幕間④ シギッサの本性
「今日はちょっと早く上がるから後はよろしくね」
マリーンが今日の分の仕事を終え、チェックも終わった段階で皆に向けて告げた。
基本的に早く上がるのは珍しいマリーンだが、忙しい時は進んで残業も厭わない生真面目さもあって、こう言う時はわりとすんなり受け入れてもらえる。
「判りました~今日はいつもより余裕ありますし大丈夫ですよ~」
「うん、ありがとうね。だから大好き」
キュッと後ろから同僚を抱きしめつつ、マリーンが囁く。女性同士のこういった触れ合いは微笑ましくもあり、同時に悩ましくもある。
「あぁ、そういえばマリーンは丁度明日も休みなのよね。それじゃあゆっくりしてくるといいわ」
「ええ、御言葉に甘えて。まぁ、ゆっくり出来るかはわからないけどね」
そしてもう一人の同僚にはそう答える。それには理由があったわけだが――
「先輩、先に帰っちゃうんですか? 僕寂しいな~」
すると、そんなマリーンに声を掛けてきたのは自称後輩受付、シギッサである。
「……今日は予定があるからね。それに前から話には出していたし」
「知っていますよ。弟さんに会いにエルフの森へ向かうのですよね? 羨ましいなぁ。何せあの森に立ち入れるのはギルド職員の中でもマリーンさんだけなようですし。でも、本当に羨ましいな。僕もご迷惑は掛けませんから良ければ一緒に連れて行ってくれませんか?」
マリーンはこれみよがしにため息で返す。他の受付嬢などはあまり気にしていないが、彼がこれを言うのは初めてではない。
どうもシギッサはエルフの森、と、いうよりは戦闘民族のエルフに随分と興味があるようで、それで何度か声を掛けられているのである。
正直、しつこいと言われるほど多いわけでもないが、手の空いた隙を見てはその話をしてくるのでマリーンとしては辟易しているところだ。
それに、マリーンに関して言えば彼に気を許してはいない。以前に不自然に襲われたことや、そこにタイミングよく駆けつけたことなど、偶然にしては奇妙な点が多いからだ。
「貴方は仕事があるでしょう。それに、エルフの森は行きたいからと言って、はいそうですかというわけにはいかないの。だから何度も言っているけど諦めて」
現在、エルフの森の周辺ではナガレの提案した水田による稲作や、他にもそば栽培や茶園など、今まで見向きもされなかった在来種に改良を加え生み出された新たな作物が栽培され農業に目覚めたオーク達の徹底管理の下、大切に育てられている。
ただ、これらの品種について、早い段階で情報が外に漏れてしまうと良からぬことを考えた輩がそれを目当てにやってこないとも限らない。
その為、基本的にはエルフ達が確保した畑作スペースより一定範囲内は立入禁止とし、更にエルフの精霊魔法によって外からも農作業の様子が見えないよう工夫されている。
同時に、オークの見た目がこれまでの認識と大きく異る点や、そもそも戦闘民族のエルフが珍しいということもあり、あまり自由に出入りが可能な環境では、無用なトラブルを生む事に繋がりかねない。
その為、エルフの森に関していえば、ナガレの推薦もあり、エルマールと面識があったマリーンや、水車作りに協力してくれたスチール、それに薬師であるエルミールなど一部の者を覗いては現状は立ち入りに制限が掛かっている。
尤も、ナガレの仲間や、そもそもナガレが認めた相手に関しては何の問題もなく立ち入ることが可能だったりするが、そういった点で考えれば、当然シギッサのような男は、例えギルド職員であってもエルフの森に同行させるわけにはいかないのである。
「――やっぱり駄目ですか~エルフの森にもついていけず、食事にもお供させて貰えず僕悲しいです、グスン」
「あ~泣かないでシギッサきゅん! 食事なら今度私が一緒に行ってあげるから~」
他の受付嬢が甘えた声でシギッサを慰める姿に、呆れ顔を見せるマリーン。
とは言え、これ以上余計な話をされないよう、
「それじゃあ、明日は休みになるけど、後はよろしくお願いね」
と言い残し、マリーンはギルドを後にした。
「……先輩、行っちゃいましたか」
「ええ、その分私達も仕事頑張ろうね!」
シギッサがボソリと呟く。すると、マリーンの同僚の受付嬢が自らをも鼓舞するように張り切った声を上げるが。
「……それが、申し訳ありません。実は僕もこれからどうしても抜けなければいけない用事が出来て――なので僕も早退させて頂きます。明日もお休みをいただきますので」
『――え?』
受付嬢を含め、全員がシギッサに顔を向け、目を丸くさせる。マリーンと違い、彼の発言はあまりに唐突過ぎた。
本来なら認められるものではないが――
「皆さん、構いませんよね?」
コテンと首を傾けつつ、全員をその眼でしっかりと捉え問いかける。
「え? あ、ああ、そうだな」
「まぁ、仕方ないわよね」
「シギッサきゅんの為なら、私頑張るね!」
すると、彼の希望は意外にもあっさりと受け入れられた。
「それではお先に失礼いたしますね~」
そして皆にそう言い残し、マリーンが出てそれほどの間を置かず、シギッサもギルドを後にする。
そこから暫く歩き、見せる彼の表情はいつもの人当たりのよいものとは全く別物な、腹黒なものであった。
「ふふっ、出来れば手荒い真似は避けたかったけど、仕方ないね。貴方が悪いのですよ先輩――」
そしてそんな彼の周囲には、いつの間にか屈強な男達が集まり、シギッサと行動を共にしていた――
◇◆◇
「ふぅ、それにしてもこの森は相変わらず密度の濃い場所が多いわね」
息をリズミカルに吐き出しつつ、愚痴るようにマリーンが言った。今彼女はエルフの森を歩いている。目的地は勿論、長のいる集落だ。
ただ、元々が隠れ集落のような場所だった為か、森にはこれといった道らしい道はない。あっても精々エルフが巡回するために踏みならしたものや獣道程度である。
尤もマリーンも記憶力には自信がある。既にエルフの集落までの道も何度も往復しているため、迷いようもない。
だが、今日に関して言えば、いつもとは異なる迂回ルートを彼女は突き進んでいた。
そのためか、やはり道はいつもより更に険しく――とは言え幹の太い大樹が堂々と立ち続けている場所にマリーンは出た。
そこは密度の濃い森のなかで散見される開かれた空間の一つだ。
視界も途中の道よりは良く――ちょっとしたトラブルにはこういった場所のほうが対処しやすい。
「いい加減、コソコソつけまわるのは止めたらどう?」
そしてマリーンはつぶさに顔を振りながら睥睨し、尾行を続けていた相手に訴えた。
「ふ~ん、流石先輩。本当、受付嬢にしておくには勿体無いですね」
すると、先ずマリーンの正面に例の後輩、つまりシギッサが姿を見せ、相変わらずの胡散臭い笑みを浮かべてそんな事を言ってきた。
「――やっぱり、貴方だったのね」
「ええ、ですが、僕だけじゃない。何せ先輩は、よくモテますからね」
ふふっ、とほくそ笑み、シギッサが目配せすると、藪の中から今度は四人の男達が姿を見せ、シギッサの周囲に並ぶ。
「な!? 貴方達確か、冒険者の……」
「えぇ、Cランク冒険者の四人です。この連中、どうやら貴方の事が好きなようでね。日頃から先輩の事を夢想して、色々利用していたみたいですよ? 気持ち悪いですよねぇ」
あははっ、と笑いながら彼らについてシギッサが説明した。
確かに、マリーンにとって気分のいい話ではないが、彼女とて日頃からカウンターに立ち冒険者の相手をしている身。自惚れではないにしても、そういう事に利用する輩がいたとしても不思議ではないと思っている。
だが、思うだけならまだ良い。しかし、この状況は――
「貴方達、判ってるの? 受付嬢を狙うだなんて、ギルドに知れたらただじゃすまないわよ。例え未遂で終わったとしても報告が行けば、冒険者の資格は剥奪されて、二度と冒険者になれることはないわ。それでもいいわけ? 一体何を言われたか判らないけど、今ならまだ引き返せるわよ?」
それはつまり、マリーンもここで引き返すなら見逃すという意味でもある。尤もだからと言って本当に何も報告しないというわけにはいかないが、今反省するのであればまだ処罰は軽くて済む。
それでも甘いように思えるかもしれないが、マリーンとしては彼らが自分の意志だけでここまで大それた真似ができるとはとても思えない。
きっとこの男の口車にでも乗せられたのだろうと考えるが。
「う、るさい、黙れ」
「俺たち、お前が、好きだった」
「抱きたかった」
「犯したかった、ずっと」
『だから、犯る!』
彼らの答えに、くっ、と悔しそうにマリーンが歯牙を噛みしめる。
その様子を愉快そうに眺めているシギッサであり。
「ははっ、君がいくら言っても無駄さ。この四人は僕が止めないと止まらないよ? だから、君に選択肢を与えよう。僕をエルフの長の前に連れて行け。そして引き合わせろ、出来ればふたりきりになれるようににな。そうすれば痛い目を見ずに済むよ?」
「……なるほど。呆れたものね、わざわざギルドの受付として正体を隠し続けていたのに、ちょっと自分の思い通りに行かないからって実力行使に出るなんて。こんなの、三流の仕事よ。そして、当然答えはノーよ!」
マリーンははっきりと指をさし言いのける。
すると、ははっ、と再び笑みを零し。
「うん、そうだよ。先輩はそうでないと。だって、僕は君のような美人で小生意気な女を汚すのが大好きなんだから。だからお仕置きだ、さぁ、いい声で鳴いてくれよ?」
そして、お前たちの好きなようにしろ、とシギッサが述べると同時に、興奮した雄共が動き出す――