第四話 街へ
後ろからはピーチの静止の声が聞こえるが、ナガレは構わず歩みを始める。
その姿に――グレイトゴブリンの動きが止まった。
きっと、そのあまりのゆったりさに毒気を抜かれたのか、それともどういうつもりか? と疑問に思ったのか。
恐らくは背中を見ていたピーチも、え? と頭に疑問符を浮かばせていたかもしれない。
ナガレの歩法はそれぐらい遅く感じられるものであった。
ナガレの歩法は独特である。一見すると一歩一歩が非常にゆったりとしていて、まるで能をみているかのようですらあり、しかしそれでいて姿勢もよく、一つ一つの所作の美しさは見るものを魅了する。
ピーチはナガレを舞踏家と勘違いしていたが、まさにその動きは舞踏にも似た空気を感じさせるものだ。
だが、それはあまりに戦にはそぐわない――そう思えてならない程なのだが。
「!?」
グレイトゴブリンの顔が驚愕に染まった。
当然だろう。今の今まではっきりと視界に捉え、欠伸が出そうなほどゆったりとした動きで、どう捻り潰してやろうかとさえ思い始めていただろうに、しかし、気づいてみれば既に相手が目の前まで肉薄していたのである。
そう、ナガレの歩法は傍から見れば蝿が止まりそうなほどゆったりしているものだが、その実、刹那を超えた超刹那といえるほどの超高速の動きを顕現しているに過ぎない。
しかし、そのあまりの速さ故、見ているものには逆にゆったりとしているようなスローモーな動きに映るのだ。
あまりに速すぎるその所作は、眼球に一歩手前の動きを焼き付けているに過ぎない。
その遅れ故に来る差異、脳を揺らす誤差。
それを目の当たりしたものは、あまりに現実離れした現象に理性を崩壊させる。
それは人間でもゴブリンでも変わらない――結果、異質なるものを受け入れられなくなったグレイトゴブリンは、本能の赴くまま、一抹の疑念をも抱くことなく、手に持つ丸太をナガレに向けて振り下ろす。
しかし当然これはナガレにとって想定内。
迫る丸太をナガレは、一切避ける素振りも見せず、腕を振り上げ受け止めた。その瞬間ナガレの細身がまるでスポンジのように沈み込み、それに合わせて衝撃を全て大地に受け流した。
当然これによって、丸太のダメージの一切はナガレに残る事なく――大地に一度吸収された衝撃はナガレの足運びによって循環し、大地のパワーを上乗せしつつ足元から衝撃を跳ね返す。
ナガレはその衝撃を再び全身で受け止め、バネの如き勢いでグレイトゴブリンに向けて突き上げた。
この間、僅か一〇〇〇万分の一秒の出来事である。
「え?」
直後ピーチの疑問の声。当然だろう。何せ今まさにナガレに向けて丸太を振り下ろした魔物の姿が、視界から消え去ったのだ。
しかし、これとて実際は消えたのではない。神薙流合気柔術が奥義【地流天突】――これにより、一旦地に逃がした衝撃が、数千倍になって攻撃を仕掛けたグレイトゴブリンに跳ね返ったのである。
その結果、人の認識できる速度を凌駕する勢いで、グレイトゴブリンの身は上空一万メートルまで上昇し――そして、錐揉み回転をしながら地上に向けて落下を始めたのである。
しかし、恐らく体重千キロは軽くありそうな魔物である。
そんなものが一万メートル上空から落下してきては、その衝撃たるや凄まじいものになることは想像するに容易い。
しかし、そこは天才合気道家たるナガレである。
彼は戦いにおいて、余計なものまで巻き込むのは良しとしない男だ。
それは勿論この美しい自然だって同じである。
故に、この回転。高速回転して落下するゴブリンの身体には、周囲の大気がまるで綿飴のごとく巻きつき、内側へ内側へと集束していく。
その為、落下するグレイトゴブリンの身体の周りには厚い大気の層が形成され、その結果――大地に着弾後、その衝撃は内側へと流れる層によって吸収され、圧縮された力の波によってグレイトゴブリンの巨体が爆散する。
が、しかし、その肉片すら竜巻のように発生した大気の層によって阻まれ内側に集まり、外に飛散する事なくグレイトゴブリンの立っていた位置に見事積み重なっていった。
この間、ピーチが瞬きしてる間の出来事である――
◇◆◇
「ここまでくるともう意味がわからないわね」
はぁ~と何故か溜息まじりに述べる。
目を細め、これだけの偉業を成し遂げたナガレに何故か呆れ顔だ。
「う~ん、私としてはもう少し歯応えがあるかもと思っていたのですが、少々残念ですね」
「もしかして貴方、この変異種より危険だったりしない?」
事も無げに口にするナガレを危険生物扱いし始めたピーチ。
助けて貰っておいて酷い話だとも思えなくはないが、あまりにナガレの実力が規格外過ぎる為、一歩退いて見てしまうのは仕方のないことなのかもしれないだろう。
「まぁ少なくとも、私はわけもなく暴れたりしないのでご安心下さい」
ニッコリと微笑んで返答する。
ピーチの頬が紅潮した。
「ま、まぁ本当に危ないやつだったらそもそも私を助けたりしないもんね」
軽く顔を背け、一人納得するように言う。
どうやら化け物扱いは止めてくれたようだが、しかし少々チョロすぎるとも言えるだろう。
「ところで、これはこの後どう致しましょうか?」
ナガレは一応確認のため、グレイトゴブリンの肉片を指さし尋ねる。
すると、あぁ、と短く発し。
「ギルドに報告にいかないといけないから、討伐部位はもっていかないとね。後は魔核も持って行きたいけど……これ残ってるかしら?」
「大丈夫ですよ」
そう言ってナガレは、袖の中からグレイトゴブリンの魔核と討伐部位である片耳を取り出した。
こんな事もあろうかと爆散した時に抜き取っておいたのだ。
「へ~、気が効くわね。でもよくこれが判ったわね? 冒険者でもないのに」
壱を知り満を知るナガレなら当然である。
ちなみに討伐部位は、冒険者が魔物を討伐したことを証明するために必要となる部位の事である。
そして魔核に関しては魔道具の材料となるものであり、ギルドで買い取ってくれる形だ。
「なんとなく、どこかで聞いた事があったような気がしたので」
しかしそんな事をピーチに言ったところで理解して貰えるわけもないので、適当に誤魔化すナガレでもあった。
「じゃあ後は、ゴブリンの遺体からも魔核と耳を取って……といいたいところだけど、流石に量が多いわね。とりあえず取れるだけとっておくとしますか……」
言ってナガレと二人で元の場所に戻るが、その作業はあっという間にナガレがやってしまった。
例の如く見た目にはゆったりとした動きなのだが、実際は十秒も掛からずのことである。
「これで耳が三〇〇、魔核も三〇〇ですね」
「そうだけど……まぁいいわ。なんか考えるだけ無駄な気がしてきたし。取り敢えずこれに入れていきましょう」
ピーチが腰から巾着を取り外し、一箇所に固められた素材と部位に近づく。
「魔法の袋ですね」
「そう。これなら一〇〇kgまでは物が入るしね」
魔法の袋は、正に今手に入れようとしている魔物の核などを合成し作成された魔道具である。見た目は小さくても中々高性能だ。
しかも口を開けて念じると勝手に吸引してくれる優れものでもある。
「よっし、回収終わり。それじゃあ街に戻ろうと思うんだけどナガレもいい? どうせ冒険者になる気なら街に付いてきてもらったほうがいいし」
「はい、元々そのつもりでしたし、お付き合いしますよ」
ナガレはそのままピーチの後について歩く。
ピーチの話では、これから向かうのはハンマの街という名称のようだ。
ちなみに今ナガレがいるのはバール王国。サウズ大陸の中央に位置する国のようだ。
「ところでナガレ、ちょっと訊きたいんだけどいい?」
森を抜け、街道をでてからの道すがら、ピーチからの問いかけ。
それに、構いませんよ、と返すナガレだが――
「……もしかして、貴方どこかから召喚されたとかそんな感じだったりする?」
「いえ、召喚はされてないですね」
ナガレは迷うことなく返答する。
嘘を言っているつもりは毛頭ないからだ。
「そ、そっか。そうだよね~この王国じゃとっくに禁忌扱いだし。それはないよね」
「でもなぜ私がそうだと?」
「う~ん黒髪黒目は珍しいからね」
なるほど、と頷くナガレ。確かに若返った影響で今のナガレは若々しい見事なまでの黒髪である。
「それに変な格好だしね。でも杞憂だったかも~。黒髪黒目は珍しいけど過去の血筋で全くないわけじゃないからね」
この世界では、過去に何度か異世界からの召喚を試みたことがある。
それは、魔法の中でも特殊な時空門というタイプにあたり、それを行使することでこの世界と異世界との間に門を開き、他の世界の住人を召喚したのである。
しかしなぜそんな事をするのか? といった話ではあるが、これに関しては、異世界から召喚された者はこの世界では信じられないような強い力を保つ場合が多いから、ということであるが、これは正確に言えば地球の特に日本から来たものは能力に秀でているものが多かったようだ。
そして、そういった召喚者たちはかつては主に戦に利用されるような事が多かったようなのだが、しかしその結果余計な問題を抱えることが多く、また、召喚した人材を奴隷扱いにするなど人道に反する行為も少なくなかったため、今となっては禁忌扱いになっている、という事ではあるが――
(もしかしたら、あの時感じたあれは、それが関係している可能性もあるかもしれないですね)
ナガレはそんな事を思いつつも、取り敢えずは最初の街で冒険者登録することに淡い期待を抱くのであった。