第四四四話 書類選考
「そろそろ返事をしないと失礼かな……」
日曜日の朝、新牧 美歌は寝ぼけ眼で、ぼ~、としながらも、お布団の上でそんな事を考えていた。
返事とは立木 薫から誘われている事務所への所属の件である。
修学旅行の途中、クラスごと姉の新牧 舞が消えるようにいなくなってしまった事もあり、その状況で姉を差し置いてとも考えたが、カオルの説得や母の助言もあって今はかなり心が揺れ動いている。
話を保留にしてから暫くたった。それがあってからはカオルは様子を見に来てはくれるが、ミカが今後どうするかについては触れないでいてくれている。
急かさずじっくりと考える時間を与えてくれているのかもしれない。
顔を洗い、歯磨きし、母の作ってくれた朝食を食べた後はノートパソコンを開いてみる。
かなり前に母が購入してくれたもので、今となっては型も大分古いタイプとなるが、インターネットにつないでWeb閲覧や動画鑑賞程度なら十分役に立った。
インターネットも光速回線だが、これは今となって日本中どこへいっても格安で提供してくれている。
以前はADSLや光ファイバーなど回線にも色々あったようだが、ある時突如発見されたAiki素粒子があらゆる分野に革命を起こした。ミカには詳しくは判らないが何でも人体に無害で完全クリーンな再生可能エネルギーとして役立っており、後にこれがIK革命として広く定着したようだ。
今のインターネットもこれのおかげで安価で光速な回線が提供されている。
ミカも今繋いでいるのはどこでもだれでもネットに接続できるAi-Fi接続である。プロトコルも当然のようにTCP/IKであり、aikiセキュリティもバッチリなため情報漏えいの心配もない。
足りない分を受け流すことで補うという画期的な技術が採用されている為、回線速度も安定しているのはやはり嬉しいところだろう。
そんなわけでミカは気になっていた芸能関係のニュースを見て回っていたのだが――
そこで彼女の目に飛び込んできたのは、姉であるマイが主演予定だったドラマについて、急遽新たな主演を決めるオーディションを開くという内容であり――
「私、あのオーディションをどうしても受けたいんです!」
以前の迷っていた表情から打って変わり、ミカは真剣な瞳でカオルに訴えた。
事務所の近くのカフェでとりあえず話を聞いていたカオルは、その真剣さに一度は目を丸くさせたがすぐに、フッ、と笑みをこぼし。
「あのニュースを見て、なんとなくだけど来てくれるんじゃないかなとは思ったよ。やっぱり他の誰かに取られるぐらいならという気持ちで?」
「……それも、全くないとは言いませんが、一番の理由は、原 紅爐伊さんのことがあってです……」
目を伏せ呻くように言う。カオルは、あぁ、と納得がいったように返した。
クロイに関してはカオルもあまり良いイメージをもっていなかった。
番組などでマイと一緒になることが良くあったがその度にちょっとした嫌がらせを受けていたからだ。この業界珍しいことではないが、クロイはねちっこく、それでいて証拠を隠す事には長けてもいた。
彼女が所属しているアケチエンターテインメントも中々の曲者だった。芸能事務所としてはまだまだ若いにも関わらず妙にあちらこちらに顔が利く。
何より偉そうだ。カオルが何度かアケチ側のマネージャーにクレームを入れたことがあったが、全く取り合ってはもらえなかった。
にも関わらず、クロイはインターネットでファンに向けて今回のオーディションへの参加を表明。いけしゃあしゃあと、親友だったマイちゃんの為にも一生懸命頑張ります、などと書き綴っていた。
マイが無事戻ってくるのも当然今でも待ってます、などと涙ながらに訴えた動画まで交えてた。とにかくあざとい。
きっとミカもそれが許せなかったのだろうとカオルは考える。この負けん気の強さはマイとも通じるものがあり、やはり姉妹だなと感じてしまう。
ただ――
「一応念のため確認だけど、うちの事務所に所属して最初に目指すのは、このオーディションに合格する事って事でいいんだね?」
「はい!」
「……その決意は固い?」
「勿論です。私、一生懸命やりますので」
そうか、とカオルは頷き、その足で事務所の所長と面談を済まさせた。カオルからも既にミカの話は説明していたので所属に関しては問題なく進んだ。
後日改めて母の新牧 鏡花を交えながら契約書を取り交わすこととなるだろう。
ただ、所属に関してはともかく、カオルは一旦ミカが退出した後、やはり所長に、オーディションの参加は本気か? と確認された。
所長も懸念を示している様子ではあったし、ミカにとっても様々な試練が待っているかもしれないが、それでも本人の意志を何より尊重させたいという事でオーディションへの参加は認めてもらった。
予定通り母を交えての契約書の取り交わしも終わり、いよいよオーディションに向けて動き出す事となる。
「今回のオーディション、かなりタイトなスケジュールで実行されることとなる。一次の書類選考からして二週間後に締め切り、三日後に発表だからね。その為か、書類と言ってもWeb参加が可能となっているからこれを上手く利用していきたいね」
カオルからの説明を受ける。履歴書もWebの特設フォームで作成できるようだ。ただ書類選考を通った後は、本人確認がなされるので虚偽での応募は勿論禁物だ。
ここで重要なのは添付するアピール映像だ。内容は問わず、自分が自信を持ってアピールできる物を撮って添付するようにとの事なのである。
ミカは何にすべきか迷ったが、やはり自分が自信を持てるのは演劇だろうと判断した。
かなりストレートだが、可能ならそれが一番だと思うとカオルも言ってくれた。
そこで部の皆にお願いし、協力してもらって演劇を一つこなした。
これに関しては学校側も協力的であり、改めてカオルはミカの人望と人間性に感服した。
自己紹介映像も含めて撮影し、いよいよ姉が演る予定だったドラマのオーディションへと応募し、ミカもカオルも母も部活の仲間たちも、合格できるよう祈り続けた――
◇◆◇
「か、監督ぅ~書類選考の結果、ここにおいておきますねぇ」
「あぁ、悪いな。それにしてもどうした? 顔色悪いぞ?」
「そりゃそうですよ……告知して二週間で締め切り、三日後に発表って――応募総数五〇〇万通ですよ。みんな禄に寝て無くて、スタッフも全員死にそうな顔してますし」
「そうか、苦労かけるな。まぁ、また全員に飯でも奢るから」
監督にそう言われても、助監督としてはため息しか出ない。尤も彼の無茶はわりといつもであり、こんな事は平常業務だ。
「あ、そういえば、本当にあの子、通してしまって良かったんですか?」
「……俺がいいと思ったんだ。問題ないだろ?」
「はぁ、でも例の彼女の妹さんですよね? 監督以外の選考員には懸念を持つ人も多かったようですが……」
「もし、妹というだけでそんな事を抜かしてるなら、そんな連中は選考員から筈せ。なんなら業界から追放しろ!」
監督が激しく机を叩く。かなり憤慨している様子だが、聞いていた助監督は、そんな無茶な、と苦笑いだ。
「大体こっちに懸念を示しておいて、こっちのクロイとかいうのは通すのだからな。揃いも揃って節穴か」
「ま、まぁでもクロイちゃんはまさに今が旬ですしね。そう考えれば……」
ギロリ、と睨まれ、助監督は顔をひきつらせ黙った。
「と、とにかくこれで、発表の準備進めますので~」
そして逃げるように助監督が去っていく。
それを認めた後、やれやれ、と嘆息する監督なのであった。