恨んでる連中など数え上げればキリがない。
だがしかし――
「力をもらっても無駄だよ。だって、僕の恨んでる相手はここにはきっといない」
サトルはこの時点で今いるのが異世界であることを理解した。
でなければ追ってきたゴブリンや、この頭のなかに語りかけてくる本の存在に説明がつかない。
しかしそうなれば、この世界ではサトルが恨みを晴らすべく相手がいないのである。
思わずサトルは悔しさに唇を噛んだ。
しかし――
『案ずるでない。貴様が恨みを抱く相手はこの世界に間違いなくおる。きっと何者かがお前のいた世界からの召喚を試みたのだろう。既に禁忌とさえなっている魔法ではあるが、時にそういうことをする連中が存在する。貴様も恐らくその魔法に巻き込まれたのだろうが、何らかの理由で召喚先がずれ、このダンジョンに飛ばされてしまったのであろうな』
悪魔の書が語るその言葉にサトルは目を見張った。
「……奴らが、来ている? この世界に……ははっ、ははっははっはっはははっはははぁあぁあッ!」
その瞬間、歓喜がサトルの全身を駆け巡った。
死刑を宣告され、諦めるしかないと思っていた――妹の仇も取れないのかと無力な自分を呪った。
しかし――
『フフッ、随分と嬉しそうではないか』
「あぁ、嬉しいさ、こんな嬉しいことはない。だが一つ訊く、本当にお前と契約したら僕は恨みを晴らせるほどに強くなれるのか?」
『……さっきまでの昏い雰囲気が信じられないのう。だが安心するが良い。我は悪魔の書。我と契約すれば書物に封印されし六六六の悪魔をお主の自由にすることが可能ぞ。きっとお主の気に入る悪魔もいることであろう。復讐にはうってつけじゃ』
「……それで条件は? そんな力を手に入れるんだ、ただではないだろう?」
『……勿論。先ず本来の寿命の半分を糧として貰う。だが安心せい、お前の寿命は半分を失ったからとすぐに死ぬようなものではない。だが、もうひとつは少々重い。我と契約するとお前は死後永遠の苦しみを味わい続ける事となるだろう』
「……ククッ、なんだその程度か」
『その程度?』
「あぁその程度だ。俺はどうせそのままだったら死刑にされていた人間だ。寿命なんて復讐を果たせるぐらいあれば十分。永遠の苦しみ? 望むところだ。俺の恨みはそれぐらい深いのだから、だから悪魔の書! 俺はお前と契約するぞーーーー!」
いつの間にか僕から俺に変化し、強い決意を見せるサトルの姿に、悪魔の書がニヤリと笑みを滲ませたような、そんな雰囲気さえ感じさせた。
そして、サトルは悪魔の書と契約するため、その表紙の彫刻に己の血を一滴垂らした。
これで契約は完了――彼の復讐劇は、これより始まる。