第三八二話 皇帝、最後の時
「しかし皇帝陛下、ここを離れた後はどうなされるおつもりで?」
「ふん、少々癪ではあるがな、北の辺境伯の下に向かう。そして反乱軍を討つ兵を用意してもらうのだ」
「北の――しかし父上、北の辺境伯といえば、あのタイガー将軍ですよね? 果たして話を聞いてくれるでしょうか……」
ギースの息子が不安そうな顔を見せた。北の辺境伯であるタイガー将軍は皇帝が唯一手を焼いていた男である。
一騎当千を誇る圧倒的な武力が自慢の男でもあり、将軍率いるタイガー騎士団には帝国騎士が百人がかりでも勝てないような強者達がごろごろと属している。
それ故か、総兵力は帝国騎士団より遥かに少ないものの、総合的武力であれば決して油断は出来ない相手、というのがギースの考えだ。
しかもこの男は皇帝を皇帝ともおもっておらず、各地の領主に召集令を出しても気分が乗らなければ顔も出さないという不敬ぶり。
しかし、それでもこの場所の領地としての重要度は高い。故に皇帝も強くは出れなかったわけだが――
しかし、今この状況においていえば、帝都の騎士団にも引けを取らないその武力はあまりに魅力的だ。
「問題はない。それこそお前の娘であるウルナの出番だ。結局アケチとは何もなかったのであろう? つまり少なくとも体は綺麗なままであろう?」
「はい、勿論でございます。今となってはそれだけがこの愚かな娘の唯一の取り柄ですから」
母親がギースに答えると、ウルナは至極悲しい顔を見せた。
「そうか、ならばいい。あのタイガーは好色な漢でな。特に若い生娘には目がない。このウルナを差し出しておけば上機嫌で話を聞いてくれるだろう。まあ、あれは野獣のような男だからな、そいつが持つか判らんが」
「父上、例えそれで死のうがウルナはきっと本望ですよ」
「ええ、どうせ男を楽しませるぐらいにしが使い物にならない馬鹿な娘です。いくらでも道具としてお使いください」
「そんな、本気で、本気で申されているのですか?」
消え入るような声でウルナが問う。だが、そんな彼女を見る瞳は、両親も祖父であるギースも、穢らわしい物をみているかのようなソレであった。
「まさか、まだ楯突こうというのか? アケチを籠絡させることも出来ず、民のためなどと愚かな事を宣っておきながら、こうまで頭が悪いとはな。見ているだけで吐き気がしそうだ」
「全く誰に似たのか」
「誰でもありませんわ。きっと頭に虫が湧いたまま育ってしまったのでしょう。あ~嫌だ嫌だ、そう思うとこの牝豚ときたら臭くて臭くてたまりませんわ。全くお前のような汚物が、こうやって一緒に逃げるのを許されただけでも感謝するのですね」
「全くだ、本来ならあの場に置き去りにされて、暴徒と化した愚民どもの慰みものにされるのが落ちだっただろうに」
「ふん、それはそれでこの汚物にはぴったりかもしれんがな」
大声で笑いながら、隠し通路の先にある横穴を進み続ける皇帝達である。
ウルナは涙を流しながら歩いた。
だが、そんな彼女を心配そうに見つめている騎士の姿があった事に、皇帝達は気がついておらず――
「おお出口だ! 無事に抜け出ることが出来たぞ!」
「父上、あとはこのまま北のタイガー将軍の下へ向かえば――」
「ところがそううまくは行きません」
喜び勇んで洞窟の外へと飛び出たギース達。だが、その瞬間彼らが目にしたのは――前方を塞ぐ多くの兵と、反乱軍の旗頭である、アルドフの姿であった。
「な、な、なんだ、と? 馬鹿な! なんだこれは! 一体なんだと言うのだこれは!」
ギースが声を上げる。体中から汗が吹き出る。頭が混乱し、こんがらがり、頭のなかで絡まりあった糸が全く解けない。
「随分と驚きのようだね。でも答えは貴方が思っている以上に簡単だ。つまり皇帝陛下、君はもう終わりだという事だ」
ぬぐううおぉぉぉお! とギースが喘ぎ唸り、憤る。ギロリと周囲の人間に目を向け声を荒げる。
「貴様らどういうつもりだ! この我がこれまで飼ってやった恩も忘れ、我の力がなければ野良犬以下の塵芥程度の矮小な存在程度でしかないお前らが! 飼い主である我に噛み付くとは、貴様ら一体どういう了見だ!」
その言葉が元帝国騎士や兵達に突き刺さることは当然なかった。
むしろこのあまりに愚かな発言に、呆れてものも言えないといった様子すら見せている。
一度は皇帝のためにと誓ったアクアスも同席しているが、もはや何も語らず、自分の考えは間違えではなかったと清々しいほどであり、それはハワード砦からやってきている元指揮官にしても一緒であった。
「くそ! こうなっては仕方ない! 近衛兵! 前に出ろ! やつらを八つ裂きにしてしまえ!」
「え!? あ、いや、しかし戦力に差がありすぎます」
「それに、我々は陛下を守るのが仕事」
「だから、守るために奴らを八つ裂きにしろと言っている!」
そんな無茶なと近衛兵が顔をしかめる。今になって自分たちの選択がいかに間違いであったかを思い知っている事だろう。
何せ近衛兵の数は精々数名。それに宮廷魔術師が二人ほど。アレクトの部下にしてもとりあえずアレクトに同行してきていたのは同じく数名と言ったところだ。
一方待ち構えていた相手は五〇人は下らない。あまりに多勢に無勢が過ぎた。
こんなことならもっと騎士を側においておくべきだったかと悔やむギース。だが、あまり多くても逃げるのには不便である。
「父上! ここは一旦退きましょう! 洞窟の中へ」
「馬鹿言うな! 今戻ってはここまできた意味が――」
「勿論、城まで戻るわけにはいきませんが、まだ中の細い通路の方が――」
そ、そうか! とギースが踵を返そうとする。魔術士の魔法も駆使すれば、洞窟の中で持久戦に持ち込んだ方が可能性はあるかもしれないと考えたのであろうが――
「残念ですが、戻ることは許されませんな」
「アレクト様の命により、これより我々も反帝国軍につかせて頂きます」
しかし、今度は背後をアレクトの部下である騎士に防がれてしまう。
「な、なんだと? な、なんだこれは? 貴様ら! 一体どういうつもりだ!」
「まだ判らぬのか? 愚かな騎士を側に置いておくだけに、所詮貴様もその程度という事か」
その声にアレクトの部下たちが道を開けた。
それとほぼ同時に歪な球体が放られ、皇帝の足元をゴロゴロと転がった。
「こ、これは――エルガイル! ということはまさか!」
「エルガイルの討伐遂行、お疲れ様でございますアレクト様!」
エルガイルの首を見てギースが叫び、道を開けたアレクトの部下が彼女を労う。
「皇帝陛下、約束通り愚か者の首を届けに来たぞ。尤も一番の愚か者は貴様であろうがな」
洞窟から外に出たアレクトは、ギースを前にして堂々と言い放つ。
その瞳は硬い意志が感じられた。帝国との決別という感情だ。
「そ、そうか。つまり、裏切り者はエルガイルではなく! 貴様だったという事かアレクト!」
「それは違うな。この国で一番の裏切り者は――貴様だギース。そしてその男に付き従う醜い豚どももな」
大口から覗かせた上下の歯を、砕けんばかりに噛み合わせる皇帝。
その周囲の人間たちは、戦々恐々といった様相。
「それにしても僥倖であったな」
「な、んだ、と? 僥倖、だ、と?」
それを発したのは彼の様子を静観していたアルドフだ。ギースが振り返り、わなわなと震えながら問うように言うが。
「もう気がついていると思うが、お前たちの声を盗聴、まあ、声を盗むことをそういうらしいのだがな、それをする為に協力してくれたのはそこにいるアレクト殿だ。帝都に戻ろうとしていたところを引き止めて話を聞いてもらった上でね。それでも彼女はまだ確実には信用してなかったみたいだから、最終的にどうするかは皇帝であるお前の対応次第と考えていたようだけどな」
そこまで口にし、ははっ、と笑みをこぼし。
「まさか、ここまで愚かだったとは。勿論何かしら口走るとは予想していたが、人間爆弾などという非人道的な方法を取ろうとしていたとはね。アレクトとその部下の決意が固まったのも、それを聞いてすぐの事だったのだろう。だからこそ、その部分から話の内容が私達の待機場所にまで届いたわけだしな」
ギースが口を半開きにさせ、唖然とした顔を見せる。
「お前たちも、まさかいざという時の為に考えておいた奥の手が、自分たち自身の首を絞めることになるとは思わなかった事だろう。とはいえ、こうなってはもう帝国も終わりだ。素直に諦めて捕まっておいたほうが身のためだと思う、が、それはただ一人を除いてだ」
すると、アルドフが目で合図し、彼の横にいた男がウルナへと近づいていき。
「さ、ウルナ様、こちらへ」
そういって彼女を呼ぶ。ウルナは一瞬戸惑いの顔を見せたが、アレクトを振り返ると、彼女が頷いたので、それを認め、言われたとおりに動こうとする。
だが、その時であった。
「おっと! そう上手くはいかんぞ!」
なんとギースが飛び出し、ウルナの首に腕を回し、隠し持っていたナイフをその首に突きつけた。
「……一体どういうつもりだ? そんなことをして意味があると思っているのか?」
「馬鹿が! 我ぐらいになれば貴様の狙いも判る! ウルナを政治の道具にでも利用するつもりだろう! その為にもお前にとってこいつは何よりも大事な筈だ! ならば十分人質として役立つ!」
「そんな、お祖父様、もうおやめください!」
「黙れ黙れ! お前たちも、我が孫の生命が惜しければそこから動くでないぞ!」
中々に妙な形ではあるが、皇帝は自分の孫を人質に反乱軍から逃げ果せようと考えているようだ。
「やれやれ、本当にこれで皇帝をやっていたというのだから――」
「黙れ、ならばどうする? 我の孫を見捨てるか?」
肩をすくめるアルドフだが、ギースの発言にその眼を光らせた。
「――構いません、どうぞ私を見捨ててください」
だが、そんな中ウルナは自らの命もいとわないような発言を見せる。
「貴様! 余計な事を言うな!」
「祖父は、皇帝は間違いを犯しました。そして、私はその皇帝の孫。決して許されない事です。民の命を蔑ろにするなどあってはならないことです。ですが、それを行ってしまった。その責任は、皇帝の血を引く私にとてあります。ならば、この生命、失って当然!」
ギースの言葉に耳を貸さず、じっとアルドフを見据える。真剣な瞳だ。それは覚悟を決めたまぎれもない皇女の姿だ。
「――それを言われては、むしろ見捨てるわけにはいきませんね」
「え?」
アルドフが彼女を見つめ返しながら、はっきりと言い放つ。それにウルナは眼を丸くさせるが。
「全く、貴方は不思議な方だ。まるで、瘴気あふれる樹海の中で、ただ一輪だけ毒にも負けず、その輝きも色褪せず、凛と咲き続ける花のようだ。そんな貴方は、きっとこれからの帝国には必要な御方だ。絶対にここで失ってはいけない」
「……そんな、私なんて」
「それに、個人的に私が貴方を失いたくないと思ってしまった。だから、私は貴方を見捨てません」
え? と頬を染めるウルナ。そんなふたりの会話に苛々を募らせたのか。
「貴様らいい加減にしろ! おい! つまり孫を助けたいのだな? だったらいますぐ剣を捨てろ! その腰の剣をな!」
ギースにいわれ、やれやれとアルドフが剣を放り投げつつ。
「人のロマンスの邪魔をするとは、空気の読めないお爺さんだな」
「黙れ、くくっ、しかし本当に捨てるとはな! そんなに孫が気に入ったか? だがそれも無駄よ! 剣さえなければ貴様など恐れるに足らず! このまま、逃げさせてもらうぞ!」
「悪いんだが――」
ギースがウルナを引っ張り、無理やり連れて行こうとしたその瞬間――乾いた音が一発空へと鳴り響いた。
皇帝の脚が止まる。ウルナは何が起こったのかと、目をパチクリさせ、そして――
「剣が使えないなら、銃を使うだけさ」
そう言ったアルドフの手にはL字の形をした奇妙な物体。筒のような形状の先には穴が穿たれている。
皇帝は――音が鳴り響いた直後、ウルナを捕らえていた腕を外し、そのまま後ろへと倒れていった。
ギースが倒れた事に気が付き、お祖父様! と驚いたような声を上げるウルナ。人質にとられていたとはいえ、やはり血の繋がった相手が倒れれば驚きもするのだろうが。
「死んではいないさ。とりあえず麻酔魔弾で眠らせただけだからね――」
そこまで口にし、今度はその場にいる全員に向けてアルドフが命じる。
「さあ、これで皇帝は終わりだ! 残りの全員もすぐにひっ捕らえろ!」
おう! と気合のこもった声が届き、そして一斉に残りの大臣や、皇帝の息子やその妻、他にも臣下の者や近衛兵などが取り押さえられ――
そしてそれから数時間後、帝都中に反乱軍の勝利が伝えられた――




