第四六七話 忍び寄る暗殺者
「やれやれ、妹の頼みでしたから今回は貴方達に協力しましたが、今後は勘弁してもらいたいですね」
手錠をあっさりと外しつつクズシが言った。その目はキトウとゲンに向けられている。
手錠に関しては、クズシであれば例え錠が掛かっていてもいつでも外せたが、そもそもこの手錠はダミーだ。ココロエの用意した本物そっくりな作り物である。
「いやいや本当に済まなかったね。でも、神薙家の協力のおかげでこいつらを一網打尽にできそうだよ」
「ふ、ふざけるな! 貴様らは何をしているか判っているのか!」
「おやおや、これはまた物騒なものを」
床に膝を付きうなだれていたコウメイだったが、怒りを爆発させ蹶然し、隠し持っていた拳銃を取り出した。
「あ、貴方……」
「サトメ! こうなったら私たちだけでも逃げ――」
「わりぃがそうはいかないねっと」
「な!?」
だが、手にした拳銃も撃つ暇など与えてはくれなかった。ゲンが瞬時に懐に飛び込み、腕をとって引き倒し、関節を決めたからだ。
ボキッという音がし、コウメイの口から悲鳴が漏れた。あっさりと折ったのだ。
「痛かったかい? でもまぁ銃を出すならそれぐらい覚悟しないとな。あ、奥さんも太腿に隠してる銃を抜こうなんて考えないほうがいいですぜ。無駄に痛い思いをするだけだ」
太腿に伸びていたサトメの手がピタリと止まった。そして悔しそうに唇を噛みしめる。
「さて、これでこっちは制圧完了と。隣の法廷も今頃――」
その時だった、キトウの携帯電話に着信。懐から取り出したソレはずいぶんと年季の入ったガラゲーだったが、大きな手で小さなボタンを弄り耳に近づけた。
「おう、お前か。そっちはどう、は? な、なんだって! 本当かそれは!」
すると、途端にキトウの額に事態の急変を知らせる皺が刻まれる。
「……判った。こっちも相談してみる」
「何かありましたかな?」
キトウから、ただならぬ気配を感じ取ったのか電話を切った直後クズシが問いかけた。
振り返ったキトウは罰が悪そうに頭を擦る。
「それがな、娘のマリアは拿捕したらしいんだが、隣の法廷からセイジツが消えたらしい」
「おい、消えたって、うちの連中はなにしてやがったんだ?」
「……勿論異常に気がついたのか、ここから立ち去ろうとしたセイジツ達を捕まえようとしたらしいんだが……全員やられちまったようだ」
「馬鹿な、うちの連中は数こそ多くないが最低でも一人で百人の兵士を制圧出来るぐらいなんだぞ。それをお前――」
「簡単なことだろう」
クズシが二人の会話に割り込んだ。そして堂々した顔で言い放つ。
「逃げ出した者がそれ以上に強いということだ」
そしてクズシはそのまま法廷の出口へと体を向けた。キトウとゲンはその様子から彼の行動を察したようであり。
「すまねぇな結局面倒をかけちまって」
「乗りかかった船だ。仕方あるまい」
「はは、無駄だ無駄さ! 今更何をしたところでな! ふふっ、神薙家もこれで終わりだ。セイジツが動くならアレだって動き出す」
「……あれだと?」
キトウの仲間によって押さえつけられていたコウメイが突如半ばヤケ気味の表情で笑いだし、かと思えば不穏なことを口にする。
「たく、今更はったりたぁ往生際が悪いぜ旦那。大体、あんた判ってるのか? 逃げ出したってことは息子から裏切られたってことだぞ?」
「あぁそうだな。だが、あいつも私の血を引くからな。それで正解だ。それこそが明智家の人間よ。野心のためならば家族だって平気で裏切り、見捨てる!」
「……私には到底理解出来ないな」
「ふん、どうかな? お前らだって、いざとなればどうなるかなんてわかったものじゃないさ。それだけの力があれば、自分の野心のために他者を傷つけることを厭わないことだってあるだろう。そしてそれは正に今このときにも起きようとしている」
「お前は何がいいたいんだ?」
「そのまんまの意味さ。神薙よ、どうやらお前は私たちを上手く嵌めることが出来てしてやったりと思っているのかも知れないが、お前たちがここにいる時点で家族を見捨てているのと変わりないのさ」
「家族をだと?」
クズシが動きを止め、聞く耳を持った。
「そうだ。神薙家には、私たちの秘蔵っ子を向かわせていた。ソレがお前の家族を全員殺す」
「デタラメをいうな。お前たちの家族構成は全てこっちで把握している。お前たちの家族で残っているのは異世界に転移したマサヨシだけだろう」
「馬鹿が、秘蔵だといったろ? あいつは特別なのさ。そう、こんな時のために隠し続けてきた――」
「そうよ! あの子は父とセイジツが育てた機械。感情など持たない、ただ殺しのためだけに生きる。それがあの子。そして兄さんがここから離れたってことは、間違いなくあの子にも伝わっている。神薙家にいる連中を皆殺しにしろってね!」
クズシの隣、つまりナゲルの裁判が行われていた法廷では、娘のマリアが叫んでいた。公安零課によって捕まってしまっている彼女だが、まだ何か手は残っているような、そんな雰囲気だ。
それを聞き届けたナゲルは、眠そうな目で嘆息したあと、それで、と口にし。
「その秘蔵っ子ってのはただ殺すだけなのか?」
「……は? あんた何言ってるの? 馬鹿なの? ただ殺す。それだけで十分でしょうが! あの子は最強の暗殺者よ! 一度あんたのとこに送った殺し屋なんて目じゃないほどよ。殺しの為だけに育てられたマシーンなの! あんたがやってるようなままごとみたいな武道とは違うのよ!」
「ままごとねぇ。ま、いいけど。とにかく、話がそれだけなら俺はもういくぜ」
しかし、存外な態度でナゲルは答え、踵を返す。その様子を、マリアは別な意味で捉えたようだ。
「……フフッ、強がりね。知ってるわよ。今あんたの家にはお前の息子だっているわけでしょ? それならきっと気が気じゃない筈。いい気味よ」
「あぁ、そうだな。だから運が悪い」
「……運が悪い?」
怪訝そうに問い返す。この状況でなぜそこまで余裕ぶっていられるのか理解できないのだろう。
「あぁそうだ。運が悪けりゃ分も悪い。ただの殺し屋じゃな。ま、ご愁傷さまってこった――」
言ってる意味がわからないのか惚けるマリアは放っておき、そしてナゲルもまた法廷を離れた。すると、廊下を歩く彼を発見。
「あ、親父!」
「お前か……全く。何をしていたんだお前は」
「な、いきなり説教かよ! 仕方ねぇだろ。俺だって作戦に集中してたんだよ」
「……失態だな。どうせ、また面倒だと欠伸でもかきながら適当に話を聞いていたんだろう」
父であるクズシの指摘に、ぐっ、とナゲルが身をのけぞらした。どうやら図星だったようである。
「……とにかく、急ぐぞ。こんなことにいつまでも時間は掛けていられん流石に心配だからな」
「うん? なんだよ親父、もしかしてあの連中の話を聞いて気を揉んでるのか?」
「話? あぁあの秘蔵だと言っていたアレか。そんなものは全く心配していない。それより母さんの作る夕食に遅れでもしたらことだ」
「そっちかよ! はぁ全く、親父も母さんには弱いよな」
「……男というのはそういうものだ」
そんな会話をしながら神薙親子はセイジツを追いかけるのだった――
◇◆◇
「速やかに作戦に移る――」
神薙家の大庭園に、一人の暗殺者が侵入していた。明智家の秘蔵っ子とも称されるその子は、全身がダークブルーのラバースーツに包まれており、顔も般若の面で隠されていた。
まだ周囲も明るいというのにこの格好は、逆に目立ちそうにも感じられるが、明智家によって徹底して暗殺者としての術を叩き込まれたことで、気配の消し方は熟知している。
その能力凄まじく、全身に蜂蜜を塗りたくった状況で、飢えた羆の群れに放り込んだとしても、羆に全く気づかれること無く、ナイフ一本で殲滅出来るほどだ。
そんな暗殺者が神薙家に入り込んだ。しかも、今はクズシもナゲルも裁判に出ていていない。
つまり、狩り放題。しかも既に連絡を受け、皆殺しにせよ、と命令が下っている。
徹底して暗殺のためだけに生きるよう育てられた子だ。命令を受けた以上、もう止まることはないだろう。
そんな暗殺者の瞳が、今一人の少年を捉えた。まだまだ小さな子だ。だが、感情をなくした暗殺者には、相手が大人だろうと女だろうと、子どもだろうと関係がない。
ただ忠実に余計なことを考えず、任務を遂行するのみ。
ナイフを軽く握り、音もさせず近づき、その柔らかそうな首を掻っ切ればそれで終わり――
「そんな物を持って何するつもりなの?」
「――ッ!?」
弾かれたように、暗殺者の身が飛んだ。おかしいとその少年の顔を見る。
確かに今、自分は少年の背中をとっていたはずだ。それなのに、何故逆に背中を取られた?
理由はわからない。だが、目の前の少年は何故か、ニコニコしながら、無垢な瞳で語りかけてくる。
「君、みたことないけどうちの道場に用事があるのかな? 入門希望なら専用の窓口があるんだけど迷ったのかな? あ、自己紹介が遅れてゴメンね、僕の名前は――」
無邪気に喋り続ける少年の後ろに瞬時に回り込んだ。ナイフを振る、確実に首を捉えた。これで一人――
「駄目だよ。人が話している時にはしっかり聞かないと。そうお母さんやお父さんから教わらなかった?」
「!?」
だが気がついた時、暗殺者は地面に仰向けに倒れていた。一体何がおきたのか、全く理解が出来なかった。
「あ、そうそう僕の名前はね神薙 倒というんだ。あ、倒しちゃってごめんね。本当は女の子には優しくしてあげないとだめなんだけど、でも駄目だよこんな刃物なんてもってたら危ないんだよ?」
しかし、少年はやはり邪気のない笑顔で、彼女に語りかけた後、ところで君の名は? と改めて問いかけるのだった――
明智父「私の秘蔵っ子は最強!神薙家の主力三人がいないなら全員挨拶ぐらい楽勝!」
最強の秘蔵っ子(何かよくわからないうちに倒された)
流の曾孫(七歳)「君の名は?(にこにこ)」