第四四五話 黒いクロイ
「クロイちゃ~ん、やったよ、やっちゃったよ~カクゴウだよカクゴウ、流石だねぇイケてるねぇ、時代が君を待ってるねぇ~」
「あっそ」
自室で爪の手入れをしながら、クロイは適当な返事でマネージャーに応対した。
普段ファンに見せる表情とは全く異なる、愛想のない冷たい態度である。
「あれれ~? 嬉しくないの~?」
「あんたねぇ、たかが書類選考でしょ? それぐらいこの私が通ってないわけ無いじゃん。あ、丁度いいからジャーマネあんた肩揉んでよ」
「イェッサ!」
「この私の肩を揉めるのよ? 光栄に思いなさい」
「勿論だよクロイちゃ~ん。う~ん、でもほら、今回はなんでも応募総数五〇〇万通を超えてたらしいよ? でもその中から書類選考を通ったのはたったの五〇名! その中に選ばれたんだから、僕っちは凄いと思うんだけどな~どうかな~?」
「別に……」
これといった感慨もなく、クロイは答える。彼女にとっては書類選考を通るぐらいの事、予定調和にしか過ぎないのだろう。
「大体、五〇〇万通なんて大したことないじゃない。本当あの監督有名なの? 本物なら一億ぐらい応募があってもいいものでしょ?」
「はは、クロイちゃ~ん、それだと日本人の約五人に一人が応募してる事になっちゃうよ~」
「う~ん、そう考えると大したことないわね。今の日本の人口は確か三五億だっけ?」
「ははっ、もうすぐ五億だよクロイちゃ~ん、全くおちゃめだネェ。そこがまた素敵なんだけど~だけど~!」
そうだったかしら? と疑問符を浮かべるクロイであるが、知識としては小学校レベルの話である。
「大体もうすぐ五億人って少なすぎない? 私が三五億って言ってるんだから三五億にしなさいよ!」
バンっと化粧台を叩きつけるクロイに、ちゃ~む~だよ~と苦笑するジャーマネ。
「大体一時期は五千万人以下にまで下がった日本の総人口が、ここまで増えたのも奇跡みたいなものなんだから~」
「はいはい、そういうおっさん臭い話題はもういいわよ。話を戻すけど、大体このオーディションだって私以外に主演はれるのなんて一人もいないでしょ? 大体あのマイなんてトーシローでさえ枕で取れた程度の役なんだし」
やはり苦笑いのジャーマネである。勿論枕なんて話はクロイが勝手に思っている事だ。そして散々クロイを推してたにも関わらずあの監督はわざわざこのオーディションを開催したわけだが……勿論それはクロイには黙っている。
「あ、でもクロイちゃ~ん、一人書類選考通った中で気になるのがいたりするんだよね~」
「は? 何それ? あんた目が腐ってんじゃないの?」
「しどい! いや、でもねぇ、その子、新牧 美歌というのだけど、その新牧 舞の妹ちゃんみたいなんだよねぇ~」
ピタリと、指を弄るクロイの動きが止まった。そして、ジャーマネを振り返り、どこか闇深な微笑を湛えながら、ちょっと詳しく教えなさい、と問い詰めた――
(やった! 通過してた!)
書類選考の結果が届き、ミカは思わず心のなかでガッツポーズをとったりしてみた。
勿論、結果はすぐにカオルや所長、協力してくれた部の皆や元顧問にも伝えた。
仕事から戻った母も通過の知らせを聞いて随分と喜んでくれた。
今夜はご馳走ね、なんてことも言ってくれたが流石にまだ書類選考であり、あまりはしゃぐのもお金を掛けさせるのも悪い。
なのでご馳走はオーディションの最終審査に合格してからね、と笑顔で伝えておいた。
「書類選考突破おめでとう。ミカなら心配ないと思っていたけどね」
打ち合わせのため事務所へ向かったミカは早速カオルと今後について話を進めていく。事務所に所属することとなってからは正式にミカのマネージャーはカオルが務める事となり、それにともない呼び方もちゃん付けから変化していた。
「二次審査に残れたのは五〇名。応募総数から考えればかなりの狭き門を突破した五〇人だ、当然皆必死だろうけど次の審査までは二〇日程度しかない。演劇の経験があるとは言え、オーディションを受けるのも初めてでいきなりこれは大変かもしれないけど一緒に頑張ろう」
「はい!」
ミカは力強く頷いた。その目に宿る光は本物である。
「よし、二次審査は面接となってるけど、実際はこの段階から役に関係した何かを要求される可能性は高い。現にドラマのあらすじは届いているからね。それを見ながら、審査への対策を練ってレッスンへと繋げていこう」
こうしてカオルとの打ち合わせが続いた。内容は、異世界を救った姫様が平和になった世界で退屈していると、突如現代の日本に転移してしまい、そこでいろいろな人と出会う内に異世界にはない可能性を見出し、すったもんだでアイドルになっていくというものだった。
しかも途中から異世界から命を狙う刺客がやってきたり、日本の裏の組織に狙われたりと、歌にダンスに恋愛にアクションまで求められるなんとも節操のない内容であったが、流石は今をときめく名監督の脚本だけあって、一見ごちゃごちゃしていそうにも関わらずおもしろおかしく纏められていた。
「見ての通り、主演には演技は勿論だけど、歌とダンスとアクションが求められる。勿論、うちもそれにぴったりな先生を用意しておくから――」
打ち合わせをし、その後はスタジオを貸してもらっての自主練、それらが終わった頃にはすっかり暗くなっていた。
なので帰りは送ってもらい、買いたいものがあった為、家の近くのコンビニで下ろしてもらった。
買い物を済ませ、アパートへ帰るミカであったが――
「貴方がマイの妹さんね」
アパートの門までたどり着いたところで、後ろから声を掛けられた。
え? と振り返ると、サングラスをした女性。肩まで伸びたウェーブ髪を揺らしながら、ミカへと近づいてくる。
ギャルっぽい格好の女だ。全身黒で統一されていたが、妙に綺羅びやかな素材。シースルーのトップスとタイトチックなスカート。
丈は短く、全体的に露出度は高い。
「ねぇ、この私が聞いてるんだけど、貴方がマイの妹のミカよね?」
「……そうですけど、貴方は?」
「あら? 貴方、無謀にもあのオーディションを受けておきながら、私の事を知らないなんてもう止めた方がいいんじゃないの?」
そういいながら、女はサングラスを取り、首を振る。一旦外側に開いたウェーブ髪が、ストンっと肩に落ち、上手いこと纏められた。
サングラスを取った事で、釣り上がり気味なキツめの双眸が顕になる。美人だが、どこか挑戦的なそんな様相だ。
「貴方、原 紅爐伊さん……」
「なんだ、知ってるんじゃない」
「顔を見れば判りました。でも、どうしてここに?」
「見ておこうと思ったのよ。あの卑怯者の女の妹がどんな顔なのか。でも、やっぱり大したことないわね」
「……はい?」
「ねぇ? どんな手を使ったの? 貴方みたいのが書類選考を通過するなんて。この貧乏たらっしい犬小屋を見るに買収はないだろうし……」
ミカ達の暮らすアパートをまじまじと見ながら、クロイは可哀想なものを見るような目で言ってきた。
よりにもよって人の住む建物を犬小屋だなんて、とムッとしてみせるミカであり。
「もしかして貴方、選考員と寝た?」
「な!? そんな事してません!」
とんでもない事を言う物だ、と表情を険しくさせるミカだが、クロイは疑いの目を向けつつ肩をすくめた。
「どうだか。枕で仕事を取りまくってたアレの妹ですもの。裏で何をやっているかわかったものじゃないわ」
「お、お姉ちゃんだってそんな事してない! 適当なことばかり言わないで!」
思わず眦を吊り上げ、激昂する。やはりこのクロイという女は、そういう女だったのか、と再認識した瞬間でもあった。
「まぁいいわ。一応書類選考通過したのはおめでとうと言ってあげるわ。これでも私、貴方のお姉ちゃんとは親友という事になってるし」
「……どの口が、そんな事を――」
「わぁ~何か目がこわ~い。でもね、身の程をわきまえなさい。これは忠告よ、このオーディションは書類選考通っただけでも運が良かったと思って、後はもう諦めることね。貴方みたいな素人がやっていけるほど甘い世界じゃないのよん」
「……確かに、私は素人かもしれませんけど、それでも絶対貴方には負けません」
「……それ、本気で言ってるのぉ~?」
「――本気です」
「そう、あんたも何か生意気、腹が立つわ。そっちがその気なら、あとで吠え面かいても知らないんだからね」
言いたいことだけ言った後、クロイは踵を返しミカの前から姿を消した。
一人残されたミカの肩はプルプルと震えており、そしてキッと去っていった彼女の姿を思い浮かべながら、絶対に負けてたまるか、と改めて決意するわけだが――
◇◆◇
「おっかえり~クロイちゃ~ん。でもどうしたの? 突然こんなところまで連れて行けだなんて~」
「……ジャーマネには関係ないでしょ。それより、所長に連絡取ってよ」
「え? 所長に? 何か色々忙しそうだけどね~」
「それがどうしたのよ。彼女の私が用があるって言ってるの! あんたは言われたとおりにしていればいいんだから!」
「わ、わかったよクロイちゃ~ん」
フンッ! と不機嫌そうに鼻を鳴らす。そして親指の爪を噛みながら、
「見てなさい彼に頼んで、徹底的に追い込んでやるんだから」
と独りごちるクロイであった……。
◇◆◇
「ちょ、所長! これは一体どういうことですか!」
所長室に怒号と机を叩きつける音が響き渡る。声を発したのは、ミカのマネージャーも担当しているカオルであった。
そして彼の目の前では、難しい顔をした所長が一人頭を抱えている。
「そんな怒鳴るなよ。私だって、わけがわからないんだ。本当に、この事務所始まって二度目の危機だよ――」
ちなみに一度目の危機はマイが突然クラスメートと一緒にどこかへ消えてしまった時である。
あの時も、既に決まっていた仕事などは当然全てキャンセルとなってしまった。事故のようなものなので流石に違約金などは免れたが、事務所一番の稼ぎ頭がいなくなったことでその損失はかなりのものとなっていた。
それでも、カオルがマイだけに頼るわけにはいかないと新人育成に励んでいたのが幸いした。その上でマイが消えた後も方々へ営業を掛け仕事を取ってきてくれたおかげで、何とか持ちこたえているのである。
だが――
「演技指導や他にもお願いしていた先生方から一斉にキャンセルが入った……そればかりか、やっと仕事が増えてきた所属タレントが全員やめちゃうなんて――」
それはここに来て突然の事であった。おかげで、ミカを指導してくれる者は誰もいなくなってしまい、それどころか経営すら危ない状況だと所長は言う。
「一体、どうして突然辞めるだなんて……全員体調管理にも気を遣っていたんだが――」
「それなんだがね、君たちアケチエンターテインメントに何かした覚えはないかね?」
「え!?」
所長の口から飛び出た思いかげない名前にミカは驚きの声を上げる。
「そのアケチエンターテインメントがどうかしたのですか所長!」
「ちょ! カオル君、圧がすごいよ圧が!」
思わず所長に向けて身を乗り出すようにし問うカオルであり、所長もタジタジの様子だ。
「いや、キャンセルした先生も、辞めた皆も理由は話そうとしなかったんだが、今日知り合いの所長から連絡が来てね。もしかしてアケチエンターテインメントを怒らせるような事をしなかったかと、どうもうちの連中もそっちに引き抜かれたらしくてね……」
なんてことだ、と思わずカオルが言葉を漏らしていた。彼はミカとクロイの一件を彼女自身から聞いている。
仕方がないのでその事を所長に話して聞かせるカオルだが。
「なんてこった、やっぱりこのオーディションは止めておけばよかったんだ……」
結局所長の不安を煽り、ただでさえ薄くなってきている毛髪を更に薄くさせただけであった。
とにかく、今日はさすがに所長もこれ以上話せる状態ではないので部屋を退室。
カオルもこういった事態だけに色々と動き回る必要があるとのことで、とにかく気落ちせず、必ずいい手を見つけるから! と励まされ、ミカは家まで送ってもらった。
だが――それから三日ほど経っても、良い答えは聞けずじまいである。
ミカなりに姉であるマイがレッスンを受けていた時に録画した動画などを確認しながら自主練に励んだが――やはりそれだけでどうにかなるほど甘いものでなく……。
「やっぱり私じゃ無理だったのかな――」
あのクロイには絶対に負けたくなかったし、オーディションだって合格したかった。
だが、事務所が今後どうなるかもわからない上、指導してくれる先生もいない状況では――
(お姉ちゃん、ごめんね……)
そんな事を思いつつ、ついついウトウトと眠りについてしまったミカであり――
「ミカ、ミ~カ」
「え?」
誰かの呼ぶ声で瞼を開ける。いつの間にか寝てしまったのか、と思い出すミカであったが、ふと、今いる場所に現実感がないことに気がついた。
そして――
「ミカ、久しぶりだね」
「――え? え? えええぇえええぇええ! お姉ちゃん!?」
そう、ミカはこの現実感のない空間で、姉と久しぶりの再会を果たすのだった――