おまけ話 ナガレのいなくなった世界で
ブックマークが1万を超えたので記念としておまけ話を作ってみました。
ナガレは出てきませんが彼の家族などが出てきます。
「先生! ありがとうございました!」
「おう、精進しろよ」
第二道場内に門下生の声が響き渡った。それを耳にしながら、神薙 投は手を上げ彼らを見送り、そして道場の点検を終えた後、ナゲルは鍵を閉め、屋敷へと向かう。
「あ、母様」
「あらあらナゲル、今日の指導も終わり? お疲れ様」
廊下ですれ違った母に頭を下げると、上品な物腰で母は彼を労った。
父より一〇歳下で今年五〇になったが、艶のある黒髪と若々しい肌のおかげか見た目では三〇代ぐらいに見える。
着物を艶やかに着こなす日本人特有の美しさが彼女にはあった。
「父様は?」
「ふふっ、いつもどおりですよ。庭で鍛錬鍛錬、また鍛錬です」
ナゲルは溜息混じりに、そうですか、と発し。
「では少し顔を出してきます」
「はい、怪我には気をつけるのよ」
母の返しに苦笑しつつ、ナゲルは父の待つ中庭へと向かった。
中庭とは言っているが、神薙家の敷地は相当に広く、庭一つとってみてもアマゾンのジャングル並である。
その為、並の人間では父が鍛錬している場所にたどり着くまでに軽く三日は掛かってしまう。
元も、神薙家のものであれば今年七歳になるナゲルの息子である倒でも二時間、ナゲルであれば一時間掛からない程度で辿り着けるわけだが。
「お父様は相変わらずですね」
無事父を見つける事が出来たナゲルは、開口一番そう告げる。
神薙 崩、ナゲルにとっては祖父にあたる神薙 流が二十五歳の時に産んだ嫡男(既に他界しているが祖母は十六であった)である。
御年六〇ではあるが、神薙家は基本若く見られる傾向があり、父であるクズシも見た目には四〇そこそこといったところである。
ただ髪に関して言えば歳相応の白髪が混じり始めてはいる。
これはナゲルの祖父であるナガレにも言えたことで、祖父の場合は色はすっかり抜け落ち見事なまでの白髪であった。
ただ琥珀のように美しく、更に八十五という年齢にも関わらず見た目で言えば父であるクズシ以上に若々しく、一体何をどうすればここまで若さを保ち続ける事が出来るのか、ナゲルにとっても不思議であった。
ナゲルは一緒に歩いていて兄弟と勘違いされ、しかも祖父の方が弟に思われたショックを未だ忘れていない。
そんな祖父の事をつい思い出してしまったナゲルであったが。
「ふむ、折角ここまで来たんだ。少し組手に付き合ってもらうかな」
父のクズシからそんな提案。思わず苦笑いを浮かべるナゲルである。
母の言った意味がよく分かる。
父であるクズシの言う組手は名ばかりでやることは本気の試合である。
結局それから数時間、ナゲルは父の組手という名の試合に付き合い、これでもかという程にその身を地面に叩きつけられる事となった。
「ふむ、お前もまだまだだな」
「ぐっ、お父様が化け物すぎるのですよ」
「何を言うか。この程度、まだまだ父上の足元にも及ばんよ」
そう言って遠い目を見せる。
くるりと見せた背中になんとなく哀愁を感じた。
「お祖父様も相変わらずといえば相変わらずですが、一体どこに行ったのですかね……」
「さあな。あんな置き手紙だけ残して出て行って、本当にあの人には困ったものだ。最高師範という立場をわかっているのかどうか」
「ですが、手紙には最高師範の座を譲るとあったではないですか」
息子であるナゲルの言に、ふっ、と自虐的な笑みを浮かべ。
「あれをみて私は腹しか立たなかったぞ。師範を譲られるなどこんな屈辱的な事はない。私はあの人を超えた上で師範の座を退いてもらいたかった」
瞑目し、不機嫌そうに発す。
クズシが納得していないのは事実であり、だからこそ今は最高師範を名乗らず最高師範代として皆と接している。
ナゲルとしてはその気持も判らなくもないが、もし自分が譲ると言われればおそらくあっさり引き受けるだろうなと思ってもいる。
父もそうだが、祖父に関して言えばもはや合気道とはそもそもなんだったのかも忘れそうになるレベルだ。
話を聞いていても神話としか思えない伝説が多すぎる。
曰く、核ミサイルを合気で宇宙へ放り投げた。
曰く、巨大隕石の軌道を合気で逸らした。
曰く、富士山の噴火を止めた。
曰く、墜落しそうになった大型旅客機を合気で受け止め着陸させた。
曰く、総数一〇万を超える軍を相手に単身挑み、物の数分で壊滅させ、空母一〇隻を跡形もなく粉砕した。
曰く、地球を逆回転させた――などその伝説級の逸話は枚挙に暇がない。
そんな祖父を超えようと言うのだから、ナゲルからしてみればあまりに無謀でバカバカしい話である。
そもそも父であるクズシとて、テロリストに囲まれ一斉に銃撃を受けたにも関わらず、全ての弾道を見極め、合気によって受け流し、同士討ちをさせ全滅させるなど、ナゲルからすれば十分化け物級である。
正直ナゲルでも、精々スナイパーによるPSG1での狙撃を受け流し相手に返す程度の実力であるし、七歳になる息子のタオスに至っては精々ヒグマを投げ飛ばせる程度である。
極めて常識的なレベルだ。
しかしそれでも父であるクズシは言う。自分はまだ人を超えていないと。そして人を超えねばナガレには決して勝てないのだと。
そんな父に、もはや呆れることしか出来ないナゲルなのである。
「まぁあのお祖父様の事です。きっとまたふらっと戻ってきますよ」
「……だといいのだがな」
溜息混じりにそう返すクズシである。
「ところで父様」
「なんだ?」
「そろそろ夕食の時間です」
「むぅ、もうそんな時間か――」
そして親子ふたり、そろって屋敷へと戻るのであった――
◇◆◇
「え~! まだ叔父様が戻っていないのですか~!」
ナゲルが朝の稽古を終えた頃、屋敷に一人の少女が訪ねてきた。
妻からその話を聞いたナゲルは、先週と同じように対応を任されてしまう。
そして――顔を合わせるなり、祖父であるナガレが戻っているかを訊かれ、返答した直後の反応がこれであった。
「それで叔父様は一体今どこにいらっしゃるのですか!」
「いや、だからそれは俺にも判らないんだよ」
ちなみにナゲルはある程度見知った相手の場合、自分の事を俺と称す。
そして目の前で、む~む~と唸ってる彼女は、山神 芽来。
ショートカットでボーイッシュ。明るく天真爛漫といった雰囲気ただよう可愛らしい女の子だ。
そんなメクルは、ナゲルからみて叔母であり、父クズシの妹(祖父からすれば次女である)神薙 浮美の嫁ぎ先の夫の姉の娘である。
……正直そこまでいくと、ほぼ他人に近くもあるが、そんな彼女がなぜ叔父様とナガレを慕っているか。
それは本当に偶然の出来事であるが、彼女がまだ六歳の頃、メクルが住む街の近隣で連続通り魔事件が起こり、警察の指導にも一役買っていたナガレが見回りを行っていた。
その時、通り魔に襲われそうになっていたメクルをナガレが救ったのである。
ちなみにそのメクルがナガレの次女の嫁いだ先の親族である事は、救出後にあっさりとナガレが看破したわけだが。
そしてそんな事があってからというもの、メクルは暫く道場に入り浸りとなり、ナガレから直接指導を受け、彼女は次第にナガレを叔父様と慕うようになったわけである。
「うぅ、婚約者を置いて行くなんて叔父様ってば酷い!」
「いや、婚約者って――」
思わず苦笑し溜め息を零すナゲル。今に始まったことではないが、メクルは祖父であるナガレに恋心を抱いている。
そのことを何故かメクルはナゲルにだけ告げてきたのだが、彼としてはそんな話を聞かされても面倒なだけである。
ちなみに何故、自分が婚約者などと彼女が言ってるか――それはまだメクルが七歳の時、祖父に向かって将来お嫁さんにして欲しいと頼んだら承諾してくれたから、らしい。
壱を知り満を知ると言われる祖父であるが、幼い彼女に軽い気持ちで答えた結果、まさか十五になった今でもそれを信じ続け、自分は婚約者だなどと称し続けるとは思いもしてないだろう。
何せメクルはナガレに対してはその気持ちを一切伝えていない。
「全く。第一婚約者ってお前まだ十五歳だろう」
「あれ? 知らないんですか? 女は十六になったら結婚出来るんですよ? つまりもうすぐ私は叔父様と結婚できるのよ!」
「いや、まぁ知ってはいるけど……」
何せ噂の祖父は、祖母が十六の時に結婚し子供も授かっている。
だが、その当時ならまだともかく、齢八十五の祖父が十六の少女と再婚なんて事になったりしたら、ナゲルは今後どう祖父と接していいかわからなくなる。
「とにかく! 叔父様が戻ってきたら真っ先に私に教えて下さいね! 電話でもメールでもSIGNでもいいですから!」
「あぁ判った判った」
結局ナゲルは適当にあしらい、彼女は不機嫌なまま屋敷を後にした。
そんな彼女の後ろ姿を眺めながら、全く祖父も面倒事ばかり残してくれたな、と嘆息するナゲルであった。
「よぉメクル。俺らの事覚えてるだろ?」
「覚えてないわよあんたみたいなゴリラ」
神薙の屋敷を出た帰り道、メクルは屈強な男たちに囲まれた。
全員何故か特攻服のようなものを着ており、今時やたら排気音の煩いバイクを乗り回す連中だ。
「くっ! あれだけのことをしておいて――」
ゴリラ顔の男が悔しそうに歯噛みする。だがメクルは意に介する事なく、スタスタと無視を決め込もうとする。
「ちょっと待ちな! テメェちょっと舐めすぎじゃねぇか? リーダーに舐めた口きいてこれだけの人数相手に逃げれると本当に思ってるのか?」
「全く命知らずもいいところだぜ。まぁでもおとなしくしてるなら落とし前はテメェの身体でいいけどな」
その声に合わせるように全員が下卑た笑みを浮かべ、ギャハギャハ笑い声を上げる。
するとメクルは、はぁ、と嘆息し。
「本当、頭悪いわねあんたら。大体私の身体は叔父様のもの……そう、叔父様。なんでよ、なんで叔父様は私を置いて――」
突如ぶつぶつと独り呟きだしたメクルに、彼女を囲む男達はそれぞれ顔を見合わせ。
「おいテメェ! 何一人でブツブツと!」
「……うん、そうね。判った、丁度むしゃくしゃしてたし少しだけ付き合ってあげる」
「あん? 付き合うってホテルにか? ぎゃははは――は?」
その瞬間、下品な笑い声を上げる男にメクルが肉薄し、バイクごとそれを振り回す。
「ぐぇ!」
「ぎゃひぃ!」
「ぺぎょ!」
一瞬にして彼女を囲んでいたバイク集団は吹き飛ばされ、数台のバイクは道路に落下し、爆発炎上した。
ちなみにそんな状況でも死人は出ていない。
「て、テメェ! この怪物女が!」
そして残ったリーダーは顔に恐怖を貼り付けながらもアクセルを回し、エンジン音を爆発させた。
「こうなったら! 轢き殺してやる!」
改造に改造を重ねたリーダーの八〇〇〇CCのバイクが一気に加速し、メクルへと跳びかかった。
だが、メクルは涼しい顔でその超大型バイクに立ち向かい、はぁーーーー! という掛け声とともに巴投げでバイクごと投げ飛ばしてしまう。
「ひっ、ひぃいぃいいいいぃいいいいい!」
空中を舞いながら情けない悲鳴を上げ、ゴリラ顔の男はそのままドブ川に向けて真っ逆さまに落ちていく。
その様子を眺めながら、パンッパンッ、と手を払い。
「ま、少しはスッキリしたわね……ところでこいつら結局誰だったのかしら?」
そんな台詞を残し再び帰路についた。ちなみにメクルがあっさりと倒したこの連中は、先週メクルのクラスメートに絡んでいた為にメクルの怒りを買ったろくでもない男達である。
そんな連中を全く問題としない程の実力を有す彼女、山神 芽来――ナガレに危ないところを助けられ、それから神薙流道場に通い続けた結果である。
しかし実は彼女は合気に関しては一切使いこなすことが出来ない。
何故なら、ナガレは比較的早い段階から彼女に合気の才能はないことに気が付き、柔術のみを重点的に教え続けたからだ。
あらゆる武道に精通するナガレは合気道以外でも十分な指導力を発揮する。
そしてその結果、柔道会に置いても一目置かれる程の存在にまでメクルは成長を遂げた。
一緒にオリンピックを目指さないか? などといった誘いもひっきりなしに来る。
だが、メクルはそれらを全て断っている。何故なら――彼女にとって大事なのは愛する叔父様との結婚であり、それ以外には一切興味が無いのである。
「――叔父様、早く帰ってきて、そして、夢の、け、結婚……うふ、うふふふふっ」
独りちょっと残念な笑い声を発しながら将来を夢見るメクル。
しかし、彼女はまだ知らない――ナガレが現在異世界で冒険者として活躍してる事を……
メクルもなかなかはっちゃけてます。




