特別編 ナガレの長い日
クリスマス特別編となります。
本編とは別の番外編的な話となります。
それはある年のクリスマスのことである。
「ふぅ……美心、お茶のお代わりを貰えるかな?」
「あらあら、まだ一口も口にしてませんが、すっかり温くなってしまいましたね」
「む、むぅ?」
ナガレが渋面を見せる。それから妻のミコがすっと湯呑を下げ、奥へと引っ込んでいった。
ミコの横顔はどこか茶目っ気のある笑顔であった。
今のナガレの姿がよほど面白いと見える。確かに今日のナガレはいつもと違った。
先程から妙にソワソワしており、和室の畳の上を意味もなくグルグルと回っていたりもする。まるでサンタクロースがやってくるのを心待ちにする子どものようだ。
尤もナガレであれば逢おうと思えば一秒も掛からずサンタクロースを掴まえて持ち帰ることも可能だが、当然今日のナガレはそんなことでソワソワしているのではない。
「それにしても遅い、約束の時間などとっくに過ぎているのではないか?」
「あらあら、約束の時間は夜の7時ですよ。今は6時ですから後一時間もあります」
「いや、しかしお前、普通こういった時は約束の一二年前には到着しておくものではないかな?」
「そんな馬鹿なお話聞いたことがありませんよ。どうぞお茶でございます」
すっと檜製の座卓の上に茶を淹れなおした湯呑茶碗を置く。
それに手をやり、上げたかと思えばすぐ下げるといったよくわからない行動を繰り返すナガレであり。
「むぅ、ミコよ、なんと茶に茶柱が立っておらぬ。これは少々不吉ではあるまいか?」
「貴方、茶柱が立っていないことは普通の事でございますよ」
「む、そ、そうか?」
茶柱は偶に立つからこそ縁起がいいのであって、むしろ立ってないのは当たり前なのだが、今のナガレにはそれすらよく判っていないようだ。
とは言え、色々思うところがあるのか今度は中身を一気に飲み干した。
そして茶碗を回し始めた。かと思えばまた口につけ。
「ふむ、急に味がしなくなったな」
「フフッ、中身が入ってませんわよ貴方」
「ムッ、茶泥棒とは面妖なことこの上ない」
「あらあら、お代わり致しますか?」
「……頼む」
そして三杯目のお茶が注がれ、食卓の上に置かれる。それをじっと見ながら今度はそわそわしだすナガレであり。
「やはりちょっと遅くはないかな? まさか、来る途中にテロリストにさらわれてしまい、今頃どこか外国なんかにということは!」
「安心してください。そんなことがあれば、貴方ならすぐに気がついて、組織ごと壊滅してしまいます。それにウケミだって強いのですから」
なんとも冷静にとんでもないことを言っているミコであるが、しかし事実である。
むしろナガレの追跡を逃れるテロリストなどがいたなら世界はもう終わりだろう。
「ただいま~」
「お、お邪魔いたし、うわ!」
あらあら、とミコが可笑しそうに口に手を添え徐に立ち上がった。眼の前には既にナガレの姿はなく、誰かの驚いた声と、お父さん! という娘の反応。
どうやら次女のウケミが戻ってきたと察した瞬間に玄関の前に立っていたようだ。
尤もそれも第三者からみたなら突然ナガレが目の前に現れたようにしか思えないであろうが。
「え? お、お父さん? 弟さんじゃなくて?」
「あ、うん、見た目は確かにちょっと若いかもだけど……」
「ちょっと!? あ、いやすみません!」
突如あらわれたナガレを目にし驚く青年。何せ彼の見た目はかなり若い。彼自身が年上だとはとても信じられないと思ってしまうほどだが、そのことで機嫌をそこねないかと心配に思ったのだろう。
青年は深々と頭を下げ、そして、
「ご挨拶が遅れてしまいまして、私はその、ウケミさんと、お、お付き合いさせていただいております」
「うん、まあまあ積もる話もあることだろう。立ち話もなんだから、とりあえず道場へ行くとしますか」
「へ? 道場ですか?」
「うむ、とりあえず君の人となりを知るためにも、先ずは道場で乱取りを一〇〇億本程行い、軽く汗を――」
「なんでよ!」
暫くやってきた青年の事をジーーっと観察していたナガレだが、何故か家に入る前にそんな事を言い出し、ウケミが思いっきり突っ込んだ。
「なんだいウケミ、何か間違ったことお父さん言ったかな?」
「言ったわよ! 何よ一〇〇億本って! なんでやってきてそうそうそんな地獄の猛特訓みたいな事をさせるのよ! そもそも何でいきなり道場なのよ!」
「ま、まぁまぁウケミ。はは、お父様はご冗談がお上手ですね。一〇〇億本だなんて、それ、いつ終わるねん! なんちゃって、はは」
「――一〇〇億本は別に冗談のつもりではなかったのだがね」
「え? あ、そ、そうなんですか。へ、へ~」
真剣な顔でナガレが答えた。冗談を言っている目つきではない。大マジの目だ。
「あらあら、駄目よ貴方。彼も困っているわ」
「あ、これは、ウケミさんの妹さんでしょう、ぐふぅ!」
「私の、お・か・あ・さ・ん、よ」
ウケミの肘鉄が青年の鳩尾にヒットした。思わずしゃがみ込み苦悶の表情を浮かべる青年。そして、あらあら、と微笑みを絶やさないミコである。
「さぁさぁ、狭い家ですがどうぞお入りになって。今夜は折角のクリスマスですし、料理もクリスマスケーキも用意しておりますので」
「む、ミコよ。いま稽古といったか?」
「言ってないわよ!」
すかさずウケミが突っ込んだ。
「そ、そうか? 確かにクリスマス稽古と聞こえたんだが。クリスマスといえばやはり稽古であるし」
「はいはい、貴方も部屋まで急いで下さいね」
暴走気味のナガレだが、妻のミコが上手く手綱を握り、とりあえず全員で部屋へと向かった。
「ふぅ、改めて紹介するね。彼が今私がお付き合いしている山神 平さん」
「は、はじめまして! ご紹介に与りました山神 平です。お嬢様とはその、真剣にお付き合いさせて頂いておりまして……」
「ふむ、真剣に稽古をつけてもらいたいと?」
「言ってないわよ!」
「そ、そうか? いやしかし。山神というともしや山神流の?」
「は、はい! 祖父は柔術家としてかなり有名なようで、ただ残念ながら私にはあまり格闘技の才能がなかったようで」
「お父さん。言っておきますけど彼は本当に普通の人なんだからね。格闘技とは無縁の世界で生きていて、大学もテニスサークルの所属だったんだから」
「ほう、テニスを?」
「あ、はい。そんな大層なものではありませんが」
「いやいや、そんなことはない。いいではないかテニス」
「もしかしてお父様もテニスを?」
「うむ、テニスはいいね。以前知人とやったときもつい熱くなってしまい、隕石を落とされ流星にして打ち返したり、太陽に飛ばされ、お返しにブラックホールに飛ばしたりしたものだ」
「……へ?」
「それで、君はどれぐらい出来るのかな? ビッグバンぐらいは余裕だったりするのかな?」
「出来るわけ無いでしょう! それどこのテニスもどきよ! お父さん話きいてた!? 彼は一般人なの! 普通の人なの! お父さんみたいな人外とは別次元の人なんだから!」
「じ、人外!」
ガーン、という音が響きそうな程ショックを受けるナガレであるが、普通の人はテニスで惑星破壊クラスのラリーなどするわけがなく、十分人外なのである。
「あらあら、随分とお話が盛り上がっているようですね」
「お父さんが暴走しているだけよ」
「平さん今お食事の支度をしてますからもう少しお待ちになってくださいね」
「あ、何かお手伝い致しましょうか?」
「そうね私も手伝うわ」
「うふふ、ありがとう。でも、大丈夫よ。ヒトミさんも手伝ってくれてますし、のんびりしていてくださいね」
すみません、とタイラが一揖し、ミコが奥へと引っ込んでいった。尤もかなり広い屋敷であり、台所までの距離もそうとうあるわけだが。
「ふむ、しかし料理が出来るまでまだ時間があるな。どうかなタイラくん、少し散歩でも?」
「は、はい! お付き合いさせていただき――」
「待って、お父さん。散歩ってこんな時間にどこへ連れて行く気?」
「何、ちょっと裏山まで」
「却下よ! 裏山って、うちの裏山なんて魔境みたいなものでしょ!」
「え? ま。魔境?」
「いやいやそんな大げさすぎやしないか? どこにでもある普通の裏山ではないか」
「ドラゴンや巨人や怪獣や妖怪が普通に跋扈している裏山のどこが普通なのよ!」
「え? え? あ、あの冗談ですよね?」
喚き立てるウケミの横で目を白黒させるタイラである。だが――
「はぁ、ごめんねタイラさん。一応伝えておいたとは思うけど、全部事実なの。うち、わりと普通じゃないから」
「いやいや、普通じゃないか。クリスマスに軽く稽古をつけてあげるぐらいは普通だとも」
「だから、それが全然普通じゃないのよ。はぁ、本当、いつもはもっとしゃんとしているのにどうして今日に限ってこんなにポンコツなのかしら……」
頭を抱えるウケミである。そして、同時に心配そうに彼を見た。確かにウケミは事前にタイラへ神薙家について説明していた。
だが、実際に家に来て、更に暴走気味な父を見て、一体どう思ったか。もしかしたらという不安が頭をもたげる。
「……あ、あのお父さん!」
だがその時、意を決したようにタイラが声を上げ。
「確かに私は、祖父とは違い、格闘技とは無縁の生き方を送ってきました。お父様からみたら平凡な男にも見えるかも知れません。ですが、お嬢様を、ウケミさんを思う気持ちは誰にも負けないと思っております。ですからお願いします! お嬢様との結婚をお許しください!」
「――タイラさん……」
姿勢を整え、頭を下げ真剣に頼み込むタイラ。するとナガレも、ふっ、と微笑み。
「こちらこそ、不束な娘ですがどうかよろしくお願い致します」
返礼し、ふたりの結婚を認める。娘のウケミは破顔し涙を零してよろこんだ。
「あらあら、クリスマスの日におめでたいことが重なりましたね。さぁ、料理も出来上がりましたよ」
そして、妻のミコとメイドのヒトミが次々と料理を運んでくる。今夜は忘れられないクリスマスとなりそうであり。
「さて、それではタイラくん、折角だから記念に道場で稽古を」
「だからそれはもういいわよ!」
だが、最後までクリスマス稽古をつけたそうなナガレなのであった――




