第三八三話 セワスールの誤算
(これは弱りましたな――)
セワスールは一人頭を抱えていた。あの古代迷宮でハラグライを打ち倒した後は、流石に忍びなかったので遺体は迷宮の外に運び出し、魔獣の森に鞭と一緒に埋めてやったりもしたのだが。
その際、手に入れたギネンの手帳を手掛かりに、色々と調べ回るも、かなりの証拠はつかむことが出来たのだが、それらの全てはハラグライが基本一人で行ったことであり、肝心のアクドルクとの接点が見つからない。
あの煙を発生させる魔導具にしても、やはり発注者はハラグライであり、アクドルクではなかった。
後は薬の線から当たってみたが、そちらに関しては全てを調べるにはあまりに時間がなさすぎる。それに例え調べたとしても、ハラグライは変装が使える。アクドルク本人が話していたという証言が得られたとしても、それは変装だったと言われてしまえばそれまでだ。
それを崩すためにはアクドルクの動きから矛盾をつくしかないわけだが、あの後、アクドルクのこれまでの動きというのを当たってみたのだが、それを調べる限り、表立っての行動スケジュールは全てがアクドルクが今回の件と無関係であると言えるだけの証拠にしかならないと証明されてしまった。
今回の件はナリア、ナリヤ、それにロウやその仲間達も協力してくれている。
あれから三人は城には戻っていないし、またハラグライほどではないにしても簡単な変装程度はして動き回っている。
だからこそ幽霊のナリアの存在は大きかったとも言える。彼女であれば誰にも見つからず城へと潜り込める。
その結果、裏帳簿も見つけることが出来た。だが、それでも決め手となるものに欠けているのが実状である。
なぜならその帳簿にしてもつけていたのはハラグライであり、お金も全てハラグライが自分の物として銀行に預けていたからである。
これでは証明できるのはハラグライが行ったという罪だけだ。アクドルクまで手が届かない。
唯一の救いとしては――どうやら審議官がアクドルクの下にやってくるのが三、四日遅れるらしいという話が出たぐらいであるが、しかしその時間的猶予すらも段々と消化されつつある。
(いかんいかんこれでは――)
セワスールは一旦頭を振る。観念奔逸の状態に陥ってしまっていた。気持ちを落ち着かせなければいけない。
今セワスールは単身調査の為に東奔西走し、再びイストブレイスに戻ってきたところだ。ここのところ禄に寝てもいないので自分自身でも疲れが溜まっている事が判る。
一旦気持ちを落ち着かせようと、カフェに入った。席につき、眠気覚ましのコーヒーを頼む。
そしてウェイトレスがコーヒーの入ったカップをテーブルに置き、セワスールはお礼を述べてカップを口に運ぶ。
「あ、私も同じくコーヒーでお願いいたしますねウェイトレスさん」
「ブフォオォォオオ!」
しかし、思わずセワスールが含んだコーヒーを吹き出した。折角の眠気覚ましが盛大にテーブルにぶちまけられてしまう。
その様子に、おやおや、といつの間にかテーブルを挟んだ対面に座っていた男が声を漏らした。
「大丈夫ですか? 慌ててはいけませんよ、気管に入ってしまいます」
「いやいやいや! 誰ですか貴方は!」
大慌てて誰何する。何せセワスールはこの男に見覚えがない。しかもその斜め後ろには蒼髪の美しい女性が立っていた。
彼女も彼同様、今の今まで目の前の席にはいなかった筈の相手である。
そして男の方は、灰色の髪で片目を隠した、妙に癖のありそうな男である。その瞳は紫瞳で四白眼。どこか常に相手を観察しているような目つきが特徴的だ。
「相席はいけませんでしたか?」
「いや、他にも席は空いてますよね?」
訝しげに問う。確かにそこそこ席は埋まっているとは言え、空席もあるのであえて相席をする必要もない。
「ああ、もうしおくれましたけどね、僕はリーズ、こっちの彼女はフリージアです」
「え? あ、はいこれはどうも」
しかしセワスールの問いかけなど軽く流し、男は自分の名と後ろで控えている彼女の名を告げた。
セワスールも性格柄、ついつい頭を下げてしまうが。
「いや、そうではなくてですね……」
「ところで随分とお疲れのようですねぇセワスール卿」
しかし、いいかけた言葉がそこで止まった。なぜならセワスールにとって初対面の筈の男、このリーズがまだこちらから名前も告げていないのにそれを知っていたからである。
しかも簡易的とはいえ今のセワスールは鎧も脱いでいるし簡単な変装もしている。眼鏡もつけていつもの肉体派から頭脳派に見事になりすましているつもりなのだ。
そこでセワスールが真っ先に思いつくのは、この男がアクドルクの関係者である可能性だ。
セワスールも協力している仲間達も目立たないように行動していたつもりだが、ハラグライが姿を消してから既に数日が過ぎている。
何かしら不信感を抱いても当然おかしくはない。これまではアクドルクもおかしいと思いながらも所用で出ているということにしていたようだが――
しかしハラグライが戻ってこない以上、アクドルクがセワスールが何かしら動いているのかもしれないと考えるのはおかしいことではない。
何せ手帳の事はアクドルクとて知っている筈なのだから。
だが、そんなセワスールの不安を払拭するようにリーズが、大丈夫ですよ、と語りやってきたコーヒを一口啜る。
「僕は敵じゃありませんからね。むしろ貴方にちょっとした贈り物を届けに来たのです」
敵じゃない――そんな台詞を言われたからと、はいそうですか、と信じられるほどセワスールはお人好しではないが、ただ、この男にはどことなく狡猾さのような物が感じられる。
それは必ずしも悪い意味ではなく、むしろあのアクドルクがどうにかできる程度でないことを暗に示していた。
「――何者かは存じませんが、贈り物というと?」
なのでセワスールは先ずそこから確認する事にした。この男が一体何の目的で近づいてきたのか、とりあえずはそれを見てから判断してみようと考えたのだろうが。
「はいそうですね。と、その前に一つよろしいですか?」
「はい? なんでしょうか?」
「その眼鏡、全く似合ってませんよ。何か無理して変装している感じがして、逆に怪しいです」
「な!?」
セワスールは驚愕した。まさか、完璧な頭脳派になりすましたつもりだったのに、あっさりと否定されてしまうとは――大きな体が思わず小さくなる。
「それはそれとして、贈り物は、はい、こちらですよ――」
だが男は、そんなセワスールに構うこと無く話を続けた。
そして何故か妙に不敵そうな笑みを遺しつつ、灰色のマントを広げ、着衣しているマントと同色のローブから、丸まった用紙を取り出してみせる。
それは純白の紙であった。現在この大陸では魔物の皮などを材料にした紙が広く使われているが、それも色合いとしては羊皮紙よりも多少は白に近いが、ここまで鮮やかな白色ではない。
一体材料に何が使われているのか? と不思議にも思うセワスールだが、纏めている紐を解き中身を見て更に驚いた。
「こ、これは――貴方が何故これを? これは本物なのですか!?」
「う~ん、本物と言われると少々微妙ですかね。ただ、元の紙をそのまま魔導コピー機というもので複写したものなので、証拠品としては問題ないことは保証いたしますよ」
その意味が全て理解できたわけではないが、これが証拠品として使えるというのであれば、アクドルクを追い詰めるのに役立つとセワスールは確信した。
「ふふっ、かなり役立つと踏んでくれているようですね。ですが、それだけではまだアクドルクを追い詰めきれるとは限りませんよ。もうひと押しほしいところでしょうな」
え? と、セワスールが改めてリーズを見やる。
「あ、貴方は一体?」
「ふふっ、それは今はまだ、ただ、先程もいいましたが貴方の敵ではありませんよ」
そういってコーヒーを啜る。決して油断ならない相手ではありそうだが、しかし話を聞くに彼もまたアクドルクをどうにかしたいと考えている者の一人なようだ。
そうなると、彼女は? と蒼髪の女性をみやる。蒼いローブ姿で、改めて見ると酷く冷たい瞳をした美少女だ。先程からみていると感情の起伏が乏しそうだが――
「……あまりこっちを見るな。観察されるのは嫌いだ。凍らすぞ?」
凍てつくような目でそう言い切られた。全身を氷の刃で切り刻まれたような感覚がセワスールを襲う。
この子は、強い――セワスールは背中から自然と汗が滲み出るのを感じた。
そして悟った。自分より遥かに幼いこの少女の方が、騎士の自分の力など遥かに凌駕していると。
「おやおや、気をつけてくださいね。彼女、こう見えてかなり強いですから。それに、男性に見られるのはあまり好きではないみたいなんですよ。本当、気に入らないとすぐ氷漬けにしちゃいますからね~」
クスクスと笑いながら述べる。その説明に間違いがないのは、いつの間にかパキパキに凍りついていたリーズのコーヒーカップを見て判った。
「あ! まだ飲みきってないのに! ちょっとフリージア、酷いじゃないですか~」
「……何か、鬱陶しく思ってつい」
「酷い! あのですね~一応護衛として来てもらってるんですから、あ、はいすみません――」
ギロリと睨まれてリーズの肩が萎んだ。とはいえ、彼女ほどの者が護衛ということは、もしかしたらこのリーズという男、それなりの立場にいる男なのかもしれない。
「さて、つい余計な事まで話してしまいましたが、実は贈り物はまだあるのです。ただ、それを役立てるにはあるものが必要です」
セワスールは、ここまでくるとこのリーズという男の話には一旦乗っておいた方が正解だなと考える。
なので彼に尋ねた。
「それで、そのあるものとは?」
「はい、それはハラグライの遺体です――」