第四一四話 とある妹の話
『――アイドルとして人気を博し、女優としても精力的に活動されてた新牧 舞さんが突如行方不明となってからもうすぐ九〇日目を迎えようとしております。ファンの間では――』
ふとつけたテレビでは、美歌の姉のニュースが流れていた。それを目にし、ぎゅっと口を真一文字に結んだ後、すぐにチャンネルを変える。
以前は、それでも暫くどこのチャンネルもこのニュースでもちきりであり、テレビをつけることすら阻まれた。
だが、最近はそれも落ち着いた。人の噂も七十五日というが、まさにそのとおりでありあれだけの人気になった姉、マイのニュースも殆ど聞かなくなった。
尤もそのおかげでどこで嗅ぎつけたか知らないが、マスコミ連中に家まで押しかけられることもなくなったが――
「ミカ、これテーブルまで運んでもらってもいいかな?」
「あ、うんごめんね、ママ、今やる」
朝食の支度をしていた母、新牧 鏡花の呼びかけに新牧 美歌が答えた。
台所ではエプロン姿のキョウカがサラダを器に盛りフライパンに溶き卵を流し入れるところだった。
フライパンの上で溶けたバターの匂いと甘い卵の匂いが絡み合い、ミカの鼻孔を付く。
ふとその背中を見る。今年で三七になる母だが身体のラインに崩れは乱れず、二十代としてもまだまだ通る程だ。
父は姉妹が幼いころに他界してしまい、母ひとり娘ふたりという状況でも弱音の一つも吐かずふたりを育ててくれた母だ。
きつね色のトーストとサラダを先ず運び、冷蔵庫から取り出した母特製の野菜ジュースをカップに注いだ。
そして卵焼きも食卓に並ぶ。椅子に座り親子で一緒に朝食を摂る。
食べ慣れた味だが、やはり母の作る卵焼きの味はどことなくほっとする優しい味だ。ほんのり甘く、ふんわりと柔らかい。
ミカは何度か自分でも作ってみたが、中々母と同じようにはいかなかった。
もしかしたら不器用なのかもしれないと、ちょっぴりへこんだこともあるが、姉のマイはぽんぽんっと頭を叩いて美味しいよと言ってくれた。
マイは優しい姉だった。明るい姉だった。芸能人として活動するようになってどれだけ忙しくなっても家には必ず帰ってきて笑顔を見せる自慢の姉だった。
だが、朝食を囲むテーブルにも、夕食を囲むテーブルにも、今はその姉の姿がない――
「本日のゲストは現在人気沸騰中の原 紅爐伊さんで~す」
ふと、画面の中でキャスターが明るい声を発す。歓声と拍手が沸き起こった。
朝の情報番組では時折こういったゲストが呼ばれる事がある。
黒髪をツインテールにしたいかにもといった様相の女の子が奥からスタジオに顔を見せた。
周囲からきゃーきゃーと持て囃す声が聞こえてくる。
「最近この子よく見るわね。凄く人気みたい、やっぱり可愛いものね」
「……私、この人あまり好きじゃない。それに、お姉ちゃんの方が綺麗だよ」
ふとミカが気持ちを吐露する。彼女はこのクロイという少女が嫌いだった。
勿論それにはそれ相応の理由がある。
「――クロイさんは今度公開されるスペースバトルニンジャシップ ガチャットにメインヒロインとして抜擢されたという事で――」
「はい! 私には大役すぎて~上手く出来るか心配だったんですけど~現場のスタッフも監督さんも~」
なんともあざとい喋り方で媚びを売るクロイ。ミカは思わず不機嫌そうに眉をしかめ。
「……本当はこの役、お姉ちゃんがやる予定だったのに――」
そう愚痴を零した。ミカがクロイを嫌いな理由はそこにあった。姉のマイが行方不明になり暫くして当然決まっていた仕事の多くは降板を余儀なくされたわけだが、まるでそれを狙っていたかのように代役をこのクロイという女が尽く引き受けていった。
「――仕方ないわよ。こういうお仕事だし、事情が事情だからね。役が変わってしまうのを私達がとやかく言う権利なんてないもの」
「それは、そうだけど……でも――」
釈然としない。それにこのクロイという女はネット上での発言でも言葉の節々にマイよりも自分の方が上だと思われるようなニュアンスが混じっている。
それにマイがまだ行方不明になる前、姉は台本が無くなっていたり、小道具が入れ替えられていたりといった事があったと冗談交じりに言っていたことがあった。
そしてそういった事があった現場には必ずこのクロイという女が共演していた。
マイは恨み言一つ漏らすことはなかったが、今回の件でミカは確信していた。
当時姉に嫌がらせをしていたのもこの人に間違いないと。
だからこそ、悔しい――そんな女が尽く姉であるマイに決まっていた仕事をかっさらっていくのが。
クロイは事務所を変えてから随分と大きな仕事を取れるようになっているように思える。
移った先のアケチエンターテインメントは芸能事務所の中では新参の方であるにも関わらず大きな仕事を次々と取っている新進気鋭の事務所と持て囃される一方で、ネットなどではかなり強引なやりくちであったり、所属タレントのゴリ押しが酷いなどといった悪評も多い事務所である。
そういった点もより不快感を増す要因になっているのだろう。
そんな事務所の、しかも姉に嫌がらせをしていたと思われるクロイが人気になっているのがミカはとても悔しかった。
「……お姉ちゃん、もう帰ってこないのかな――」
思わず、弱気な声が漏れた。きっと無事だと信じたいけど、それでもこれだけの時間何の音沙汰もないと不安は募るばかりだ。
「こ~ら」
「ふにょ!?」
ふと、キョウカがミカの両頬を引っ張る。そして包み込むような笑顔を見せた。
母ながら綺麗だなと思った。温かいと思った。
「もう、私達が信じてあげなくてどうするのよ? 大丈夫、絶対にマイは帰ってきます。だから、信じよ?」
「……うん」
ミカはいつも母に励まされる。思えば母はいつもマイやミカのことを思ってくれていた。
見目の良い母だ。再婚相手のひとりやふたり現れてもおかしくない程であり、以前はマイもミカもいい人が現れたら遠慮なんてしなくていいからね、と冗談っぽく言ってみたことだってある。
だけど母は、私には大事なマイとミカがいるからと笑顔で返してくれた。
何より娘を大事に思ってくれる母だ。マイが芸能事務所にスカウトされた時も、相手の熱意から信頼できる事務所と判断し、レッスン料などを必死に捻出していた母だ。
それなのに売れ始めてからマイが家に入れてくれるお金には一切手を付けず、娘の将来のためにと貯金してきた母だ。
そんな母が、マイの事が心配してないわけがない。
ミカは知っている、娘には決して涙は見せないが、夜中姉を心配するあまり思わず枕を涙で濡らしていたことを。
それでもミカには心配かけまいといつもどおりの母でいてくれている。
だから、ミカだってうじうじ弱音ばかりは吐いていられない。
「……うん、そうだね。きっとお姉ちゃんは今も元気で、また笑顔をみせてくれるよ」
ミカも笑顔を見せ、母の手料理を食べた。家は母と一緒に出る。昭和の時代に建てられたという築百年を越す木造アパートも、住み続けると味わい深く感じられる。
行ってきますと告げ母と別れた。母も昼は家庭を支えるために仕事に出ている。
決して裕福ではないが、幸せな家庭だ。後は姉さえ戻ってくれば、とやはりミカは考えてしまうが、今はただ信じる他ない。
◇◆◇
「あ! ミカちゃんだ!」
「ミカちゃん可愛い! 頑張って~」
「やっぱ動画で見るより実物の方が可愛いでありますなぁ」
「萌え~であります」
『こら! また勝手に、ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ!』
顧問の怒鳴り声が鳴り響くと、いつの間にか見学に来ていた関係ない男たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「はぁ、本当いやよね。なんなのあれ?」
「スマホとか向けてきてたし、本当キモい!」
「あ、あはははははっ……」
同じ部員の女子の文句に苦笑するミカである。
ミカは中学では演劇部に所属していた。その中でも特にミカは一年の時から期待されていた部員であり、今も部長として後輩の指導に当たっていたりする。
「あ、あの先輩、ご、ごめんなさい本当に!」
すると、一年の後輩が頭を下げてきた。
「そんな、別に私は気にしてないから、もう謝らないで」
しかしミカは慌てて後輩に告げた。
彼女たちも別に悪気があったわけではない。迂闊だったなとは思うがそのことをネチネチ言うようでは先輩としても部長としても失格だろう。
「はい、余計な邪魔が入ったけどみんな集まって~それと見学者はあまり騒がない! 練習の邪魔になるようならすぐに出ていってもらいますよ!」
顧問の教師が声を張り上げた。部外者はその勝ち気な鶴の一声で逃げていったが、同じ学校の生徒を無理やり追い出すというわけにもいかない。
今はあまりキツいことを言うと何かとうるさい時代だ。教師も生徒との距離感に四苦八苦している。
「三年生最後の大会となりました神楽演劇祭中学の部では部員一丸となった努力が実り団体では最優秀神楽賞を、個人においてもミカさんが舞姫の称号を獲得いたしました」
部員たちから拍手が起こる。ミカは照れくさそうにはにかみつつ、ありがとうございます、と応じた。
神楽演劇祭は地方で行われる演劇祭の一つだが、格式が高く、全国大会レベルの実力者も遠方からわざわざやってきて参加する。
そこで団体で賞を取り、更にミカに関しては栄誉ある舞姫の称号まで与えられたのだから学校側としてもとても名誉ある事である。
「今年は全国中学演劇コンクールにおいても金賞を受賞、そこでもミカさんが個人演技賞を受賞されました。とても栄誉あることでありますが、だからといって自惚れては行けません。三年生は今年で卒業その後は――」
顧問の話は続く。そう、ミカも三年、もう後少し立てば部にも顔をだすことがなくなる。
大会もない今、残されたことは後輩の指導だけなのだが――チラリと見るとやはりまだ見学者は多かった。
一見すると大会で好成績を収めた演劇部を見に来てると思えそうだが実際の事情は少々異なる。
注目されているのはミカであった。別に自惚れているわけでもなく、部員の多くもそれはわかっていること。
特に後輩はそれを一番よく理解している。何故ならことの発端は、後輩の一人が全国大会での演技を動画に残していたから。
先程ミカに後輩が謝っていたのもそれがあるからに他ならない。
録画は特にミカを中心に――しかもそれをネット上にアップしてしまい、途端にこの子、つまりミカが凄いという話がネットで拡散され、本人の思いもよらないところでファンを名乗る人が増えてしまったのである。
勿論これは学校側も問題があるとし、動画をアップした後輩から聞き取りも行ったが、彼女たちには悪気がなく、ただミカの演技を見て感動し、それをネットでアップすることで少しでも多くの人に見てもらいたいと考え、あまり深く考えずにアップしてしまったという事であった。
とうの本人たちは当然ミカに対する嫌がらせなどではなく、むしろ感動のあまりついやってしまったといった事なので処罰もしにくい、
勿論それを聞いたミカも、本人たちはよかれと思ってやったことであるし今後の部を支える後輩という事もあり、許しあげて欲しいと嘆願した。
その事も有り、その後輩は結局厳重注意程度で事なきを得た。
ただ、その結果、こういった見学者が増えたのも事実であり、さっきのような部外者までも時折やってくるようになってしまった。
こうなると自分はもう部に顔を出さないほうがいいのではないか? と思ったりもするが、慣例となっている卒業生による演劇だけは関わっておきたいという思いもある。
そして、顧問の話も終わり、練習が始まった。
結局後輩の指導にも身が入り、練習が終わった頃には既に夜の8時をまわってしまっていた。
「ミカちゃん――」
練習も終了し着替えを終え部のみんなと校門をでたところで、ミカは一人の男性に声を掛けられた。
その姿に、思わずため息が溢れる。だが部の仲間も一緒に出てきてくれたと言うのに、何故か彼の姿を見て妙な笑みを浮かべ、頑張ってねと言い残し先に帰ってしまった。
こんなことで変な気は回さないで欲しいと思うミカでもある。
「部活の練習? 三年なのに大変だねこんなに夜遅くまで」
「はい、大会は終わりましたけどまだ一つイベントが残ってますし、それに後輩の指導もありますから」
「そっか……でも、この時間に家まで一人は危ないよ? 送ってあげるから乗りなよ」
そういって助手席のドアを開ける。ミカには彼が好意で言ってくれていることは判っているが。
「いえ、大丈夫ですよ。一人で帰れますから」
「でも、ほら――」
お断りを入れるミカであったが、男が指をさすとその方向には例の部外者の男たちが二人のことを覗いていた。
お前たちいい加減にしておけよ、と彼が声を掛けると、何なんだよあいつ! やら、僕達のミカたんに、なんてことをなどとブツブツ言いながら去っていったが、ミカの背中には怖気が走っていた。
「……あんな連中がまだまだいたりするから心配なんだよ。もし君にまで何かあったらマイやお母さんに申し訳がたたない」
「……立木さんがそこまで気にすることはありませんよ」
「何言ってるの、マネージャーとしてマイの家族を見守るのも僕の役目さ。ほら、乗って乗って」
ミカは、やれやれと嘆息しながらも、結局促されるまま彼、姉であるマイのマネージャーをしていた立木 薫の車に乗るのだった――




